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2016.11.04

『密会は雪の肌で』 #15 渡辺淳子

  五時前に公園をあとにし、車でじらふの最寄り駅に向かった。駅ビルにおいしい洋菓子店が入っているからだ。その店のクッキーは智恵美の好物だ。

「ごはんのあとで、智恵美さんにお土産持って行こうねえ」

「智恵美さんの家に行くの?」

  私の言葉に、後部座席のチャイルドシートで優希はほつれ毛を額にはりつかせ、顔をほころばせた。

  大量のクッキーを買って店から出ると、高校生くらいの女の子の姿が目に入った。

「七海ちゃん!」

  思わず駆け寄った。私に手を引かれてついて来た優希も、「七海ちゃーん」と、一緒になって叫んでいる。

「西谷さん……」

  つぶやくように言った七海は、ラフなTシャツにジーンズ姿だった。けれど持っているバッグは通学用と思われるもので、七海がいかに衝動的に家をとび出したかが、うかがい知れた。

「どうしたの? こんなところで」

  何も知らない風を装って私はたずねた。七海の表情はやはり冴えない。

「あ……クッキー、買おうと思って」

  七海は私の持っていた洋菓子店の紙袋を見ながら、そう言った。

「あらそうなの? なあに? 七海ちゃんもここのクッキーのファン?」

「ママが好きだから……」

  ちょっと恥ずかしそうに七海は言い、視線を泳がせた。

  長い黒髪を束ね、すっぴんで身ぎれいな七海の格好を見る限り、ひと晩を変な場所で過ごしたとは思えなかった。話のわかる友だちの家にいたのかもしれない。

「ねえ、七海ちゃん。これから私たち、イタリアンを食べに行くんだけど、一緒に行かない?」

  私の申し出に、七海は少し戸惑った顔をした。

「隠れ家みたいな店なんだけど、おいしいの。渡り蟹のトマトクリームスパゲティなんて絶品。人と待ち合わせしているんだけど、ごはんは大勢で食べる方がおいしいでしょ。ね、ごちそうするから、一緒に行かない?」

  そう言って私は「ねー、七海ちゃんと一緒に行きたいよねえ」と、優希をたきつけた。優希は「七海ちゃんと行きたーい」と、その場でぴょんぴょんとび跳ねる。

  七海は返事をためらっていたが、優希が一緒だったことに気を許したのだろう。あるいは家に帰るのにもう少し時間が必要だったのか、実は空腹だったのか。

「はい。じゃあ行きます」

  七海は最後にはうなずいて、路肩に停めていたヴィッツの助手席に素直に座った。



  時間貸し駐車場に車を停め、三人でじらふに歩いて向かった。

  道中、私は優希を七海に任せ、智恵美に簡単なメールを送った。七海発見、せっかくなので食事をしてから送り届けるといった内容だ。すぐに智恵美から届いた感謝の言葉ばかりの返信に、これで少しは今までのお返しができたかなと、私は思った。

  昼間の熱気が日の陰りとともに緩んできたころ、きりんのシルエットをかたどった木の看板が掲げられた店に入った。

  こぢんまりとした薄暗い客席フロアの奥に、中年男性が座っていた。他に客は誰もいない。

「こんばんは。お久しぶりです」

  私が堂々とあいさつすると、相手も「こんばんは」と、座ったまま応じた。

  紛うことなく遠藤聡だった。目の下が少したるみ、髪に白いものが目立っているが、十四年前に別れた人の面影はそのままだった。

  浅黒い顔に切れ長の目。笑うと、顔全体に人の好さそうなしわができる。懐かしい顔を前にして、一瞬私の黒い気持ちは消えそうになる。

  彼は私を直視することを避けていた。かわりに、ちらりちらりと七海と優希に視線を送っている。私が子連れであることに、いっぱい食わされたと思っていたら本望なのだが。

  と、そのとき、テーブルの下から五歳くらいの男の子がひょっこりと顔を出した。

「次男くん?」

  思わずたずねると、聡ははにかんだような笑みを浮かべ、「瑞樹と言います。五歳、だな? 瑞樹」と、息子に話しかけた。



 




渡辺淳子 Junko Watanabe

滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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