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2017.09.01

『塗りたくった赤』 #3 くぼ田あずさ

  弟のたけるは四つ年下の二十五歳で、今は大学院の学生だ。大学を卒業して一旦は就職したものの、やっぱり教師になりたいとかで去年大学院に入り直した。学費の大半は両親が出すことになったらしい。大学卒業時にはすでに教員免許は持っていたようだったから、大学院に入り直す必要があったのかどうか。数年口を利いていないので、実際の事情は知らない。両親ともたける本人ともしばらく顔を合わせていなかった。
  実家の栃木には電車に乗れば数時間で帰れるけれど、すっかり足が遠のいている。二十五を過ぎたころから、両親に会うたび結婚を急かされるようになった。彼氏と別れてからは、それをまともに受け止めるのも面倒で、なんだかんだと理由をつけて帰省の頻度を減らした。帰ろうかと思っている矢先に、母から「たけるも帰ってきてるよ」と電話をもらい、急遽取りやめたりもする。有美子さんと住むことにした、となにかのついでに話したときに、母に「婚期が遅れる」と大反対されて喧嘩になりさらに帰りにくくなった。
  私は怒ると長く、しつこい。母に「女同士で住むなんてみっともない」と言われたのを根に持って実家に帰らないし、六年ほど前にあったことを引きずってたけるを許していない。それまでたけるとは仲が良かった。姉弟というよりは親友のような関係で、お互い大学進学のために栃木から東京へ出てきてからも、友人を紹介しあって一緒に遊んでいた。
  こじれたのは、たけるが私の友達と寝たからだ。二十歳もこえていたし、男女のことだ。こんなことで怒っていたらキリがない。そう思いつつも、まだ許すことが出来ないでいる。



  待ち合わせの紀伊國屋書店の前で、たけるを見つけた。数年会っていなかったけれど、すぐにわかった。たけるのシャツに寄ったしわを見て、なぜか私は落ち込んだ。たぶん、たけるのだらしなさは変わっていない。

「たける」

  私が声をかけると、たけるはうれしそうに笑った。まっすぐに笑顔を向けられると、ぐっと言葉につまってしまう。

「あれ、さやかってそんな感じだったっけ?」

  開口一番にたけるはへらへらと笑いながら、そう言った。
  数年ぶりに会って最初に言うことそれ? と呆れつつ、そういえばこういう奴だったと思い出す。

「なにが?」

「服とか髪とか。前はもっと、アート系の学生って感じだったじゃん」

  ちょっとギクッとしてしまう。たしかに私は有美子さんと暮らし始めたあたりから、わかりやすく服の趣味が変わった。以前は派手なワンピースが好きで古着屋をめぐっていたけれど、ここ一年半でほとんど捨てた。服を買うのは下北沢から銀座に変わり、ベーシックなものばかり選ぶようになった。長かった髪も切ってボブにした。

「だって、もう学生じゃないし」

  言い訳するように答える。

「あ、そっか。俺だけか」

「だよ。何年経ってると思ってんの?」

  口にしてからはっとする。たけるには大学を卒業してから会っていなかった。やっぱり私はまだ許していないのか。たけるも同じ事を思ったのか、口をつぐむ。

「で、どうする? なに食べる?」

  あわてて話題を変えると、たけるも何事もなかったかのように「なんでもいいよ。腹減った」と答えた。二人がかりで、さっき感じた気まずさにふたをする。こんなことで、私たちは二人とも大人になったんだな、と思った。
  特にあてもなく、三丁目方面に歩き始めた。ふと気に入っているお店の親子丼が食べたくなったけれど、たけるをそこへ連れて行くのはなんだか癪な気がして、途中で方向転換する。結局、区役所の近くのサイゼリヤに入った。サイゼリヤはいつものように混雑していたけれど、それほど待たずに席に通された。
  私はトマトクリームスパゲティ、たけるはミートソーススパゲティを頼んだ。たけるがセルフサービスの水を取りに行っている間に、私はちょっと迷ってグリーンサラダを追加で注文した。たけるが戻ってくると、私はさっそく訊ねる。

「ていうか、なんでそんなことになってんの? 彼女と別れたんだっけ、浮気でもした?」

「うわ、急にぶっ込むね」

  たけるは苦笑したあと、ことの顚末をかいつまんで話してくれた。喧嘩の末、彼女と別れて家を出た。大学院の講義と就職活動が残っているので実家に戻るわけにもいかず泊まるところに困っている、という。
  それは電話で聞いたとおりだったけれど、会話の端々からたけるにとって都合の悪い話が見え隠れする。
  まずたけるは学費のすべてを両親に払ってもらっていた。学費の半分は自分で払う約束で、アルバイトで学費を稼ぎながら大学院に通っている、と私は親から聞いていたが、たけるはとっくにアルバイトをやめていた。親はたけるのアルバイト先をふつうの会社だと思っていたようだが、よく聞いたらパチンコ屋だった。学費もいずれ返すつもりだと言うけれど、まだ就職先は決まっていない。
  彼女との関係はと言えば、浮気こそしていなかったようだが、ヒモ状態になっていたようだ。喧嘩がきっかけで家を追い出されて、友達のところを頼ろうにもその彼女とつきあった経緯が略奪だったから総すかんを食らっていて、頼りようもない。
  思わずため息が出た。

「そんで、どうすんのよ」

  私が聞くと、たけるは気まずそうに水を飲んだ。

「あー、そうなんだよね。どうしよう」たけるはだらしなく笑う。「さやかの方はどうなの?」

  急な話題の転換に、面食らいながら答える。

「私? なんでよ」

「だって、さやかが今なにしてんのか知らないし。てか、仕事なにしてんだっけ?」

「カラオケ会社で……デザイナーみたいなことしてんの」

「すげえ、ちゃんと大学の専攻を活かしてんだ」

  私は思わず顔をしかめる。デザイナーなんて名前はついているけれど、実際クリエイティブな仕事をしているかと言えばそうではない。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。
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