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2016.10.21

『密会は雪の肌で』 #13 渡辺淳子

「えっ、私は、えーと、どうかなあ。盛り上がっちゃうと、時間が読めないんだよねえ。でも、そんなに遅くはならないつもり」

「早々にケツ割ったヤツと、そんなに盛り上がるか?」

「……その子とじゃなくて、他のみんなでね」

  頰が少し引きつっている。

「結局そいつをダシにして、飲みたいだけやん」

  瞬助はそう言い、テレビ画面からはみ出そうなトトロに目をやった。「ばれたか」と、私は猫バスに向かってわざとらしく苦笑いする。

  妻が、そして母が女に目覚めるのは、なんと苦労が多いことか。けれど、この時点ですでに達成感がある。だとすると、実際にコトを致すとどうなるのだろう。

  私はその先にあるものに興味をそそられ、それしか考えられなくなってしまった。

***

  金曜日は準夜勤務だった。

  昼ご飯を食べ終え、優希が寝室で昼寝していることを確認すると、私はTシャツを脱いで上半身ブラだけになり、毛抜きとティッシュを手にして臨戦態勢に入った。

  リビングのソファに寝そべり、左腕を大きく頭の方に挙上する。あごを引いて、左の腋の下に視線をやったが、心なしか目のピントがうまく合わない。

「もしかして、老眼?」

  何度も目をしばたたいた。毛抜きを左腋に寄せてみる。毛抜きの先で体毛がうまく挟めているか確認するのに、いちいち時間がかかる。

  極軽い刺激とともに、五ミリメートルくらいの黒い毛が抜けた。毛根もついていたのでホッとする。毛根が残っていては、腕をあげたときに黒い点々が見えてしまうからだ。

  私は黙々と腋毛の処理を続けた。子供が生まれてから、入浴中にカミソリを使うだけだったので、左右ともにかなり抜き甲斐があった。

  腋窩が終わると、下の確認にうつった。女子用ステテコとショーツを脱いで、茂みを丁寧にかき分ける。と、五月に見つけた白いものが生えていたところと同じか所に、また白い毛が頭を出していた。

  ある女性誌によると、老人となった女性たちが後悔するのは、夫への貞節を守り、中年期にあったチャンスを自ら逃してしまったことだという。

  私は白い毛を抜き、黒い三角形が長方形に見えるように両サイドを整え、植木職人のごとく、慎重にはさみで茂みを刈りこんだ。自信がないと、チャンスをつかむ勇気が出ない。

「……母さん、何してるの?」

  突然優希の声がした。

  あごを反らして頭だけで振り向くと、優希が寝ぼけ眼でリビングの入口に立っていた。仰向けでビートたけしのコマネチポーズをとっていた私は、反射的にとび起きた。

「母さん、お風呂に入るの?」

  リビングで青いブラだけを身に着けている母に、娘は素朴な疑問を呈した。

  わが子は将来大きくなったとき、今日のことを思い出し、私が何をしていたかの意味を知るだろう。いや、もっとよからぬことをしていたと邪推するかもしれない……。

……否否否。優希はまだ四歳だ。数字も十以上は数えられない。この時代の記憶は残らないと信じよう。ましてや私の子だ。そんなに頭がいいわけがない。

「そうなの。母さん、これからお風呂に入って、仕事へ行く準備をするの。だから優希も保育園に行く準備をしてくださいね」

  私が間抜けな格好で真顔で命ずると、優希は

「えーこれからー? やだなあ。優希ちゃん、母さんと一緒にお仕事に行くー」と、いつもと同じような駄々をこねた。

***

  土曜日、瞬助を仕事に送り出し、優希を保育園に送り届けて家に戻ると、鈴木さんからメールが入った。

「ごめんなさい。実はわが家に急病人が出てしまい、優希ちゃんをあずかれなくなりました。主人が季節外れの風邪をひき、熱を出したのです。お迎えだけなら行けますが、優希ちゃんにうつるといけないので、その後はお宅に直行します。大丈夫でしょうか?」

  文面を最後まで読めなかった。焦り、優希をどうしようかと、あれこれ思いめぐらせた。イケナイ密会を神様がとがめている気がしたが、今さら後に引けない自分もいる。

  あまりにたくさんの人にあずけるのはよくないと、鈴木さんとだけ契約したのもリスクヘッジが悪かった。病棟のリスクマネジャーとしては忸怩たる思いだ。

  そしてこんなときに頭に浮かぶのは、やはり智恵美の顔だった。


 




渡辺淳子 Junko Watanabe

滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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