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2017.03.03

『バージンチーク』 #15 大西智子

  いつか汐里がやっていたように、テーブルにひとつずつ並べていく。それだけでなんだかわくわくした。汐里の張りのある肌を見る。病的にさえ見えるほどの白い肌。まだなにも描かれていない真っ白なキャンバス。ここに色をつけることができたら、なにかが変わるのではないかと予感させた。やってみたい、と思った。自分とよく似た汐里の顔を、もし変えることができるなら。私は自分と向き合うつもりで汐里の正面に座った。

  並べた化粧品を眺める。本当に宝石のようだ。ひときわきらきら光っているケースに目が留まる。漆を塗ったように光沢のある黒いケースには、Guerlainと書かれてあって、いかにも大事なものが入っていそうだった。ケースを開くと、それはチークだった。淡く細やかな色がきれいで、ナデシコの花を連想させた。ナデシコの英名はPinkだ。ピンクという色名はナデシコからきている。グリーンを引き立てる小ぶりな花。かわいいピンク。そうだ、これだ、と直感的に思った。きっと汐里に似合う。

  鱗のような模様の入ったチークを、ブラシでそっと撫でた。そして小高い丘のように盛り上がった、すべらかな頰にやさしい色をつける。グリーン一色のようだった顔に鮮やかな色を足す。何度かブラシを動かしたら、発色のいいチークは繊細で輝くような色を放った。

  上体をそらし、やや距離を離して汐里の顔を眺める。のっぺりとして見えていた白い肌にふんわりと花が舞い、健康的な色味が増した。照明が当たったように暗い陰がリセットされ、足りなかったものが補われる。印象的なフォーカルポイント。たったひと差し、ひと塗りで、華やかに見違える。チークを塗った汐里の頰はぱっと目を引いた。淡く、自己主張しすぎない程度の、でも確かにそこにあると感じさせる、しっかりと全体を包みこむ色だった。汐里の顔が、やわらかく生まれ変わった気がした。

「しいちゃんかわいい」

  私が思わず漏らした言葉を聞いた汐里が、疑わしそうに鏡をのぞこうとする。ちょっと待って、とその手を押し留める。

  嬉しくなって、ついでにアイシャドウや口紅も塗ってみる。汐里は緊張した面持ちで目を閉じていた。さっとチップやブラシを動かすだけで、色彩は汐里の顔によく溶けた。化粧を施したところの輪郭がはっきりしてくる。顔全体が徐々に明るくなり、ばらばらだったパーツが統一されていく感じがした。パールをのせた目元は明度を増して光り、グロスを重ねた唇は濡れた果実のようにぷっくり膨らんだ。配色もバランス感覚も、フラワーアレンジメントの要領と大差はないようだった。色を補い、できあがっていく汐里を見て、ああ、やっぱり、と思った。この子は姉の子だ。だからこんなにも化粧映えがする。

  我ながら、魔法をかけると言ったのも大げさではなかったと思う。大きなトラックが目の前を横切った瞬間に、信号が青に変わっていたことがあって、まるで魔法をかけたように見えたことがあったが、今まさしく自分は、あのときのトラックだ。なにも別人みたいに劇的に変わったわけではない。だがぼんやりしていた印象の薄い顔立ちに、少し色を足しただけで地盤が踏み固められ、しっかりした芯が通る。

  汐里は「みにくいアヒルの子」なのだろうか。子どもの間はぱっとしない見てくれでも、大人になったら見違えるほど美しくなって、空に羽ばたいていく。汐里が成長したらどうなるのだろう。自分に似ていると思っていた味気のない顔が、どんどん変貌し、姉によく似たものに変わっていく。もしかしたら私たち三人は、とてもよく似ているのかもしれない。だったらあるいは私だって、変わることができるのかもしれない。

「ねえしいちゃん、どう思う」

  そこでやっと汐里に手鏡を向けてあげた。汐里が目をまんまるくする。小ぶりの花が恥じらうように咲きこぼれ、満面の笑みが広がる。その表情がとても子どもらしくてかわいらしくて、私の頰もゆるんだ。化粧をした汐里の顔が、今日着ているグレーのワンピースによく映えている。ひらひらのレースやフリルよりも、シンプルで落ち着いたデザインと色が、汐里の素朴なよさを引き出していた。

「ね、かわいいでしょ、すごく」

  誇らしげに私が言うと、汐里はうなずき、照れくさそうに笑った。まだ笑顔はぎこちない。

「私じゃないみたい」

  汐里が素直な感想を漏らす。私は自慢げに胸を張る。

「アレンジするのは得意だからね、私。美しさを引き出すために、花を加工するのといっしょだよ。ね、こういうのも、悪くないでしょ」

  得したのかしていないのか、汐里は緩慢にうなずく。

「アレンジに使えない花なんてないんだよ。それとおんなじで、工夫すれば誰だってきれいになれる」

  断言しつつも、多少の居心地の悪さを感じる。磨いて飾り立てたところで無駄だと最初から諦めて、努力もしてこなかった自分を振り返る。

「でも私、かわいくないって言われる」

「誰に?」

「イリタニくん」

「イリタニくん? 誰それ」

「クラスの男の子」

「馬鹿だね。全然わかってない。気づかないだけだよ、まだ子どもだから。そのうちしいちゃんに頭下げてくるよ。仲良くしてくださいって。しいちゃんは、ちゃんと、きれいでかわいい。見た目だけじゃなくて、気持ちも。だから自信持っていいんだからね」

  奥歯に力がこもる。現実に流されそうになりながら、汐里は不安定に揺れている。私にも、心ない言葉で傷つけられた経験があるからよくわかる。自分が悪いわけではないのに、寄る辺のない痛みや罪悪感に潰されそうになる。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。
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