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2016.09.09

『密会は雪の肌で』 #7 渡辺淳子

「ああ、あれね。……なんと遠藤聡から電話があったのよ」

  なんでもないことのように私は言った。動揺していることを気どられたくはなかった。

「え、遠藤って……あの遠藤先生?」

  智恵美は軽く目を見張った。当時うちの病院の研修医だった遠藤聡と私との交際を知っていたのは、智恵美のほか、一部の友人だけだった。

「どうして? 急に」

「わかんない。なんか、携帯番号の整理してるって言ってた」

「ふーん。……で、なにしゃべったの?」

「世間話。子供のこととか、奥さんがこっちに戻れて喜んでるとか。先生、春からY病院で働いてるんだって」

「そうなの。部長になって行ったのかしらね」

「さあ。そこまで聞かなかったけど」

  智恵美の旦那さんは、川崎市にある中規模病院の整形外科医で、次期部長候補だ。それだけに肩書は気になるのかもしれない。

  ふと見ると、あとは帰宅するだけなのに、智恵美は化粧を直していた。私と同じ車通勤のくせに、彼女の女としてのマメさに感心する。

「ところで智恵美って、化粧品、何使ってんの?」

  私はたずねた。

「え? ああ、私はエステで勧められたのを買ってるの」

「え? エステ? ……智恵美さん、やっぱりセレブな生活をしてらっしゃるのねえ」

「そんなんじゃないわよ。月に二回くらいリフレッシュのために行ってるだけ。顔を人にぺたぺたしてもらうと気持ちがいいから、ぼーっとしに行く感じよ。多香子もたまには身体のマッサージに行くでしょ? あれと同じ」

「私はほんとに腰が痛くて、やむを得ず行ってるんだけど。何、エステの先生が勧める特別な化粧品なの?」

「そのサロンで使われてるのと同じものよ。値段もそんなに高くないし。美容室で使ってるシャンプーを買うのと同じ感覚よ」

  智恵美はそう言い、ベージュピンクに染まった唇で軽く笑った。

***

  最初の電話から一週間くらいして、また遠藤聡から電話があった。

「ああ、俺。遠藤だけど」

  今度の遠藤聡は少し馴れ馴れしかった。

  私は仕事が休みの日だった。たまっていた家事をしてから昼寝もできて、気分がすっきりとしていた。夕方の四時を過ぎ、もう少しゆっくりしようか、でも早めに優希のお迎えに行ってあげようかなどと考えていたときだったので、余裕をもって電話に出た。

「こんな時間に私用電話とは、さては遠藤先生、暇なのね」

「そんなことないよ。さっきオペが終わって、昼飯食ったとこだもん」

  懐かしい口調に、唇を尖らせている顔が見えたような気がした。

「でも術後管理は若いのに任せて、自分は休憩でしょ?」

  遠藤聡は屋外で話しているのか、周囲がなんとなくざわついている。

「すぐに電話に出られるってことは、仕事じゃないのか」

  少し疲れたような口調で、彼は言った。

「今日はお休み」

  そして、「これから保育園に子供のお迎え」と続けようとしたが、私は反射的に口をつぐんだ。

「みなとみらいもちょっと見ないうちに変わったなあ。俺、この間車で右往左往しちゃったよ」

「あー、あの辺は、すっかりきれいになっちゃったからねえ。子供と遊びに行ったの?」

「下の子とね」

  自分の子供のことは口にしづらいが、相手の子供の話はなんでもない。

「男のくせに、あいつちょっと臆病なんだよ。だからでかい観覧車に乗せてやった」

「あら、荒療治ってわけ? 大丈夫だった?」

  遠藤聡の子供を少し心配しながら、私はたずねた。

「もうビクビクしちゃってさ、俺にしがみついて、ちっとも窓の外を見ないでやんの」

「あらあら。子供はそういうのトラウマになって、余計臆病になっちゃうよ。本人のペースがあるんだから」

「いや違うね。こんなに高くても大丈夫なんだ、安全なんだって、身をもって知ることが大事なんだよ」

「習うより慣れろってこと? だったら、降りたあとはよく我慢できましたって、抱きしめてあげてね、お父さん」

  遠藤家の教育方針にあまり賛同できず、私はついアドバイスした。

「……お前って、相変わらずだなあ」

  急に遠藤聡がしみじみと言った。昔のように「お前」と呼ばれたことに少し戸惑う。

「どういう意味よ。相変わらず、バカみたいだってこと?」

「いや、違う。うちの奥さんも俺のやることに反対するけど、包容力がないんだよ。俺が子供に無茶させると、マジで激怒するからさ」

「ほほう。若い美人妻と私は、同じ意見なんだね」

「……誰に聞いたの? 若いって」

  遠藤聡は意外そうにたずねてきた。結婚したことはともかく、お相手のプロフィールまでは知らないと思っていたのだろう。

 

渡辺淳子 Junko Watanabe
滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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