美ST ONLINE 無料会員登録 あなたの「美生活」に役立つ情報お届けします

新着
2016.08.12

『密会は雪の肌で』 #3 渡辺淳子

「でもこの年になったからこそ、お金をかけないといけないんだろうな」

  専門学校を卒業して看護師になったばかりのころ、私は人からおしえてもらい、グリセリンとアルコールにレモンの皮を漬けこんだ、添加物なしの手作り化粧水を使っていた。ロハスという言葉はまだなかったが、就職して大人の世界に入ると、自分がだんだん毒されてゆく気がして、極端に自然派的なものを求めたのだ。

  毒されることを嫌がったわりには、あっさりと私はオトナになり、あこがれの女優が宣伝していた化粧品を使い出した。

  それから二十一年。私は化粧品を替えることで、気分を変えてきた。そういえば場所限定で、薬用雪肌精を使ったこともあったっけ。

  けれど子供も生まれた今、気分転換のために化粧品を替えるなどという行為は、贅沢以外のなにものでもない。

「ここもボーボーだし」

  アンダーヘアの茂みは出産後、深く濃くなった。女性ホルモンが活発になる出来事を経たのだから当然だろう。仕方がないとはいえ、たまに瞬助が買ってくる雑誌のグラビアを見ると、実はヤバい気もしている。きれいなお姉ちゃんたちのその部分は、とても細くて薄いのだ。

「げ。これは」

  今さらながら身体をチェックしてゆくと、アンダーヘアの中に白いものが見つかった。それも二本も。

  焦ってかき分け、毛抜きで引っぱる。

  けっこうな痛みとともに毛抜きの先についてきたのは、やはり白い毛であった。

  深いため息が出た。髪の方は目につきやすいので、ちょいちょい抜けばOKだった。いや、髪に出てくることはある意味覚悟しやすい。けれどアンダーは、まだノーマークが許されると高をくくっていた。

  瞬助は今の私をどう思っているのだろうか。

  優希がお腹にできたとき、雇われ飲食業では実入りが悪いと、瞬助は今の仕事に転職した。長引くつわりで苦しむ女房を心配し、私がいつ専業主婦になってもいいようにと考えてくれたのだ。

  私は仕事を辞める気などなかったが、その気持ちは実にありがたく、瞬助を大事にしようとつくづく思った。少しでも若く美しく見られることも旦那孝行だと思っているだけに、「結婚したのは間違い」などと言われると、四つ年上の女房としては焦燥感が募る。

「いやいや、良い母さんでいることも旦那孝行。こんなに日焼けするまで子供と遊んだなんて、すごいじゃん、私!」

  声に出して自分を励ました。かわいい娘の笑顔もまぶたに浮かぶ。

  力士のように両手で頰を張り、気合も入れた。最後に鏡に映る自分に笑う。

  目尻に何本も細かいしわが寄ったのが、はっきりと見えた。

  ***

  朝から雨がしとしと降っていた。こういう日は、病院という閉鎖空間の中にいてもけだるい。そんな日勤の昼休み、休憩室でお弁当を食べ終えてスマホを見ると、瞬助からLINEが入っていた。

『今日、保育園に迎えに行けなくなった』

  突然のことに、慌てて『なぜ?』と送る。仕事中の瞬助も昼休みだったらしく、すぐにLINEで会話になった。

『急病人が出て、俺しかフォークリフトやれるヤツがいなくなった』

『今日は鈴木さんも都合悪いのに』

『帰りは九時ごろになると思う。この埋め合わせはする』

  そこで瞬助からの吹き出しは途絶えた。まさかの事態に、頭の中が優希のお迎えの算段でいっぱいになる。

  ダメだと聞いてはいたが、鈴木さんに一応メールを入れてみた。教師を定年退職した鈴木さんとは、横浜子育てサポートシステムで契約関係にある。

  鈴木さんからの返事を待つ間、病棟カンファレンスの当番を誰かに代わってもらうことを考えた。同時にそれを躊躇させる事柄が次々と頭に浮かぶ。

  優希は四月の終わりに熱を出した。当日は仕事を早退した上、翌日の夜勤も他のスタッフに代わってもらった。瞬助も夜を徹した仕事だったので、優希の面倒をみられる人がいなかったのだ。

  育児中の私は、他のスタッフより月の夜勤回数が少ない。その夜勤も、二十四時間保育を実施している火・木・金曜日限定でシフトに組みこんでもらっている。育児時間と称し、まだまだ仕事が終わらない日勤でも、みんなより早く帰宅している。この上、たまのカンファレンス当番もできませんでは、いい加減にしてと思われるだろう。それでなくとも日勤終了後の会議は、スタッフが忌み嫌う面倒な仕事なのだ。

「どうしたんですか?西谷さん、深刻な顔して」

  向かいの長椅子に座っていた宗田ちゃんに話しかけられた。彼女は二十六歳、看護師四年目の若手だ。現在休憩中のスタッフは、みんな職員食堂に行っていて、私たちの他には誰もいない。

「今日子供をお迎えに行くはずだった旦那が、都合悪いって言ってきたのよ」

「ありゃま、それは大変ですね」

  宗田ちゃんはのんきな調子で言った。彼女は自分が食べ終えたカップラーメンやコンビニサラダの容器をまとめようともせず、目の前が散らかっていても気にしていない。

「どうしよう。お迎え行く人を探さなきゃいけなくなっちゃった」

「西谷さんが行けばいいじゃないですか。保育園、七時まででしたっけ?面倒な処置が残っても、私が引き継ぎますよ。何でも言ってください」

「ありがとうー」

  後輩の申し出に、思わず涙が出そうになる。

 

渡辺淳子 Junko Watanabe
滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

セレSTORY ここで買える kokode.jp

totop
Mail
rss
美ST
美魔女
セレSTORY
STORY
光文社

Copyright© 2016 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.