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2016.12.23

『バージンチーク』 #6 大西智子

  規則正しく上下する薄い胸を確認してから、いそいそとツイッターを起ち上げる。今日はほとんどチェックできていなかった。いつもはついつい、五分と置かずに見てしまうので、一時間に一回と自制している。

  彼のツイートがあったことは、通知をオンに設定してあるから知っている。あえて彼のツイートは読み飛ばし、タイムラインに目を通してから、彼のアカウントに飛ぶ。そこで初めて彼のツイートをじっくり読みこみ、一文字ずつ、ゆっくり味わう。

  電車に揺られ窓の景色を眺めながらデザインのヒントを探したこと。道端に咲いていたコデマリが可憐でかわいかったこと。庭の百日紅が生命力みなぎる枝を伸ばしてきたこと。文字を目で撫で、感触を確かめる。日々の雑感を綴った他愛ないツイートの中に、彼の個展の案内があった。投稿されたのは58分前だ。

  一度画面を閉じた。頭の中で数を数える。目を閉じて百を数え終わり、再び開く。投稿が1時間前に切り替わっている。慎重な手つきでリツイートを押す。私のフォロワーはさほど多くはないが、少しでも役に立ちたい。たったそれだけのことで厳粛な儀式を執り行っている気持ちになる。

  今度は丁寧に文字を入力し、短いメッセージを作成する。個展楽しみです。もう来週ですね。ぜひお伺いします。何度も読み返し、誤字がないのを確認してからツイートボタンを押す。このときいつも、後悔に似た念が押し寄せる。

  その後悔は、彼の反応によって喜びに変わったりより深い後悔に変わったりする。正解がわからず常に煩悶している。不安定な感情の揺れの中で、一歩ずつつま先で地面を確かめながら、固い足場を探している感覚だ。彼のツイートはすべてチェックしているが、あまり物欲しそうに見られたくはない。リプライは五回に一回、一時間以上経過してから、というルールを自分の中に設けている。

  明日から出張だというツイートも見つけ、すでに胸の中でぽっかりと空いている風穴が存在感を増す。しょっちゅう会っているわけでもないのに、物理的な距離が開くだけで、風穴は大きな喪失感となる。会いたい、と思い、今にも追いかけてしまいそうになって、必死で地面に足を縫い止める。

  この気持ちが恋だと思うこと自体間違っている。彼には妻も子もいる。私のような女が好きだと言ったところで、困惑させるだけだ。この感情をどうこうするつもりはない。長い時間をかけて、やんわり殺していく。一息に焼き切るのではなく、徐々に水分を蒸発させ、干からびて一滴のしずくも出なくなるまで、ゆっくりじっくり焼いていく。

  私の三十九年の人生の中で、恋愛に彩られていた期間は実に短い。専門学生のときに初めて付き合った人と、三十手前で二番目に付き合った人。どちらとも一、二年で終わってしまった。もう誰かを好きになることもないと思っていた。この年になってもまだ自分の中に、人を好きになれるやわらかさが残っていたと知っただけでも十分だ。

  彼は同じフラワーアレンジメント協会に属している同業者だ。といっても私は自宅のリビングで教室を開いている一講師で、彼はフラワーアーティストという肩書きを持ち、ウェディングやパーティーなどさまざまなイベント会場や店舗のデザインをし、花で彩ることを生業にしている。彼の母親が華道家で、自身も幼いころから一連の知識と技術を習得してきたが、二十歳を過ぎてヨーロピアンデザインのフラワーアートにのめりこみ、オランダに留学、そのまま二十年以上滞在し、独自のデザインを確立させ、国内外でいくつかの賞を受賞している。彼にたまらなく会いたくなると、インタビューが取り上げられている雑誌を眺めては自身を慰めた。

  初めて出会ったのは、彼が帰国して間もなく開かれた、協会の展示会だった。出会ったときから、いや、正確には出会う前から彼のことを好きになっていた。彼の作品を見て、圧倒的な力に引きこまれた。絢爛な色彩と迫力ある躍動感。惜しみなく花材を盛りこんだ作品は、一歩間違えれば下品ともとれるほど豪華で、夜空の星に匹敵する過密さで多彩な色がちりばめられ、眩暈を覚えるほど色の洪水がちくちくとまぶたを刺した。

  たとえば湯船から溢れるお湯、指からはみ出るほど立派な宝石、ありあまる時間、食べきれないごちそう、そういう無駄ともいえる余剰の部分だけで織り上げた、夢の世界だった。

  彼がどんな人であってもよかった。この作品を作った人を好きになるという予感があった。見た目も、年齢も、あるいは人間性だってどうでもいい。だから実際目にした彼が、四十六という年相応の、頭髪のやや薄い、へんなポロシャツを着てお腹をぽっこり突き出した、普通のおじさんだったことに少しも失望しなかった。

  彼は自身の作品の前で人々に囲まれていた。周りから誰もいなくなったころを見計らい、私は足音を忍ばせて彼に近づいた。横に立つと、伝えたいことはたくさんあったはずなのに言葉にならず、口をついて出たのは、なんだか胸が苦しくなります、という一言だった。

  彼は私を不思議そうに見た。私は慌てて、あなたの作品を見ていると、なんだか胸が苦しいぐらいにいっぱいになって、心が満たされました、と付け加えた。彼は人の好さそうな笑みを浮かべ、それは私にとっても喜ばしいことです、と深くうなずいた。そのとき彼への好意は決定的なものになった。

  教室の宣伝をする目的で始めたツイッターで、彼の名前を検索したら思いがけずヒットした。少し話した程度で覚えているのか不安だったが、メッセージを送ったら彼はちゃんと応えてくれた。またあなたの心を満たせるような作品を作りたいです、と見かけによらず気障な返信があって、それだけで舞い上がった。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。

 

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