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2017.07.21

『ありのままの女』 #18 麻宮ゆり子

  社員情報の漏洩については結局、内輪の出来事ということで、社長から謝罪文が全社員に送られることで終止符が打たれた。
  社員からは予想通り、不満が噴出したが、実害が少なかったせいだろう。二、三日もすると事件のことなど忘れたように、社員たちは目前の仕事に追われるようになっていった。
  緊急会議の結果、縄井くんには口頭注意のみで、おとがめはなしだった。
  私についてはなぜか、今後も同級生の店で働いてもいいと許可までいただいてしまった。ただし近いうちに、社長と常務が実地検分と称し、訪ねて来るのを前提に、である。
  「ゴールデン街なんて、何十年ぶりだろうなあ」と社長がほくほくした様子で話していた。あー、気を遣うから来ないでほしい。
  縄井くんは会議のあと、爪を噛む回数が減った。そのせいか、爪の先のギザギザしたところが少し丸く育ってきたように見える。
  斎木くんはシステム解析の最中、システム内のバグ(抜け穴)を見つけたことで社長から表彰され、けっこうな額の賞金をもらうことになった。斎木くんが見つけなければ、いつか、会社はそのバグを通して大損害を受けることだってあっただろう。だから彼がもらった賞金の額を聞いて、私などは「もっともらったっていいんじゃない?」と思ったくらいだ。
  新人の武下さんは周りの助けを借りて、ちゃんと書類の期限を守れるようになった。
  そんな彼女はまた、休憩室でコーヒーを飲んでいた私のところまでやって来ると、言った。

「私、自分の名前が嫌いだったんです。華美なんて変な名前つけられて……ヤンキーみたいだし。名前に見合う華やかさもないし」

「そう。でも、別に無理に好きにならなくたっていいんじゃない?」

「……そうなんでしょうか」

「そうよ。だって名前は名前であなたはあなた。別モノでしょ。華美じゃなくてハナさんだっていいじゃない」

「ハナさん。そういえば……学生時代そう呼んでくれた子がいました」

  気に入ったのか、口の中でくり返している。

「難しく考えなくていいの。名前がなんだとか見た目がどうとか、他人のことをとやかく言ってくる人もいるけど、言いたい人には言わせておけばいいのよ……。どう?  私が言うと説得力あるでしょ?」

  武下さんは困ったように笑っている。
  私は肩をすくめ、紙コップを小さくひねるとゴミ箱に捨てた。
「あの」と武下さんが急に声を張った。「私、最初、広報へ行きたいなんて生意気言いましたけど、でも、これからは総務で働きたいと思いました」

「あら急に。どうして?」

「だって、総務部は字のごとく、総てを見通すことのできる部署ですから」

  驚きで思わず頰がゆるんだ。そんな私には気づかず、武下さんは背筋を伸ばし、ぺこりとお辞儀をすると、腕を振って走って行ってしまった……。このあとまた総務で会うというのに。
  けれど、こうしてわざわざ伝えに来てくれた武下さんの気持ちが嬉しかった。
  部下の成長する姿を見るのが、今はいちばん幸せ。
  胸の底から温かいため息が洩れた。

麻宮ゆり子 Yuriko Mamiya
1976年埼玉県生まれ。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治賞受賞。'13年『敬語で旅する四人の男』で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。著書に『敬語で旅する四人の男』『仏像ぐるりの人びと』がある。

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