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2016.09.23

『密会は雪の肌で』 #9 渡辺淳子

  薬用雪肌精シリーズは知らない間に種類が増えていた。昔は化粧水のみだった気がするが、今はジェルや洗顔料、BBクリームなど、大きさや形の違う容器に入ったたくさんの雪肌精たちが陳列棚に並んでいる。それだけ愛用者が増えたということなのだろう。

「いつの間にか年とっちゃうんだよね」

  私は試供品を棚に戻し、トイレットペーパーとティッシュを抱えてレジに向かった。



  深夜明けで家に帰り、シャワーを浴びてこれから寝ようとしたまさにそのとき、遠藤聡から電話がかかってきた。

「あなたねー、私明けで、これから寝るんだけど」

「出なきゃいいのに、出るからだよ」

「こんな真っ昼間に私用電話なんて、ほんとに仕事してるの? 遠藤センセ」

「してる、してる。昨日は九時過ぎまでオペして、夜中は救外で中国人観光客のおばちゃんに三時間もつき合った」

「昨夜当直だったんだ」

「あいつら、なぜか中華街に行くのな。せっかく日本に来たのに、同胞の集まってるとこにわざわざ行ってどうすんだよ。摩訶不思議」

  あきれたような遠藤聡の声に、彼独特のしかめ面がまた頭に浮かんだ。

「テレビによると、中華味が恋しくなってラー油とか買いに行くらしいよ。和食にかけて食べるんだって」

「それじゃ、和食食べる意味ないじゃん」

「あはは。でも私もフランスに行ったとき、最後は味噌ラーメン食べたから、気持ちわかるわ」

「俺はわからないな。食も含めて、最後までその国の文化に触れるのが旅行ってもんだ」

「聡、相変わらずだね」

  つい呼び捨ててしまった。

  十四年前、彼の部屋にいたときと同じ調子で。

「……その中国人さ、アッペ(虫垂炎)じゃないかって、ふれこみだったんだけど」

  聡はそのことに気づいたのか、気づかなかったのか、話を戻した。

「ほんとに身もだえして腹痛がるんだよ。七転八倒。でもCT撮ってもなんもねえし、ちょっとガスがたまってる程度なんだけど、すげー騒ぐからさ」

「そういう人いるよねえ。光景が思い浮かぶなあ」

「医者なら何とかしろって、旦那と一緒になって脅すんだよ。ふたりとも身体がでかかったから、怖いのなんの。だから強めの薬、注射してやったの」

「一発、お見舞いしたわけね」

「古いよ、お前。その言い方」

「古いけど、わかったでしょ」

「そしたら、鬼の形相で俺をにらんでたおばちゃんが、三十分後には聖母の微笑みを浮かべてさ。先生、すっかり痛みがなくなりました、あなたは本物の名医ですって、俺の両手を握りしめて、頰ずりせんばかりになっちゃってさ」

「あれ、聡、名医と言われたことがわかるほど、中国語できたっけ?」

「まさか。お互いなんちゃって英会話だよ。もちろんこっちの方がずっと上だよ。そしたら感激したおばちゃんが、でかい紙袋の中から化粧品取り出して、感謝のしるしだって、俺に押しつけるわけ」

「化粧品かあ。男性としては、なんとも微妙だねえ」

「俺、それ見て、お前のこと思い出した」

「え、何? それって、何だったの?」

  胸がどきんとした。

「お前、昔、真っ青な化粧品、使ってただろ。あれと同じやつ」

「……もしかして、雪肌精?」

「って読むんだっけ。お前、洗面所に置いてただろ? 一瞬薬瓶が置いてあるのかと思ったから、俺、印象に残ってるんだよね」

「……へえ、そんなの私、使ってたかなあ」

  声が震えそうになるのを必死でこらえた。

「使ってたよ。忘れたの?」

  電話ではお互いの表情など、もちろんうかがえない。けれど私は急に恥ずかしくなってうつむいた。同時に、聡はどんな顔をして話しているのか無性に見たくなった。

「……ごめん、あんま憶えてないや。でもなんで、雪肌精なの?」

「爆買いしたんだろ。紙袋の中にいっぱい入ってたよ。青い瓶が」

  私がとぼけていようが、忘れていようが、聡は気にしていない風だった。

「雪肌精って、中国人に爆買いされるくらい、メジャーなんだね」

「メジャーどころだけじゃなくて、意外なものも爆買いされるよな。ニチバンが出してる湿布もそうらしいよ。俺の患者が品切れだって、ぼやいてた」

  その後の会話は上の空だった。聡の部屋の洗面所がまぶたの裏に浮かんでいた。

  男性用ヘアムースやひげそりクリームしか置いていない殺風景な洗面所の棚に、瑠璃色のボトルがある。もし他の女が聡の部屋に入ったとしても、雪肌精の横に何かを置こうとは思わないだろう。

  私は聡の部屋に行くたびにボトルがあることを確かめ、そして安堵していた。

  朝な夕なに肌にすりこんだ、乳白色の化粧水の香りが鼻孔によみがえる。その肌を聡の平たい胸に押しつけた感触を、自分の頰が思い出す。

  うれしかった。

  聡が雪肌精を覚えていてくれていたことが。

  瑠璃色のボトルを見て、私を思い出してくれたことが。


 




渡辺淳子 Junko Watanabe

滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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