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2017.07.14

『ありのままの女』 #17 麻宮ゆり子

  一瞬で空気が変わり、社長と常務の視線が私へ注がれる。
  思わず緊張で喉が波打った。――どうして縄井くんは知っているのだろう? ここ数日、ポン助のことでやたらと新宿へ足を運んでいたから見られたか、あとをつけられたのだろうか……。
  重いつばを飲み込んで、横の縄井くんをじっと見た。縄井くんは前を向き、私と目を合わせようとはしない。

「ほ、本当かね……? 水元くん」

  と常務が動揺した調子で聞いてくる。
  ――斎木くんにハッカー行為を頼んだ時点で、私の腹は決まっていたのだ。いまさら隠しても仕方がないじゃないか……。
  そんな気持ちが後ずさりする自分の背を押してくれた。

「はい。事実です」

「……どんな仕事だね?」

「新宿ゴールデン街にある小さなバーで、土曜の晩だけ雇われ店長をやっています。私の同級生が経営しているお店で、お酒やおつまみを出したり、ときには、お客さんの悩みに耳を傾けたりする仕事です」

  縄井くんは血走った目で、勝ち誇ったように胸をそらしている。

「新宿ゴールデン街のママとは驚いた。普段の水元くんからは想像もできないなあ」

「えらいことをやってくれたね」

  そう言いながら社長が常務を手招きし、何か耳打ちしたようだった。
  ――ついにきたか。
  そう思った途端、私の内で、この会社での十二年間の出来事が、一つひとつ浮かび上がって見えてきた。広報時代のこと、総務でのこと……。そういえばポン助を拾ったのと同じ年に、私はこの会社に入社したのだ。
  ポン助と十二年間勤めあげてきた仕事。寄り添うように大事にしてきたものを、同時に失うのかと思うとつらかった。だが……失うときは失うのだ。一つも二つもない。いくらしがみつこうが、大波が来れば身体ごとさらわれてしまうことだってある。

「申し訳ありません……」

  私は深く頭を下げた。
  うん、と呟いた社長が厳しい顔をこちらに向ける。

「顔を上げなさい。社員規則には、確かに『社外での労働行為は基本禁止』と書いてある。だが……水元くんの場合、我が社の凝り固まったやり方に特別枠の採用といった新しい穴をうがち、革新と貢献をもたらしてくれたと私は思っている。それに関しては、総務の事務能力が以前の倍になったというデータが証明している」

  社長は私に、少しだけ笑いかけた。

「きっと……、新宿ゴールデン街なんて、さまざまな人間が集まる場所で働いてきた経験があったからこそ、特別枠の社員をうまく指導することができたのかもしれないね。だから水元くんの場合、規則にある『基本』という言葉からは外れると判断する」

「えッ、そんな!」

  縄井くんが腰を浮かした。

「縄井ッ、さっきから男らしくないぞ。いつもそうやって問題の焦点をごまかす癖があるのか? そもそも今日は南の件について話していたんだろう」

  常務が言うと、縄井くんは頰をゆがめ、顔を紅潮させた。
  慌てて縄井くんの前に腕を伸ばす。

「彼は自分の仕事はきっちりやってくれています」

「水元さん、フォローなんてしないでくださいよ。女にかばわれるなんて情けない」

  その強い声にカッときた私は立ち上がり、バンッ、と平手を机に叩きつけた。

「さっきから聞いていれば大ばかやろう! 男だろうと女だろうと上司がフォローしてやるっていうんだから、受け止めるぐらいの器持ちなさいよ! こっちだって縄井くんの仕事をちゃんと評価した上で言ってるのよ。あなたそれでもプライド持ってサラリーマンやってんのッ?」

  ――しまった!
  慌てて口を閉じたが、時すでに遅し。あたりはしんとしていた。
  縄井くんも社長も常務も目を見張り、石のように固まっている。

「あら、私ったらつい興奮して。失礼しました。ほほほ……」

  お上品に笑ってみても、ぺちんとひたいを叩いてみても、もう遅い。
  みんな静止画のごとく言葉を失っている。
  私はがっくり肩を落とすと、痺れの残る手で顔を覆った。
  何やってんのよ私ってば、あーあ……。

麻宮ゆり子 Yuriko Mamiya
1976年埼玉県生まれ。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治賞受賞。'13年『敬語で旅する四人の男』で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。著書に『敬語で旅する四人の男』『仏像ぐるりの人びと』がある。
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