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2017.04.07

『ありのままの女』 #4 麻宮ゆり子

  一年近く交渉を続けた生地メーカーの名前、似たデザイン、同じようなコンセプト……。

「出し抜かれてるじゃないか。これ、おまえの亭主の会社だろう」

  ――どういうこと?

  が、声が出ない。冊子を持つ手が震え、全身ぐっしょりするほど冷や汗が湧いてくる。上司はそんな私に鋭い一声を放った。

「水元、おまえはいったいどこの社員なんだ」

  何も言い返せなかった。アイデアを盗まれたなんて訴えられるわけがない。だって相手は、同じ屋根の下に暮らす私の夫なのだから――。
  夫の携帯に何度も電話を入れたが彼は出なかった。家に着くと、鞄を横に置いたまま階段に座り、着替えるのも、化粧を落とすのも、夕食を作るのも忘れて彼の帰りを待った。
  結局、夫が帰って来たのは深夜一時を過ぎた頃だった。感情的にならないように追及すると、彼はネクタイをゆるめながら、いつもののんびりした口調で言った。

「トーコちゃん、いつかは会社辞める予定なんでしょ? 何が問題なの? 俺たちは家族なんだよ。俺がこの企画で出世すれば、きみの懐だって潤うだろ?」

  その言葉を聞いた翌朝から、急に私の目には彼が、今まで見ていた「夫」とは別人のように映るようになった。まるで目玉を入れ替えたのかと思うほどだった。
  ……この人はいったい誰? どうして私、この人と一緒に暮らしているのだろう?
  そうして膨らみ続けた違和感は、結果として私たちの離婚を招き、さらに私の離職にまでつながってしまった。



  ワンルームへ引っ越してすぐ、母から電話がかかってきた。
  ――この大ばかやろう! 結婚なんかするんじゃないって何度も忠告したじゃないか、まったく。魂子は勝手に沖縄の男について行くし……。聞いてるの? トーコ? トーコ?
  過激なフェミニズム運動家として、良い意味でも悪い意味でも、新聞や雑誌に取り上げられたことのある母の言葉は激しいものだった。母は、会いたくないといくら態度で示しても、自分の付き合っている男性を私の元に連れて来て、一方的に紹介することがあった。だが、血のつながった父親とは一度も会わせてもらったことがない。物心ついたときには、母と私と妹の三人暮らしだった。
  それにしても自分の娘に「闘子」と「魂子」なんてよくも名づけられたものだ、戦時中でもあるまいし。そのくせ母は玲子なんてきれいな名を親からもらっている。いずれにしろ、母の性格や嗜好から考えても、私と妹の名をつけたのは母であることは疑いようもない。
  いつまでも母は受話器の向こうでがなり立てていた。黙って私は電話を切ると、携帯の電源を落とした。それから横にいる子猫の顔を見つめた。
  茶白のブチ模様で、まだ手のひらに乗るくらいの大きさの子猫だった。
  三日前の晩、駐車場の隅でこの子が震えているのを見つけたのだ。調理用の汚ないざるに入れて捨てられていた。だが捕まえようとすると、驚いたのか、「ポーン」と自分の身体の3倍近く飛び上がって、それから車の下に逃げてしまい、おびき寄せるときは苦労した。
  猫用缶詰をレンジで少し温めたものを皿に入れて置くと、お腹がすいていたのか、這うようにして出てきてくれた。しかしフンフンと匂いを嗅いでいるばかりで、食べようとはしない。そこをがばりと手で捕獲し、動物病院へ連れて行った。

「元気そうに動いているけど衰弱が強いから、あと数日でしたよ。人間も熱があると食べたいものを食べられなくなるでしょう。それと同じです。危なかったですね」

  医師からそう言われたオスの子猫は、「ポーン」と高く飛び上がったことから、ポン助と名づけた。ポン助は猫風邪をこじらせたせいで左目が白濁し、すでに見えない状態だった。病院でも「片方の目については残念ながら」と告げられていた。

「ポン、ポン助」

  顔を上げ、にゃあにゃあとしきりに高い声で応えてくれる。
  人と人とは似過ぎている。母と子も、夫と妻も近すぎる。けれど、違う生き物同士なら、互いの弱点を補い合って、ちょうどいいのかもしれない。
  ポン助が顔を舐めてくれるまで、自分が涙を流していることにさえ気がつかなかった。
  子猫との共同生活をきっかけに、私は今まで使っていた夫好みの女性らしい匂いのする化粧品はすべて捨てた。猫は香水や化粧品の強い匂いが嫌いらしい。
  基礎化粧品は一本で化粧水と乳液が済むという、アユーラのfサインディフェンスに替えた。アユーラの化粧品を使ったことはなかったが、無香料の製品が多いと知り、それなら全部アユーラでそろえればいいじゃないかと思うと、急に気が楽になった。

麻宮ゆり子 Yuriko Mamiya
1976年埼玉県生まれ。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治賞受賞。'13年『敬語で旅する四人の男』で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。著書に『敬語で旅する四人の男』『仏像ぐるりの人びと』がある。

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