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2017.02.03

『バージンチーク』 #11 大西智子

「黒十字さん」

  不意に呼ばれ、我に返った。ふくふくした笑みをたたえた彼が、そこに立っていた。ぼんやり見惚れていた気恥ずかしさと、内からこみ上げる熱が抑えきれず、伏し目がちにお辞儀をした。汐里が隣で顔をしかめるのがわかったが、それどころではない。

「来てくれたんですね。ありがとうございます」

  彼は親しみやすい口調で話しかけてくる。潮が満ちる。私の体内が彼で埋まっていく。紺色のジャケットの下に、またへんなポロシャツを着ている。自分を飾り立てることについては興味がない、という点で彼は私と似ている。

「いえ、こちらこそ……。こんな素敵な作品にお目にかかれて幸せです」

  率直に言うと彼は深くうなずいた。そう言っていただけるのが僕にとっても、一番の幸せなんですよ、と衒いもなく言う。話し方には人の好さを感じさせるが、確かな自信がみなぎっている。自ら生み出した作品を誇り、人に賛辞されるのが当然だと受け止めている。努力を重ねた結果として身についた、実力と才能に裏打ちされた自信は清々しい。

「こちらが、姪御さん?」

「ええ、はい、汐里といって、今度から三年生で……」

  紹介するが、汐里は彼と目を合わせようとはしない。花を見に行くと言っただけで、彼のことは伝えていなかった。なるべく二人が近づかないよう、間に入って距離を取る。

「お二人はなんだかそっくりですね」

  目尻を下げる彼に、微妙な笑みを返す。黙ってうつむいている汐里の態度を、単なる人見知りととらえたのか、彼はやさしく微笑んだ。本当の親子みたいですね、と顔のしわをさらに深くする。確か彼の子どもも汐里と同じぐらいの年齢だ。ゆっくり見ていってね、と彼が丸みのある声をかけて背中に手をやると、汐里はあからさまに身を引いた。野良猫みたいにさっと私のうしろに隠れる。

「しいちゃん、ほら、あっち見に行こうか。ごめんなさい、この子ちょっと知らない人が苦手で」

  慌てて言いつつ、彼からそっと離れる。急に足場が不安定になった気がして、立ち眩む。戸惑っている彼を置いて、壁際の作品を汐里と二人で見る。

「ほら、みんな素敵でしょ。しいちゃんは、この中でどれが一番好き?」

  汐里はなにも答えない。場を取り繕うため、私はしばらく一人でしゃべることになった。

「しいちゃん見て、これとかすっごいきれいだね。ね、不思議でしょ。レース模様の薔薇なんて。これね、花びらを一枚一枚はずして、レースをはさんで、もっかい薔薇のかたちに戻してのりでくっつけてあんの。こっちはね、薔薇の芯が見えるように半分に切って、花びらを貼り合わせて大きくして……」

「やだ……」

「え?」

「……なんか、へん。気持ち悪い」

  汐里の唇の隙間から、吐息のような声が漏れた。やっと口を開いたと思ったら、とんでもないことを言いだす。

「でもすっごい手間がかかってるんだよ。これなんかね」

「切られたり、花びらとられたり、かわいそう」

  私の言葉を手で払いのけるように言った。二人の会話はきっと彼にも届いている。私は息苦しさを覚えるほどの焦りを感じる。

「うん、でもさ、ずっときれいなままでいられるんだから、花にとってもいいんだよ」

「そんなことしなくても、きれいなのに。なんで、わざわざそんなことするの」

「いやでも、みんながそれを見てわあきれい、って思ってくれたら、いいじゃない」

「みんなのため?」

「花だってきっと喜んでるよ。きれいにしてくれてありがとうって」

「勝手に切ったり、貼ったりされても?」

「まあでも、花が痛がるわけじゃないし」

「じゃあ喜ぶわけでもない?」

  声が無遠慮に響き、反響した音が耳たぶをかすめる。汐里がむきになればなるほど、自分のほうが間違っているような気がしてくる。花にそこまで感情移入できることが、羨ましいような、呆れるような、なんとも言えない気持ちになる。子どもながらの感性というだけではすまされない、切実なものがあった。汐里が今なにを考えているのか、まるでわからないことがもどかしい。喉の奥で発するべき言葉が密閉され、胃に沈む。

  花をかわいそうだという汐里の気持ちも、まったく理解できないわけではない。たとえば擬人化された動物のキャラクター、昆虫の標本、異種交配させて生まれてくる新たな生き物。それらをグロテスクと感じるのは、人間本位の傲慢さを感じ取るからだ。花は人を喜ばすために咲いているんじゃない、という自明のことを忘れてしまいそうになる。

  言葉に詰まっている私に代わって、彼がそっと、汐里の傍らにしゃがみこむ。目線を合わせると、穏やかに、几帳面に綻びを直すような声色で話した。

「汐里ちゃんは、やさしい子なんだね。確かに、そういう意見もあると思うよ。本来の姿を崩して、切ったり貼ったりするなんて、花の尊厳を無視した行為だってね。なにもしなくても、そのままで美しいものを、どうしてわざわざ加工するんだ、枯れるから美しいんだ、と主張する人もいる。でも僕たちはね、花のよさを最大限に引き出す方法を知っている。プロとして、いかに美しく見せるかを知っているんだ。花を加工したところで、本質までは変えられない。本来の美しさに、人の作った美しさを上乗せするだけだ。そのためにいろいろ勉強したり、研究したり、技術を磨いたり、たくさんの努力をしているんだよ。そして誰よりも花を愛している」

  真正面からのぞきこんでくる彼を、汐里は緊張した面持ちで見ていた。数歩あとじさり、逃げようとする汐里の腕を、彼がとらえる。汐里の体がびくんと跳ねた。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。

 

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