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2017.03.24

『ありのままの女』 #2 麻宮ゆり子

  部門リーダーの縄井春夫がパソコンを見たまま「くっ」と笑った。彼の右手の親指の爪は噛みすぎてギザギザになっている。無意識に噛むのがくせなのだ。

「縄井くん、武下さんにフロアを案内してあげた?」

「いえ」と間の抜けた声が返ってくる。

「あなたリーダーでしょ。月曜に部門長会議があるのを知ってて、どうして突っ立ったままでいさせたの?」

  怒気をはらんで睨むと、「は、すみません」と、丸まった背を伸ばしている。

「あなたも自分から声くらいかけなさい」

  武下さんに促すと、「でも、お忙しいようでしたので」と言って縄井くんの方を見ようともしない。互いに顔をそむける縄井くんと武下さん。よくわからないが、私が来る前に何か一悶着あったのだろうか……?
  縄井くんは四十二歳。総務に異動になってから六年以上経っている。
  私の総務歴は四年――。前任の総務部長が定年になる際、縄井くんに「次の部長はきみじゃないかな」と言ったらしい。まったく、適当なことを言ってくれたものだ。実際はこうして私が部長としてやって来たものだから、昇進を期待していた縄井くんは相当なショックを受けたようだった。いまだ根に持っているであろうことは、彼の挑戦的な態度や、私を見下すような目つきによく表れている。
  私は手を叩くと、武下さんに、自分を入れた五人のメンバーを紹介した。


    総務部・部長/水元闘子(四十七)
      リーダー/縄井春夫(四十二)
  以下、特別枠社員/斎木匡(三十一)
          /蓮沼栄一(三十六)
          /飯野美子(三十四)


「……そして、これから新しく総務に入る武下さんです。じゃ、自己紹介してください」

「武下です。年は二十九です。よろしくお願いします」

「趣味とか特技とか、他には?」

「特技……。あッ、私、JCUの出身なんです!」

  JCU(Japan Christian University)は名門・日本基督教大学の略称だ。口の端を上げた縄井くんが口を挟む。

「はあ? JCUってなんだよ。普通自分から略して大学名言うかなあ。JCUだけどまだ本気出してないだけってこと?」

  武下さんはむっとした顔を隠そうともせず、縄井くんを見返した。

「私、別に総務に入りたくてこの会社に入ったわけじゃありません。第一希望は広報でした。ばかにしないでください!」

  すると、ずっと武下さんをじろじろ見ていた斎木くんが、めがねの縁を持ち上げた。

「というと、ここで働いている僕たちは、ばかだと言われているようなものですね」

  斎木くんの物言いは、はっきりしている。彼は人の気持ちや場の空気を読むことが病的に苦手なのだが、見た目が涼しい男前なので女性社員からのウケは悪くない。
  斎木くんの隣の席の蓮沼くんが、ポンと手を叩くと気楽な口調で言った。

「そうか、俺言われるまでわかんなかった。斎木くんは頭がいいな!」

  蓮沼くんは前に勤めていたガテン系仕事の際に遭遇した事故の影響で、今は車椅子に乗っている。かつては長い木材を抱えながら、高い足場をすいすい歩いていたようだ。
  蓮沼くんの隣の飯野さんが、怯えた目つきで首をすくめながら洩らした。

「武下さん、なかなか勇気のある方ですね……」

  飯野さんは気分の落差がはげしい人だが、うつな気分が強いときは、たいてい魔女に似た真っ黒なワンピースを着ているから、見た目にはわかりやすい。
  斎木、蓮沼、飯野の三人はそろって三十代、「特別枠入社」の社員である。
  彼らは医者の診断書を前提にこの会社に入社している。
  武下さんはこういった「特例の社員」が総務にいることを、前もって聞いていたはずだ。そのせいか、露骨に軽蔑するような目を斎木、蓮沼、飯野の三人に注いでいる。そんな彼女の価値観を踏まえた上で、あえて伝えてやる。

「斎木くんは東大の院出身よ」

  たちまち武下さんは腹を立てたような顔になり、競争心をみなぎらせる。

「と、東大の院は比較的入りやすいって聞いてます」

「大学も東大」

「えッ」と言って目を見張った。

「ちなみに飯野さんは東京藝大出身」

「……へ、変人ばかりの大学ですから」と謙遜する飯野さん。

  蓮沼くんが声をあげる。

「俺は工業高校出身だぜ、イエス!」

  蓮沼くんは事務作業があまり得意ではない。キーボードは人さし指で打っている。しかし彼の性格に私は何度も救われた。暗い雰囲気に染まりやすいデスクワークには、彼のような明るいムードメーカーが必要なのだ。

麻宮ゆり子 Yuriko Mamiya
1976年埼玉県生まれ。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治賞受賞。'13年『敬語で旅する四人の男』で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。著書に『敬語で旅する四人の男』『仏像ぐるりの人びと』がある。

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