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2017.09.22

『塗りたくった赤』 #6 くぼ田あずさ

  会話をしていくうちに、有美子さんはしばらく結婚できないだろうと思った。有美子さんが三年ほど前に別れた恋人をかなり引きずっていたからだ。八年ほどつきあって、最後には浮気されて別れたという。その男は、もう結婚して子供がいる。奥さんになった人は、有美子さんと同時進行だった人とは別の人だという。

「それで、私も結婚くらいはしておこうと思って。最後につきあった人に浮気されたっていうのは、ちょっとね」

  私が頷くと、有美子さんは私の目を見て心配そうに笑う。
  一応、私も元彼のなおやと別れたきっかけは向こうの浮気ということになっていた。私の場合はお互いに冷め切っている気配を感じていたから、別れるときにもほとんどもめなかった。淡々と「別れよう」「それがいいね」というやりとりが交わされただけだ。向こうが申し訳なさそうにしていたのが逆に申し訳ないくらい。こんなに冷めていても「つきあっていた以上、別れ話という手続きをしなくてはいけない」という暗黙のルールが、私たちのなかでも適用されていることに静かに驚いた。別れ方があっさりしていたからか、なおやとは今でも会う。気が向けばセックスもする。
  有美子さんは、その男と別れるときにかなりもめたらしい。取り乱して泣いてみっともなかった、と聞いた。有美子さんのそういう姿が、私には全く想像がつかない。
  有美子さんが大手保険会社の経理部で働いていること、年齢は十歳以上も離れていることを知ったのは、帰り際になってからだった。わざわざプロフィールを話さなくても、会話が弾む。有美子さんとは不思議とうまが合い、自然と次に会う約束をしていた。
  私は有美子さんのきちんとした人特有の堅さにも憧れたし、有美子さんも私の慎重さを好んでくれているようだった。

「さやかちゃんといるときが一番楽だなー」

  なんて一言を真に受けて、私は有美子さんを自分の家にしょっちゅう誘い、有美子さんの家にも入り浸った。
  有美子さんは笑い上戸だけど、たまに笑いの間に疲れが見えた。何かあったのか訊いても、有美子さんは笑って流してしまう。もどかしくてたまらないけれど、有美子さんの「一番」ということばを支えになんとかしのぐ。
  有美子さんと暮らし始めたのは出会ってから一年ほど経ってからだった。そのころには一週間に一度は必ず会うようになっていた。有美子さんの部屋の更新が切れる時期と、私の会社の移転がかぶっていた。引っ越しの話をしていたら、有美子さんは笑いながら言った。

「もういっそ一緒に住んじゃおうか。どうせしょっちゅう会うんだし」

  冗談だとわかってはいたけれど、私は聞き逃さなかった。有美子さんが最近、動物を飼うことを本気で検討しているのは知っていた。有美子さんにまとわりつく寂しさにつけ込んで、本気で同居を持ちかけた。有美子さんは明らかに困惑していた。それでも私は二ヶ月ほどかけて口説き続け、なんとか同居に持ち込む。
  いろんな部屋を内見して、私たちは千歳烏山で日当たりのいい2LDKのマンションの一室を借りた。
  部屋を契約するときに一つだけ決めたルールがある。

「もし結婚したい相手が現れたら、遠慮せず出ていっていい」

  ルールを決めたとき、この部屋に一人取り残されるのは、きっと自分だろうなと思った。婚活の場で出会ったのだから、どちらにも結婚の意思はある。私は結婚したいというよりは子供が欲しいだけだけど、それでもちゃんとしないとダメだろう。しかし、ちゃんととは……?
  いつかはきっと別々の家庭を築くことになるのだろう。一日でも長くこの生活が続くように私はつい祈ってしまう。


  暮らし始めてから一年経っても、私たちの家のリビングに入れる男は現れなかった。そこにたけるを平気で入れてしまうのか。まだ考えがまとまっていないのに、電車はあっという間に千歳烏山についた。

「降りるよ」

  電車のドアが開くと、たけるに声をかけた。たけるは驚いたように頷く。私が明らかに上の空なのに気づいて、たけるは私と会話をするのを諦めていたようだ。たけるはひょこひょこと、私の数歩後ろをついてきた。
  緊張のせいか、冷えのせいか、頰がぴりぴりする。私はいいかげんに巻いたマフラーに顔をうずめた。駅からマンションまでの十分で心を落ち着かせようと思っていたのに、気がつくと家の玄関の前についていた。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。

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