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2017.01.27

『バージンチーク』 #10 大西智子

  かつては姉のほうが自分より上等な人間だと思っていた。だが今はどうだろう。独身で恋人もなく友人も少ないが、私のほうが姉よりはずっとましな生き方をしているんじゃないだろうか。上等な、という表現がふさわしくなければ、上品に、慎ましやかに生きている。少なくとも姉のように、人に迷惑をかけてはいない。

  姉に対して感じた憐れみは、そのまま汐里に伝染した。汐里を預かったのは、今の自分は姉よりも優れていると、そんな薄暗い裏づけをとるためだった。だが汐里から憐れみを向けられたとき、まざまざと自分の本当の立ち位置を思い知らされた気分だった。



  個展は商業ビルの五階にあるギャラリーで開かれていた。お花を見に行こうと誘ったとき、汐里は特別な関心を示さず、かといって拒みもせず、行くかどうかを決めるのは自分ではないと、はなから私に委ねているふうだった。あれから姉に何度か電話をしてみたが、結局連絡はつかないままだ。

  平日の昼間といえど春休みで、若者たちで街はどこかふわふわしている。濡れたように光る駅からの道を、汐里と手を繋いで歩いた。歩道の脇に植えられた白木蓮の花が、道路に細かな影をいくつも落としている。

  彼の個展に行くのは初めてだった。浮かれた気分そのままに、いつもはあまりしない化粧を薄く施してみた。口紅を引いてほんのりチークを入れたぐらいだが、彼はいつもとはちがう私の色づいた唇や頰に、気づいてくれるだろうか。

  汐里にも新しいワンピースを買ってあげた。近所のスーパーの衣料品売り場で買ったものだが、いつも着ているような毛玉だらけで擦り切れた服よりは幾分ましだろう。正直に言うと、みすぼらしい格好をした汐里を連れて、彼に会いに行くのがはばかられた。

  好きな服買っていいよと言うと、汐里は時間をかけてあれこれ手に取りじっくりと選んでいた。その中でも、スカートがピンポンマムみたいに膨らんだピンクのワンピースを熱心に見つめていたので、試着してみる? と聞いたが黙って首を振った。小一時間はたっぷり悩んだ末、シンプルなグレーのワンピースに決めた。子どもが着るにはずいぶん落ち着いた色味とデザインだったが、姿見の前で胸に押し当ててみると、汐里には悲しいぐらい似合っていた。横に並んだ私も同じような色合いの服を着ていることに気づき、一人でこっそり苦笑した。

  出かける前、胸についていたリボンを結び、襟を直してあげると、汐里は、ありがとう、とはにかんだ。それはいびつな笑みだったけれど、とてもまっすぐ胸に届いた。そのワンピースを着ている汐里は、ずっと下を向いている。

  汗ばんできた手のひらに、きゅっと力をこめる。汐里は振りほどこうとはしない。そうか、もう手を引いてあげないと歩けないような幼児ではないのだな、と気づいたが、ほんのり湿った汐里の手が冷たくて心地よく、そのままにしておいた。

  初日はレセプションパーティーがあって人の出入りが多いだろうから、あえて二日目に行くことにした。そう連絡すると彼は快い返事をくれた。お会いできるのを楽しみにしております、という明らかな社交辞令にも、上擦った気持ちにならずにはおれなかった。

  入り口には小さな看板が立てられていた。ギャラリーはとても静かな場所にあった。中に足を踏み入れるとさらなる静寂が押し寄せ、壁や天井の白がやさしく目に降り注いだ。彼がなぜここを選んだのかわかる気がする。とても清らかなスペースだ。パーテーションで目隠しがされていてまだ室内の全貌は見えないが、こぢんまりした空間に人の気配はない。奥に進むと同時に、汐里の指が手から離れた。

  パーテーションの内側に入ったとたん、目の眩む思いがして、大きく息を吸いこんだ。一気に血流が上昇して顔が火照る。泣く直前のように、まぶたが痛くなった。

「すごい……」

  思わず声に出していた。どう表現していいのかもわからず、一番素直で飾り気のない賛辞が口をついて出た。それ以上の言葉は必要ないように思えた。

  数十点ほどの作品に囲まれた部屋の中央、ひときわ目を引く場所に大きな作品が据えられている。それは私の背丈ほどもあるサイズで、しかし実際より大きく見え、仰げば花々が滝のように流れていた。

  オールドローズ、ダリア、カーネーション、スプレーマム、シンビジウム、ガーベラ、ジャスミン、輪菊など大小さまざまな花と、アイビー、ベアグラス、パピルスリーフなどの細長い葉が、壮大な川の流れを表現している。それらの植物が線を引く一本の水流となって、連なり、膨らみ、すぼまり、強弱をつけ流れている。ぼうっと突っ立っていると危うくさらわれそうになる。さらさらと涼やかに流れる小川ではなく、命の源である海へと繋がる、悠久なる大河を連想させた。

  足下には「千年の流れ」というタイトルと、ダミアン坂下、という名前が書いたプレートが置かれてあった。彼は生粋の日本人だ。僕たちは人に夢を与えるのが仕事だから、多少大げさでも華やかな名前をつけたほうがいいよ、というアドバイスと共に、黒十字百合子という名前をくれたのは、他ならぬ彼だった。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。

 

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