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2017.04.21

『ありのままの女』 #5 麻宮ゆり子

  化粧品の紙箱や器に書かれた説明文――あの、読むだけで効いてくるような不思議な文章――を床に寝そべり無心に追っていると、隣にやってきたポン助が顔を近づけ、ブルンブルンと嬉しそうにのどを鳴らす。その音を聞きながら思った。
  よかった、古い化粧品を捨てて。少しお金がかかったけど、やっぱり全部新しいのに替えてよかった。窓を開けるとカーテンがはためき、やわらかな陽ざしを迎え入れるように。私も新しい風を受けて今日から全部仕切り直し。どん底にいるのは、もう終わり。
  そんな風に心から思える日が訪れたこと、それ自体が奇跡のように嬉しかった。



  三十五という転職するには微妙な年齢で、なんとか彩明ホームに再就職した私は、広報部へ配属された。だが新しい職場に慣れるのは簡単ではない。朝から晩まで、なかなか気を抜くことができなかった。
  一年ほどしてやっと仕事に慣れてきたかと思った頃、急に髪に白いものが混じるようになった。もともと白髪の多い家系だというのもある。しかし生活の変化がめまぐるしかったせいもあるだろう。「あ、白髪」と鏡の前で気づいたとたん、たちまち前髪を中心に白いものが広がっていった。
  年月が、駆け抜けるように過ぎていくように感じられた。だからこそ化粧品は浮気せず、基礎化粧品もfサインディフェンスのみを使い続けていた。おかげで、「もっとあれやらないと」「これやらないと」といった変なストレスに惑わされることがなかったし、心身ともに忙しい日々を乗り越えられたのかもしれない。
  そして四十になる頃、私はずっと温めてきたある提案を会社に出すことにした。
  当時直属の上司だった今の常務に「この会社も障害者枠の採用をすべきでは」と進言したのだ。
  健常者に比べ、苦手なことがあるのなら、その分きっと別の分野で突き出たものを持っている。そこを見出しうまく活用すれば、かなり会社に貢献してくれるのではないか……。会社側にはそんな風に伝えた。ヒントはポン助だった。彼は片目が見えないが、その分、嗅覚と聴覚が鋭敏だ。
  私の提案に渋っていた常務だったが、あるとき急にGOサインが出た。その裏には、体裁として障害者雇用を始めた企業が増えているという背景があったようで、我が社も遅れてなるものか、といった心境だったのかもしれない。

「それなら水元くん、私と一緒に面接に立ち会いなさい。きみは広報から外す」

「え?」

「総務の部長がもうすぐ定年になる。あのご老体はどうも締まりがないせいか、今の総務部は仕事が遅いし些細なミスも多い……。そこへきみが部長として立つんだよ。総務で障害者枠採用の人間をうまく使えるか、言い出した人間がやってみろ」

  常務の言葉を受け、私の頭をよぎったのは、元夫との間の出来事だった。
  あのときもこうして自分から新しい提案をし、実現し、その結果夫にアイデアをもっていかれてしまった。――いや、「もっていかれた」のではない。元夫を頼り、逐一彼に報告していたのはなにより私自身だった。だから彼を一方的に悪者にできる立場ではないはずだ。
  過去の出来事はときどき、私をひどく臆病にする。
  だけどあの頃の私と今の私は違う。
  頭を切り替え、勇気を奮って新たなプロジェクトに立ち向かうことにした。
  障害者枠として採用した三人は、強いクセを持つツワモノばかりで、最初はトラブル続きだった。けれど自分の思い込みを一つずつ外し、「斎木、蓮沼、飯野」の三人を、じっくり観察してみるとよくわかる。
  たとえば――。斎木くんは会社のシステムを少し触っただけで、その構造をあっという間に理解してしまう。ナマの人の顔を判別するのは苦手なようだが、「カメラアイ」という特殊技能の持ち主で、文章や写真などの静止画は瞬時に脳に焼きつけ、永久保存してしまうのだ。
  飯野さんは対人面の緊張が強く、電話などの対応が苦手だった。だが、とにかくタイピングが速くて正確。資料の理解・分類などの処理もすこぶる速かった。
  蓮沼くんは集中力がない。だが大らかな性格がよかった。彼の車椅子が段差をうまく越えられず横転したとき、他の部署の社員たちまで駆け寄ってきたのを見て、彼には他人の小さな善意を引っぱり出す天賦の才があると思った。蓮沼くんは助けられてもへりくだらない。どーもどーもと軽く言い、「当たり前でしょ」という顔をしていられる。そこも魅力的だった。
  障害者枠は「特別な才能がある人たち」という前向きな意味を込め、「特別枠」と改めた。そして例外だらけの新しい総務部は、私自身も含め、ますます《はきだめ部署》だと言われるようになっていった。

麻宮ゆり子 Yuriko Mamiya
1976年埼玉県生まれ。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治賞受賞。'13年『敬語で旅する四人の男』で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。著書に『敬語で旅する四人の男』『仏像ぐるりの人びと』がある。

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