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2017.06.30

『ありのままの女』 #15 麻宮ゆり子

  今日も斎木くんは昨日と同じ、内密の作業を続けていた。
  代わりに彼の平常業務は、私と蓮沼くんと武下さんで手分けしてやることにする。
  午後をだいぶ過ぎた。が、斎木くんの集中力は途切れることがないようだった。邪魔をしないように、そっと彼の横にコーヒーの入った紙コップを置くと、斎木くんはじろりと睨みつける。

「僕は朝と午後の二回しかコーヒーは飲みません。前に言いましたよね」

「もう午後だけど」と壁の時計を指さしてやる。

「あ、ほんとですね。これはこれは僕としたことが。たいへん失礼しました。遠慮なくいただきます」

  ふうふうと息をかけ、子供のように飲んでいる。武下さんが「信じられない」といった表情で斎木くんを眺めていた。
  不機嫌そうに仕事をしていた縄井くんが、ふいに嬉しそうな声をあげる。

「あれ? 南さん? お疲れさまです……。どうかしたんですか?」

  パーテーションの向こうから男性社員が顔を出し、こちらをうかがっていた。三十代半ばの、髪を後ろに撫でつけた神経質そうな男だ。私と目が合うと、驚いたように会釈し、すぐにパーテーションの向こうへ消えてしまった。

「あら、何か用事があったんじゃないの?」

「誰ですか、あの人」と武下さんが聞くと、

「システム管理部のリーダー、南啓介。三十五歳、魚座」

  と斎木くんが一定のリズムですらすらすらと答え、そのあと縄井くんをじっと見た。

「な、なに見てんだよ。ていうか斎木くん、昨日から何の作業をしてるんですか? 僕、何も報告を受けてませんけど」

「私も聞いてませんよ」

  と武下さんが答え、「私も」「僕も」と飯野さんと蓮沼くんが続いた。

「みんな、気になる?」

  別に、と言って首を振る縄井くん以外の三人。コーヒーを飲み終えた斎木くんが言った。

「縄井さん、総務の細かい仕事なんて本当は興味ないって、水元さんのいないときに言ってたじゃないですか。あんなのは女の仕事だとかなんとかって」

  斎木くんはけっして口が軽いわけではない。ただ「暗黙の了解」といった曖昧なルールがわからないので、「秘密にして」と伝えなければ秘密にはしない。それだけのことなのだが……女の仕事だなんて、捨て置けないセリフである。
  腕を組んだ私がちらと見ると、縄井くんは開き直ったように言う。

「なっ、そんな……。もし言ってたとしたら、なんなんだよ」

「興味がない仕事なのに、僕が何をしているのか関心を持つなんて、矛盾していますよと言っているんです」

  斎木くんは紙コップをゴミ箱に捨て、くるりと椅子を回し、また一心にキーボードを叩き始めた。



  夕方、トイレの個室内で携帯を確認すると、《ポン助目撃情報アリ!》と題のついたメールが市美から届いていた。

「嘘ッ、ポン! ポン助ェ―ッ」

  個室の外の会話がぴたりとやんだ。悲鳴をあげたせいだろう。
  ここ数日は睡眠時間が少なかったせいか、人目のないところではどうも自制がきかない。情けないほど涙があふれ出した。
  目尻をふいてメールを確認し、胸に手を当て、ポン助に向かう気持ちを希望へとシフトチェンジする。期待をしたらその分、裏切られたときにつらいなんて……、そんなケチな考えはこの際なしだ。きっとポン助は生きている。元気でどこかにいるはずだ。
  トイレの個室から出ると、鏡の前でさっきまで会話をしていた女性社員二人が、怖いものでも見るような目を向けてきた。何事もなかったように、「お疲れさま」とにっこり挨拶すると、外へ出た。
  廊下の向こうから斎木くんが冷静な顔をしてやって来る。

「水元さん探しましたよ。もう五時半だから僕、帰ろうと思ってたんです」

「いいわよ帰っても。昨日からずっと集中してたもの。疲れたでしょ?」

「誰が?」

  彼は主語の曖昧な会話が苦手なのだ。知っているから驚かないが、ついイライラしてしまう。「斎木くんが、よ」

「ああ、僕のことですか。はい、とても疲れました。お給料に別料金を上乗せして請求したいくらいです。それで、わかりましたよ」

「何が?」

「何がというのは……いったい何のことでしょうか?」

  ハッ、として私はポン助への思いをいったん断ち切った。声をひそめる。

「うちの会社のシステム解析よ。斎木くんはハッキング、できたの?」

「ああ、できましたよ。僕はすべての理由を解析できました」

  斎木くんは目鼻立ちの整った顔の前に、得意気にまっすぐ、ひとさし指を立てた。

麻宮ゆり子 Yuriko Mamiya
1976年埼玉県生まれ。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治賞受賞。'13年『敬語で旅する四人の男』で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。著書に『敬語で旅する四人の男』『仏像ぐるりの人びと』がある。

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