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2016.08.19

『密会は雪の肌で』 #4 渡辺淳子

「でも私、今日カンファレンス当番なんだ」

「司会なら代わりますよ。書記はいやだけど」

「今日はこの間の点滴アクシデントの検証をしなくちゃいけないんだけど、大丈夫?」

「えー? あれ、事故カンファやるんですかー?あんなの不可抗力じゃないですか。だって先生が悪いんだもん。夜中の交替時間にややこしい指示出すから間違えたんですよ。準夜さん、小竹先生に何度も確認したらしいですよ。それでOKだったくせに、次の日になって、点滴一本多いなんて言い出して。あれ絶対故意ですよ。この間の飲み会に、利き酒師の自分が誘われなかったから根に持って、わざと間違えやすい指示出したんですよ」

「あの宴会は私も呼ばれなかったよ」

「だって西谷さんは子供がいるからって、いつも来ないじゃないですか」

「歓送迎会は行ったじゃない。子連れだったけど」

「この間のは、ガチで日本酒を楽しむ会ですよ。ほんとに誘ったら来ました?」

「子供がいたら飲めないから、行かない」

「ほらー。余計なことを知って呑んべえの西谷さんが落ちこまないように、こっちも気ぃつかってるんですよ」

「……それはどうもありがと」

「小竹先生も声をかけられなかった意味を考えてほしいですね。腹いせに陰険な仕返ししたら、ますますみんな離れていくだけなのに。あんなやつのために、まともに話し合うことないと思います」

「……そうかもしれないけど、やっぱり重大なアクシデントが起きたことに変わりないんだからさ」

  アクシデントをあまりに軽く考えている宗田ちゃんに、私は不安を覚えた。

「あんな抗生剤、一本多くやったって死にゃしませんよ。現に患者さん、ケロッとしてたし」

  彼女の言うことも一理あるが、ちょっとくらい、仕方なかった、の線引きが遠くなると、大事故が起こるのだ。

「腎機能が正常な患者だったからよかったけど、そうじゃなければ命にかかわったかもしれないんだからさ。原因と今後の対策を検証しないと」

「対策その一。小竹先生に宴会したことを悟られないよう、参加者は翌日の言動に注意する。これでいいじゃないですか、西谷さん、事故カンファ終了です」

「冗談はそれくらいにしてよ、宗田ちゃん。真面目に言ってんだからさ」

「私はいつでも真面目ですよ。あの事故カンファを話し合わなきゃいけないなら、私、当番代われませんね。ま、そもそもリスクマネジメント担当の代わりなんて、私が務めるのは無理なんですけど」

  宗田ちゃんはそう言って、肩をすくめた。

  彼女は最初から当番を代わる気はなかったのだと、やっと気づいた。お愛想を真に受けた自分を苦笑する。独身でひとり暮らし、彼氏ナシという完全自由の宗田ちゃんに、私の苦労がわかるはずはないし、わかってほしくもない。

  家庭も仕事も完璧にこなすのは無理な話だ。けれど、誰でもできる通常業務はともかく、大事な仕事は外さないと、私は心がけているのに。

  いっときでも気の迷いを起こした自分を、私はひそかに叱咤した。




  午後三時ごろ、鈴木さんから、やはり手伝えないとのメールが届いた。そこで私は次善策を決行するべく、智恵美の院内PHSに連絡を入れた。

  友枝智恵美は私と同期で同い年の看護師だ。ふたりの子育てをしつつ順調に昇進し、今年から看護師長になり、外来部門の一角を任されている。当直表によると、彼女は本日当直ではない。

「はい、友枝です」

  PHSから聞こえる智恵美の声は仕事用だった。

「あ、私、西谷です」

「あら、多香子。どうしたの?」

  すぐにくだけた調子で智恵美はたずねてきた。周囲に人がいないのだと私は安心する。

「ごめん。ほんとに申し訳ないけど、今日、優希の保育園のお迎えをお願いできない?」

「どうしたの? 日勤? 終わらなさそう?」

「そうなのよ。今日カンファレンスでさ。あいにく鈴木さんも都合が悪くて。旦那は仕事で遅くなるって言うから」

「そうなの。いいわよ。たぶん六時半くらいには行けるから。保育園に電話しといて」

  外来部門は二十四時間患者がいる病棟と違い、比較的早く仕事が終わる。二十五歳で長女を出産し、子供の手も離れつつある智恵美は、高齢出産した私を心配し、なにかと協力してくれるありがたい存在だ。

「ほんと助かる。ありがとう。ごめんね、いつもいつも無理言って」

「いいよ、大丈夫。じゃ、うちで預かっとくから」

  お迎えを快く引き受けてくれた友人に、私は心の中で両手を合わせた。

  病棟カンファレンスが終わり、残りのカルテを記載して病棟を出たのは、午後七時四十五分だった。

  急いで着替え、職員駐車場に停めた愛車スーパーレッドのヴィッツのドアを開け、車内にすべりこんだ。お腹がペコペコでどうにもたまらず、バッグの中からひと口サイズのチョコレートを取り出し、口の中に放り込む。

  決してわざとではないのだが、鈴木さんのときと違い、智恵美に優希を預かってもらっているときは、支払いを気にしなくてもいいせいか、お迎えが遅くなりがちだった。

「ちょっと甘えすぎかな」

  反省の弁をつぶやくと、スマホの着信を知らせるメロディが聞こえた。

  一瞬、智恵美からかと思った。けれど画面には「非通知設定」と表示されている。

「もー誰よ。こんなときに!」

  車のエンジンを止めてチョコを噛み下し、電話に出た。

「はい」

  返事はない。

「もしもし?」

「……富田さんの携帯ですか?」

  男の声だ。

「……ううん、あ、そうですけど、どちらさまですか?」

「……遠藤です。遠藤聡です」

  心臓が大きく打った。まさに過去からの電話だった。

 

渡辺淳子 Junko Watanabe
滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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