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2016.12.30

『バージンチーク』 #7 大西智子

  一人寝の夜に言い知れぬ寂しさを覚え、深夜にツイッターを眺めていたことがある。寂しいなんて感覚はとっくに麻痺していたはずだったが、ときどきそうして頭をもたげた。平日の夜ふけに起きている人はさすがに少ないのか、タイムラインは滞っており、無人駅のようにひっそりとしていた。ほんの戯れに、ぽつぽつと文字を打った。さみしい、とただ一言を、一文字ずつ、指に文字をなじませるように打った。誰にも見せず、すぐに削除してしまうつもりだった。

  すぐに「いいね」されたという通知がきて、とても焦った。それが彼からだったので、よりいっそう驚いた。さみしいと打った文字の下で、ハートのマークが場違いに浮いている。なにが「いいね」なんだろうと思いつつも、それでも胸が熱いもので満たされ、その重みで夜の底に沈んでいくようだった。ちゃんと私のことを見ているという合図のような気がして、いつも見守られているような気がして、やっぱりこの人が好きだと強く思った。そのツイートは削除してしまったけれど、私の中でそのときの思いだけは消えずに残っている。

  もし彼と一緒になることができれば、と夢想しないこともない。私はなにより花が好きで、それは間違いないが、もしあの人と一緒になれるのなら、仕事のことなんかどうでもいいとさえ思う。彼のことを考えると自分の中から彼以外の一切のものが消え失せ、ただ好きな人と寄り添いたいと願う、つまらない女の卑小な魂が残るだけだ。

  彼から返信があった。たまたまだとしても返事が早いと嬉しくなる。どうぞ来てください。毎日午後から会場に詰めています。お越しいただける日を教えてくだされば、ご案内しますよ。

  全身が鼓動で波打つ。すぐにでも返事を打とうとしたが思いとどまった。汐里が寝返りを打つ。なにかうわ言のように呟いている。起きているのかと顔をのぞきこんだが、確かに眠っている。眉を寄せ、聞き取れない言葉を苦しそうに吐き出す。どうしたの、大丈夫だよしいちゃん、と声をかけ、玉の汗が浮いた額を撫でてやると、じきに強張らせていた表情をゆるめた。

  彼の個展があることは、以前から知っていた。ずっと楽しみにしていた。しかし今、汐里がいることを失念していた。連れていくべきだろうか。しかし。汐里は四月から三年生になる。留守番ぐらい一人でできる年齢だろう。だが万が一にもなにか起こらないとは限らない。預かった以上は責任がある。一人で放っとくわけにはいかない。どうしようかと頭を抱え、結論が出ないままぼんやりしているうちに、リプライまでの一時間が早々に過ぎていった。



「先生、これどう思う? あんまり多いと野暮ったいかしら」

「そうですね。なくてもいいかもしれませんね。ここは空間に余裕を持たせて、下に敷いたモスをあえて見せる感じで。それでも寂しいなと思ったら、花でなくグリーンを足しましょう」

  古株にあたる生徒の質問に、やわらかく答える。もうすぐ七十五に手が届くという彼女は、教室の主のような存在だった。私の手が足りないときはアシスタントとして働き、他の生徒に独自の指導までしている。

「最初に挿したこの枝がどうも邪魔なのよね。他の花が死んじゃうっていうか。大きくでーんと寝そべってるから存在感があるのよ。うちで寝転がってテレビ見てるダンナみたい」

「じゃあいっそそっちの枝をなくしちゃえば」

  横合いから他の生徒が口をはさむ。

「それがなかったらなかったで全体の収まりが悪いし、なかなか難しいのよ。まるきり役に立たないわけじゃないの」

「それって枝の話? ダンナの話?」

  もちろんダンナよ、と彼女は答え、他の生徒を笑わせる。

「ダンナのことも、花を挿したり抜いたりするみたいに、簡単だったらよかったのにねえ」

「あはは。やだ。先生の前であんまり夢壊すような話しちゃダメよ。先生まだ独身なんだから。ねえ先生、これからいい人見つけないといけないのにねえ」

  たちまち数人が声を上げ、けたたましく笑う。壁に乱れて反響する。

「ほんと、誰かいい人いたら紹介するのに。うちのぼんくら息子じゃダメだろうしね」

「あらあ、この際先生だって、選り好みなんかしてらんないわよね。もうすぐ四十でしょ? 結婚はいつでもできるけど、出産にはタイムリミットがあるからねえ。ダンナは必要なくても、子どもは産んどいたほうがいいわよ。父親がどんなのでも自分の子はかわいいから」

「それじゃあ種だけくれって言ってるようなもんよ」

  生徒たちの騒がしいおしゃべりがリビングの四隅にまで満ちる。六人の生徒が円形のテーブルをぐるりと取り囲んでいた。部屋の奥に座っていた私は、ねっとりした視線が絡みつくのを振り払い、一緒になって無理やり笑う。

  教室を開いている間、汐里には向こうの部屋で待機してもらっていた。レッスンはおよそ二時間だ。生徒って女の人? と汐里に聞かれ、そうだよ、と答えると安堵していた。今朝ネット通販で買った資材が届いたとき、手が離せなくて汐里に出てほしいと頼んだら、宅配業者の若い男からこわごわ荷物を受け取っていた。大人の男が苦手というのは、大げさではないようだ。

  ちょっとお手洗い、と断って席を立つ。汐里のいる部屋をのぞくと、作業机に化粧品や花材を並べ、頰杖をついてそれらを眺めていた。折り目正しく整列しているたくさんの化粧品は、大きさ、かたち、どれもばらばらだが、光沢があって艶めいているという点で同じだ。その化粧品の横には、色とりどりのスパークリングローズが並べられていて、その配色が虹だと気づき、思いがけない稚気に頰がゆるむ。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。

 

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