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2017.02.10

『バージンチーク』 #12 大西智子

「花は咲いて、枯れて、散ったらそれで終わり。美しくいられる時間は少ない。僕たちはその美しくいられる時間を引き延ばすお手伝いをしているにすぎない。切り貼りするのも、花のよさを際立たせて、よりよく見せるために必要なことなんだ」

  彼の口調にだんだん熱が宿るのがわかった。言葉を切り、効果的とわかっているタイミングで満面の笑みを入れる。汐里はそんな彼の顔を、まばたきさえ忘れて見入っている。その表情は、泣く寸前のようにも、怒る寸前のようにも見えた。

  私はそわそわして、二人の間に体を割りこませようと思った。彼が汐里の頭を撫でる。わざとなのか、わりと荒っぽい手つきで、くしゃくしゃと髪を掻いた。汐里の顔が強張っている。私はますます不安になり、鼓動が高くなる。一瞬の静けさが満ち、彼に再び腕をつかまれたとき、汐里が叫んだ。

「いやあ!」

  鶏の喉をひねり潰したような、汐里から発せられているとはとても思えない音だった。聞く者を不安にさせる、甲高い音色だ。

「やめて! 離して」

  汐里が腹の奥から悲痛な叫び声を上げた。彼が汐里を落ち着かせようと、肩に手を置く。やだ、さわらないで。言葉が床に跳ね返る。大丈夫、しいちゃん、と私が声をかけても、首を振っていやいやをするばかりだ。汐里が耳を塞ぐ。手を振り払われた拍子に、彼は仰け反って尻餅をついた。そのときギャラリーの入り口から大学生ぐらいのカップルが入ってきた。

  入れ替わるように汐里が走り去っていく。カップルは目を丸くしていた。私もあとを追いかける。廊下に出ると足音が高く響いた。待って、しいちゃん待って。私の言葉は足音に埋もれる。懸命に汐里を追い、うしろから抱きとめる。大丈夫、大丈夫だからと繰り返し、逃げようとする汐里と共に、エレベーターの中になだれこんだ。

  扉が閉まり、狭い箱の中がむっとした熱気と湿度に包まれる。エレベーターが動く。一階までノンストップで降下する。ドアが開くと、エレベーターを待っていた人が私と汐里を交互に見た。その視線をかいくぐり、エレベーターから降りてビルを出る。今度は行き交う多くの人が、不躾な視線を送ってきた。私は途方に暮れ、道に迷ったような心細い気持ちで、汐里の背をさすり続けるしかなかった。



  姉の家へと向かう道のりを、再び汐里と手を繋いで歩いた。汐里はすっかり疲れきった様子で、終始うつむいている。汐里と一人で向き合うのは荷が重く、いっそこのまま親元に帰そうと思った。姉から聞いていた住所はこの辺りだ。都内とはいってもずいぶん外れだった。

  姉に電話をしたがやはり繋がらない。留守なのかもしれないが、汐里が合鍵を持っていたので、帰ってくるまで待たせてもらうつもりだ。汐里にかける言葉もないまま、道路に伸びた二人分の影が、しみのように広がるのを見ていた。住宅街に人気はなく、ひっそりと家々がたたずんでいる。

「しいちゃんちって、どこかな?」

  汐里が顔を上げる。指を差したのは、小さなマンションだった。それなりの築年数を経ているのか、外観はきれいにリフォームされているが、中はモスグリーンの壁がひび割れ、いろんな色が混じり合った雨だれのあとがある。エントランスを入ってすぐにある急な階段を通り過ぎ、奥のエレベーターに乗りこむ。無機質に乾き、生物が息づいている気配がない。

  姉の部屋は四階だった。エレベーターは大げさな音を立て、揺れながら昇った。玄関ドアの前に立ち、おもちゃみたいな音色のチャイムを鳴らすと、あっさりドアが開いた。姉が寝起きの顔をのぞかせる。腫れぼったいまぶたで私と汐里を認め、大きく目を開いたが、すぐさま険しい表情を浮かべた。

「寝てたの?」

  私の質問には答えず、どうしたのよ、と不機嫌に聞いてくる。髪をかきあげる顔はひどくやつれていた。すっぴんだからなのか、この前とは印象が全然ちがう。若々しく華やいでいた容貌の面影がなかった。化粧ひとつでこうも変わるのか、これは本当に姉なのかと疑う。目の前には四十を過ぎた、年相応に見える女がいた。表面的な美しさを取り繕っていても、中身は私とさほど変わらないことに気づく。

「ちょっと、しいちゃんが大変だったの。中、入っていい?」

  私がそう言うと、渋々招き入れてくれた。自分が歓迎されていないことはわかったが、それよりも汐里の態度が気になった。他人の家に上がりこむように、ぎこちなく靴を脱いでいる。

「大変って、どんな」

  姉はお茶を出す気もないようで、ひどく気だるい様子でキッチンの椅子に腰かけた。汐里が床にぺたりと座りこむ。キッチンの隣には和室があって、ふすまが開け放たれていた。和室にはカラーボックスや衣装ケースやお菓子の空き缶などが無造作に積まれている。ハンディタイプのモップ、スリッパ、ティッシュケース、クッションカバー、コルクボードなど、百円均一で買いそろえたような小物が目立つ。

「さっきね、私の知り合いの人に、会いに行ったの。そしたらしいちゃん、パニック起こしちゃって」

「知り合いって、男?」

  姉の目がぎらりと光った。気圧されて、うん、とうなずく。姉は長いため息をついた。

「だから言ったじゃない。ダメなんだって、この子」

「うん、ごめん。でも少しぐらいならって」

「だから念押ししたのに」

「あんな取り乱すほどだとは思わなくて。理由もちゃんと聞いてなかったし」

  言い訳すると、姉は歯が痛むのを我慢するように顔を歪めた。

「ほんとダメなのよ」

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。

 

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