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2016.11.11

『密会は雪の肌で』 #16 渡辺淳子

  驚いた。聡も最初から子連れで来るつもりだったとしたら腹立たしかった。けれど私は、愛想よく次男坊にあいさつをした。子供に罪はない。

  瑞樹は聡が言った通り、かなりシャイな子だった。もじもじとして父親の背中に顔を押しつけ、なにも話そうとしない。

  私は傍らに立つ優希にあいさつを促す。

「西谷優希です! 四歳です!」

  人慣れしている優希は大きな声で自己紹介をした。彼の子との差に少々鼻が高くなった。

「この子は、友枝七海ちゃん。高校一年生。ほら昔、友枝先生っていたでしょ? 整形外科に。あの先生と井川智恵美の娘さんよ」

  私に紹介され、車の中で聡の素性を聞かされていた七海は、折り目正しく頭を下げた。

「友枝七海です。両親がお世話になりました」

「友枝先生、憶えてるよ。そうか、井川さんと結婚したんだったね。君はお母さん似だね。井川さんは落ち着いててきれいで、人気があったんだよ。結婚したって聞いたときは、みんながっくりしたもんさ」

  七海に調子よく話す聡は、やはり昔の遠藤聡だった。

  私たちは三つのテーブルをくっつけてもらい、席に着いた。壁を背にして聡と瑞樹、聡の向かいに私、優希、七海と並んで座る。

  昔この店を手伝っていた女の人がメニューを三つ持ってきた。マスターの娘さんだ。この人も昔は可憐な看板娘だったが、今は肌がくすんで少し太ったようだ。ひとり厨房で作業しているところを見ると、今は彼女が店を切り盛りしているのだろう。

「ここの渡り蟹のトマトクリームスパゲティはおいしんだよ。ね? 遠藤センセ」

  熱心にメニューを見ている七海に話しかけ、聡に同意を求めた。「そう、うまいよ」と、聡はしれっと応え、メニューに視線を落としたままだ。

「今日は車だから、ノンアルコールだなあ」

  私もメニューを見ながら、大きめの声でつぶやいた。すると聡は「俺も車だから、飲めないんだよね」と、声だけで返してきた。七海は優希にメニューを一つひとつ解説してくれている。

  そのとき、私のスマホにLINEの入る音がした。『仕事が早く終わった。店を教えてくれれば、優希を迎えに行く』

  瞬助からだった。

『お迎え? どうして?』

  手のひらの中で、急ぎ私が送った吹き出しに、瞬助はすぐに返事をくれた。

『その方がゆっくり飲めるやろ』

  こういうときに、こういうことを言ってくるんだからなあ。

  ちょっと感激しながら、『大丈夫。車だから、さっさと食べて、さっさと帰る』と返信した。渡り蟹のトマトクリームスパゲティもいいけれど、今は家族三人で瞬助の作ったコシャリが食べたいかも、などと思ってしまった。

  結局、料理はみんなで取り分けて食べることにし、渡り蟹のトマトクリームスパゲティと、ほうれん草ときのこのペンネ・ラグーソース、茄子とペパロニソーセージのピッツァに、当時と変わっていなければ、ヤングコーンが豊富なはずの、じらふサラダを注文した。

  マスターの娘さんがオーダーを確認して立ち去ると、聡は居心地悪そうに腰を浮かせ、椅子の背に引っ掛けていた紙袋から瑠璃色のボトルをとり出した。

「これ、忘れないうちに渡しとく」

  薬用雪肌精が私の目の前に置かれた。

「奥さんにあげればいいじゃない」

  私はそっけなく言ってやった。

「うちの奥さんはこういうの使わないよ。こだわりの化粧品を使ってるから」

  聡は少し顔をしかめた。眉間と目尻に、昔はなかったしわが加わっている。

「私も今は使ってないんだよね、これ」

  ボトルを手に取り、わざとらしく表裏を見返した。そのとき持参したらしい絵本を見ていた瑞樹が、私を見ているのに気がついた。

  瑞樹と私の目が合った。あまり父親に似ていない瑞樹は、また聡の背中に顔を隠す。

「瑞樹君、今日は帰ったら、パパに抱きしめてもらいなさいね」

  雪肌精をテーブルの上に戻しながら言った私に、聡は「なんで?」と、いぶかしげにたずねる。

「恥ずかしがり屋なのに、義理のデートにつき合わされたんだから、ごほうびあげないとダメじゃない」

「義理って……。おま……富田さんも言うねえ」

  私の返答に、聡は次男坊の頭を大げさに撫でる。

「富田じゃなくて、西谷です」

「あ、すみません」

  きっぱり訂正すると、聡は素直に頭を下げた。雪肌精のボトルは、ふたりの間に置かれたままだ。

「今日は奥さん、どうしてるの?」

  私はたずねてやった。

「長男の行ってる塾の講師と緊急面談しに出かけた。それで瑞樹は俺に回ってきた」

  ぶっきらぼうに聡は答えた。

「面談って、小さい子供連れで行ってもいいんじゃないの? 別に」

「そうだろうけど……長男は自分がみるから、次男はどうしても連れてけって、あいつ、聞かないからさ」

  私は声を出さずに笑った。なんだかとても気分が良い。

「そうだ、七海ちゃん。雪肌精、あなたにあげる。いいんだよ、これ、とっても」

  私は七海の前に瑠璃色のボトルを差し出した。優希の持って来た人形の洋服を着せ替えていた七海は、びっくりしたように顔を上げる。

「私、お化粧しないです」

  七海は首を振りながら即座に応えた。確かに剥きたてのゆで卵みたいな肌に、化粧水はまだ必要ないだろう。

「じゃあ、遠藤センセ、これ自分で使ってみなさいよ。だいぶ増えたよ、しみとしわ」

  私がにこやかに勧めると、聡は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

  そして、「人のことは言えないだろう。お前も増えたよ、しみとしわ」と言いたげに唇が動いたが、さすがに声には出さなかった。

渡辺淳子 Junko Watanabe
滋賀県生まれ。看護師として病院等に勤務。若い男女の結婚観を描いた「父と私と結婚と」で、2009年第3回小説宝石新人賞を受賞。著書に『もじゃもじゃ』『結婚家族』『東京近江寮食堂』がある。

 

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