美ST ONLINE 無料会員登録 あなたの「美生活」に役立つ情報お届けします

新着
2017.01.06

『バージンチーク』 #8 大西智子

「しいちゃん大丈夫? なんかいるもんある?」

  背後から声をかけると、汐里は肩をびくりと震わせた。身を起こし、どこかうしろめたそうに化粧品をポーチに仕舞いこむ。

「そんな慌てなくてもいいのに。見てるだけじゃなくて、本当にお化粧でもしちゃえば。今は子ども用のお化粧セットなんかもあるんでしょ」

  汐里はゆるゆると首を振る。私はなにか言いかけたが、リビングから聞こえてきた生徒たちの会話に気を取られた。

「なんで独身なんでしょうね。恋人もいなさそうだし」

「男の人に興味ないんじゃないの。あんまり化粧っ気もないし、服装も地味だし、どうでもいいって感じだもんね」

「リビングや花にはこんなにこだわってるのにねえ。美意識は高いのよ。でも自分のことになると無頓着なのよね」

「先生ってなんでも自分だけで完結しちゃってるところあるじゃない。他人を寄せつけないっていうか」

「一人で食べていけるからって、このまま一生独身っていうんじゃ、いくらなんでもねえ」

  遠慮のない話し声が否応なしに耳に入ってくる。聞こえないとでも思っているのか、まるで声をひそめる気配がない。渦巻く会話の中に戻るのが憂鬱になる。詮索されたくなかったので、汐里がいることは話していない。

  あと一時間ほどだから、と言い置き、実際にお手洗いをすませてリビングに戻る。話題は先日生徒同士で行ったという、豪華ホテルの朝食ビュッフェのことに移っていた。テレビにも出ている女性評論家がたまたま居合わせ、バイキングなのに特別扱いされていた、テーブルまで食事を運んでもらっていた、一般には提供していないメニューを出してもらっていた、と憤慨している。

  だいたいデザートの杏仁豆腐もこんな小鉢にたったの二切れしか入ってないのよ、と話す彼女たちの手元には、手折られたように体を曲げた花たちが、行き場を失い散乱している。手の動きより言葉数のほうが圧倒的に多い。いくら私が懇切丁寧に指導したところで、繊細で可憐な作品など生まれるはずがないのだと、萎れたように首を垂れている薔薇を見て思った。



  生徒たちが帰ったあとのリビングは、いつもくたびれている。主婦感覚の強い生徒たちが部屋を汚すようなことはないが、なぜかそう感じられた。彼女たちは別に、花が好きなわけじゃない。ここは家事の合間に楽しくおしゃべりをするための、憩いの場だ。ついでにアレンジメントが作れたらそれでいい。

  もちろんそれでいいのだろうけれど、行き着く先がない。そもそもどこも目指していない。私にとってもそうだ。たくさんの花でリビングを飾り立てようと、小物入れひとつにこだわって細部まで気を利かせようと、見せる相手が生徒たちだけでは報われない。

  我ながら馬鹿なことを考えている。結婚がどうのと言われたことを気にしているのだろうか。あんなふうに言われることには、もうとっくに慣れている。慣れているはずなのに、毒や憐れみを含んだ言葉は、過剰に私を責め立てる。

  掃除機をかけていると、暇を持て余していた汐里がリビングのあと片づけを手伝ってくれた。よほど退屈だったのか、テーブルを拭くように頼んだら、はりきって布巾をしぼった。プリザーブドフラワーのアレンジメントでは、ワイヤーをたくさん使う。その切れ端がテーブルや床に飛び散っていて、よく掃除をしておかないと危ない。

「この花って、枯れないの」

  汐里が青く色づけされた薔薇を見て尋ねる。

「うん、そうだよ。特殊な溶液につけて加工してるからね」

「ずっとこのままなの」

「何年ももつけど、だんだん色褪せてはくるよ」

  私はプリザーブドフラワーしか扱わない。専門学校では生花のアレンジから学んだが、どんなに手厚く世話をしてもせいぜい一カ月で枯れてしまう生花よりも、扱いが楽な上に長期間の鑑賞に堪えうるプリザーブドフラワーが好きだった。

「ふうん。なんか、かわいそう」

  汐里は抑揚のない声で言った。

「かわいそう? どうして」

  なにかしら子どもなりの感傷があるのか、汐里は人工的に色づけされた花をじっと眺めている。

「枯れることなく美しい状態を保ったままいられるのは、花にとっても誇らしいことなんじゃないかな。ほら、お母さんも言わない? 年は取りたくないって。ずっと若いままでいたいって。しいちゃんだって、今みたいなぴちぴちのお肌のままでいたいでしょ」

  冗談めかして言ったが、同時に違和感もあった。私が年齢を重ねることに怯えるようになったのは、いつからだろう。

「お母さんは、そんなこと、言わない。私にも、早く大人になりなさいって、言う。なんでも自分で選べて、なんでも自分でできる大人に」

  汐里は一心に手を動かしている。落とした視線はテーブルの一点をとらえていた。布巾を握った手が、同じところを行ったり来たりする。機械のように正確な動きだった。

「しいちゃんは早く大人になりたいの?」

「子どもは弱いから。全部大人の言いなりだから。早く、そういうのをはねのけられる力を、つけたほうがいいんだって。それで、好きにしなさいって。お母さんに頼らなくても、一人で生きていけるように、しなさいって」

  私は口をつぐむ。茶化せるような雰囲気ではなかった。汐里の真剣な表情を盗み見る。背後からピンスポットを浴びているように、顔に影が差す。汐里の薄い唇が開いて、なにかを呟く。その小さな呟きは音にならず、唇をかすかに震わせただけだった。

  見れば汐里の指に、ワイヤーのかけらが刺さっている。汐里はその指を眼前に持ち上げ、無心に見ていた。ワイヤーがはらりと落ち、指に赤い水玉が膨らんだ。汐里はそれを見続ける。痛いともなんとも言わない。血が滴るのをうながすように、ぼんやりと視線を送る。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。

 

セレSTORY ここで買える kokode.jp

totop
Mail
Instagram
rss
美ST
美魔女
セレSTORY
STORY
光文社

Copyright© 2017 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.