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2016.10.28

『密会は雪の肌で』 #14 渡辺淳子

  私はためらいつつも、智恵美の携帯に電話をかけた。

「はい、友枝です!」

  呼び出し音が鳴るかどうかのタイミングで、せっぱつまったような智恵美の声がした。まるで電話がかかってくるのを待っていたかのようだった。

「あ、私、西谷ですけど……」

「あ、あら、多香子なの? ……びっくりした。どうしたの?」

  どうしたの? と聞きたいのは私の方だ。

「実は今日、どうしてもはずせない用があるんだけど、旦那が仕事で遅くなるのよ。だから、突然で本当に申し訳ないんだけど、優希のお迎えに行って、夜まであずかってもらえないかと思って……」

  私の話を聞き終わらないうちに、智恵美は訴えるように言った。

「実は、七海が昨夜家をとび出したまま、帰って来ないのよ」

「え、七海ちゃんが?」

  思わず大きな声が出た。

「今日は学校にも、部活にも行かなかったみたい。もちろん携帯もつながらないし。仲のいいお友達にも電話したけど、みんな知らないって。LINEの返事もないって言うの。警察に連絡しようか、主人と相談してたところだったの。春佳が大学を休んで、行きそうなところを見てくれてるんだけど……」

「そうだったの。だから電話にとびついたみたいだったのね」

「主人からかかって来たか、あるいは警察で保護されたとかの連絡かと思って……」

「七海ちゃんはしっかりしてるから、危ないところには行ってないと思うよ」

「私もそう思うんだけど、万が一、悪い人につかまってたら……、その人に変なことをされてたら、とか思ってしまって」

  あの智恵美が気弱な情けない声を出している。母は強しという言葉は、この人には当てはまらないようだ。

「でも七海ちゃんが家出なんて、いったいどうして?」

  問わずにはいられなかった。七海は今どきの女子高生と違って、素直な少女なのだ。

「主人がね……。昨夜七海とやりあっちゃったのよ」

「また? 原因は何?」

「大したことじゃないの。言うのも恥ずかしいくらい」

「進学のこと? やっぱり成績のこと?」

  真面目な七海は、父親の期待に応えられないことを気に病んだのかもしれない。

「カーテンをね、七海が部屋のカーテンを閉めてなかったことを、主人が怒ったの」

「は? カーテン?」

「そう。夜になってもカーテンを閉めずに、電気を点けて二階の部屋にいたのよ、七海は」

「それっていけないことなの?」

  思わず質問してしまう。

「だってそうすると、外から部屋の中がよく見えるじゃない。変質者に見られたらどうする、女の子なのに危機管理意識が低すぎるって、仕事から帰るなり主人が怒鳴ったの。七海も負けてなくてね。着替えていたわけでもないのに大げさだ、見る人間も限られている、パパは人間が小さい、仕事のストレスを家で発散するなって、もう……」

  私は吹き出しそうになった。過去に少しだけ一緒に仕事をしたことのある、友枝先生の生真面目な性格とその風貌を思い出した。

「そんなもんだよね、親子げんかって。たいていは」

  私は智恵美を慰めた。立派な家で起こった親子げんかのつまらない理由に親近感がわいた。そして振り回されてオロオロしている智恵美一家が、失礼ながら滑稽でもあった。

「夫婦げんかもそうなのよ、うちは。どうでもいいことでけんかするの。それを見てるから、七海も父親をなめちゃうのね。今回のことは私にも原因があるんだわ」

「しょっちゅうけんかしてるの? 智恵美と友枝先生が?」

  思わぬ告白に声が裏返った。智恵美夫妻は諍いとは無縁だと思っていたからだ。

「そうよ。もう、しょっちゅう。うちは結婚前から、なんだかけんかばっかりしてた」

  私の中で一瞬にして何かが溶けた。

  私と聡は交際中に言い合いすらしたことがなかった。肝心なことを言えない私と、本気で私と向かい合わない聡が、けんかなどできるわけがない。

  私はいつまでも何にこだわっているのだろう。

「ごめんね。大変なときに。今の話は忘れてね」

  私は素直な気持ちで詫びた。

「あ、ああ、ごめんなさいね。私、そういうわけだから、優希ちゃんをあずかれない。偉そうに言ったくせに、力になれなくてごめんなさい」

  智恵美は自分の非を認めるかのように、謝った。

「いいの、いいの、気にしないで。大丈夫、何とかなるから。七海ちゃん、きっとすぐ帰って来るよ。大丈夫。思いつめないで」

  私はなだめるように友だちに言い、電話を終えた。

  それから私はテキパキと家事を片づけ、瞬助の夕食を準備した。送別会に優希を連れて行くと、瞬助にLINEも入れた。

  三時ごろに車で優希を迎えに行き、ふたりで大きい方の公園へ遊びに行った。

「母さん、今日は暑くて、やんなっちゃうねえ」

  ジャングルジムに登りながら、優希が大人びた口をきいた。わが子の成長の速さにあらためて驚き、変わらぬ笑顔に癒される。この子の可能性を考えると、私もまだまだ何かやれるように思えてくる。やっぱり、母は強しだ。

「ほんと、やんなっちゃうねえ」

  私は公園の水栓をひねって、腕や首筋に何回か水をつけた。こうするときれいに日に焼ける。昔サーファーをしていた瞬助がおしえてくれたことだ。どうせ日焼け止めを塗っても汗で流れてしまうのだ。ならば、きれいに日に焼けよう。

  十四年前の私は聡に対して自信が持てなかった。だから、言われなくてもわかっている女でいようとした。せめてお荷物にならないように。そう心がけたから、聡は私をなめたのだ。

  ミスF女と知り合った聡は、私との関係にフェードアウトをはかった。うすうす勘づきながらも怒りをぶつけず、「こっちも本気じゃなかったから」とポーズをとって身を引くことで、私は自分のプライドを守ろうとした。単なる医者ねらいなんかじゃなく、本当に聡のことが好きだったのに。

  今思う。黙って身を引いたのは、プライドを守る行為などではなかった。自分の気持ちを認めず、自分の価値を貶めただけだった。だから今ごろになって、聡はのこのこと電話をかけてきたのだ。「お前」などと、平気で人妻に向かって言えたりするのだ。



 




渡辺淳子 Junko Watanabe

滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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