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2017.03.10

『バージンチーク』 #16 大西智子

「でも、イリタニくんは、いつも、ドッジボールのとき、チームに入れてくれる」

「へ? ドッジボール?」

「私、へただから、チーム分けするとき最後まで余って、なかなか入れてもらえないんだけど、イリタニくんは私のこと選んでくれるし、集中攻撃されたときも、かばってくれるし」

  汐里がもじもじと唇を噛み、目を泳がせる。その様子に直感的に悟ってしまう。

「しいちゃん、イリタニくんのことが好きなの?」

  汐里はなんとも言わなかったが、返事を聞かなくても十分に伝わってきた。

「じゃあイリタニくんにも、今のしいちゃん見せてあげたいな」

「いいよ、そんなの」

「なんで」

「イリタニくんのこと好きな子、いっぱいいるから」

「じゃあ他の子に差をつけるチャンスじゃない」

「ううん」

「どうして。もったいない」

「いいの、イリタニくんはいつも、外野からボールを渡すと、ありがとうって、言ってくれるから」

  汐里の固く引き結んだ唇を見る。ちゃんと本心から言っているように見えた。なんだか身につまされるものがある。不器用に恋をして、報われず、どうするつもりもない思いを、こんな小さな女の子も抱えているなんて。

「それだけでいいの?」

  うん、と小さくうなずいた。とても歯痒い思いがする。私にできることがあまりにも少ない。こうやって化粧をすることで、それになんの意味があるのかと問われれば、返す言葉もない。汐里にはこれからも、しんどくて、生きにくい人生が待っているのかもしれない。だがそのことに対して私はあまりに無力だ。

  私が本当の魔法使いだったらよかったのにと、心の底から思う。見た目も内面も変えて、心を補強してあげるのに。そしてずっと解けない魔法をかけてあげる。せめてこの子が現実に潰されない強さを手に入れるまでは、解けない魔法であってほしいと願う。

「お義父さんにも、言われた。私は、かわいくないから、しっかり勉強して賢くならなきゃいけないんだって。一人でも生きていけるように、ならなきゃいけないって」

「なにそれ。馬鹿みたい」

  ずかずかと土足で踏みこまれる不快さがあった。腹の底が熱くなる。目の前に相手がいれば、ありったけの悪意をぶつけてやりたい。

「お母さんからもらったお化粧も、しちゃダメだって、言われた。まだ早い、おまえには似合わない、って。取り上げられそうになったから、ずっと隠してた」

  そんなの、と私は息継ぎを忘れて言った。

「いつでも簡単にできるんだよ。こんなことは、なんでもないんだから。好きにすればいいの。私がいつでもしてあげる。私がいなくても、やりたくなったら自分ですればいい。こうやって化粧して、そのたびに鏡を見ればいい」

  誰かに認めてもらうためじゃなくて、自分の内側を埋めるために化粧をしているのだから、咎められる必要などないはずだ。現実はなにも変わらなくても、外見を装うことで少しでも強くなれるのなら、縋ってもいいじゃないか。姉が完璧なまでの化粧を施して、「武装」していた気持ちが、今なら少しわかる。

「大丈夫。しいちゃんはなんにも悪くないし、とってもいい子だから。それにほら、こんなにもかわいい」

  いつか母親の弱さを受け入れられるまで、強くなってほしい。大人になるまで潰れずにいてほしい。そして無条件に人を惹きつけるような、自然な笑い方ができるようになればいい。計算されたものではない、心から出る本当の笑顔は、誰もが魅力的だと感じるはずだから。

「ねえ、やっぱりさ、このままイリタニくんに会いに行っちゃおうよ。ひと目だけでもさ」

  汐里の顔が白く光っている。その顔を抱いて包みこむ。汐里の髪が私の頰にかかった。つむじに鼻を寄せ、子ども特有の甘酸っぱい匂いをかぐ。汐里の髪に顔を埋めて体温を共有していると、私たちだけ空白の中に取り残されたようで、少し心細くなった。

  汐里を抱きながら、生まれ変われるだろうか、と考える。イモムシから蝶とまではいかなくても、なにかに変わることはできるだろうか。年齢を重ねることにただ怯えるだけではない自分に。コンプレックスを抱くだけではない自分に。私だっていつかは変わりたい、と願っているのだ。たとえばあんな、きれいなチークで色をつければ。

  体が浮き上がる感覚がする。私と汐里は一対の羽だ。蛹からやがて羽化して重力から解き放たれる。汚水の中で孵る幼虫でもいい。ほんの少し陽が当たれば、地下から生まれてくる蝶だっているかもしれない。

  姉のことや、彼のことを振り払う。うまくいかなくても、自由に飛びまわっていれば、ひとつの花だけに妄執することもなくなるかもしれない。自信をつけることができれば、もっと広い世界に飛び出せるかもしれない。

  汐里が腕の中でかすかにうなずいた。空っぽの白いポーチの底で、銀色に光るものが見えた。それは、あのときファミレスでもらったメダルだった。汐里の目から涙がぽろりとこぼれた。ああ、また化粧をやり直してあげないといけないな、と思う。

大西智子 Tomoko Onishi
1979年大阪府生まれ。 京都光華女子大学卒業。 2008年に『ベースボール・トレーニング』で第26回大阪女性文芸賞を受賞。 2014年に収録作の『カプセルフィッシュ』が第8回小説宝石新人賞・優秀作に選ばれ作家デビュー。
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