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2017.09.29

『塗りたくった赤』 #7 くぼ田あずさ

  小さく息を吸い込んでドアノブに触れると、静電気が走った。私がドアノブから勢いよく手を離したのに気づいて、たけるは「どした?」と訊いた。

「なんでもないよ」

  私は素っ気なく答え、いつもと同じようにドアノブに手をかける。
  ドアが開くと、リビングの方から「おかえりなさい」という有美子さんの声が聞こえた。

「ただいま」

  答える声が思わず上擦る。私はリビングまでの短い廊下を早足で歩いた。
  リビングのドアを開けると、ふんわりとサボンのボディスクラブのにおいがした。有美子さんはソファに腰掛けて、TVを観ていた。いつもと同じルームウェアを着ていることに、なぜか安堵してしまう。

「初めまして」

  有美子さんの目は私を通り過ぎ、後ろに立っているたけるに向いていた。私は我に返り、あわてて二人を紹介する。

「こちら、有美子さん。こっちは弟のたけるです」

「岡村たけるです。すみません、泊めてくれるって言ってくださったそうで……ありがとうございます」

  たけるがたどたどしくお礼を言うと、有美子さんは「いえいえ」と顔の前で手をパタパタと振った。

「松坂有美子です。さやかちゃんには、いつもお世話になってます」

  私は思わず「こちらこそ」と口に出している。有美子さんとたけるの目線が私に向く。たけるが言い掛けた言葉を飲み込んだのがわかった。恥ずかしくなって、私はソファの有美子さんの隣に腰掛ける。

「やっぱ姉弟って、似てるんだね」

  有美子さんは私とたけるの顔を見比べて、楽しそうな声を出した。

「えーそうですか?」

「うん、なんとなく雰囲気がね」

  雰囲気、と言われて思わずたけると顔を見合わせた。
  有美子さんは、たけるが居心地悪そうに立ったままなのに気づいて、ソファから立ち上がる。たけるに「座って」と促すと、自分はダイニングの椅子へうつった。勧められるまま、ソファに腰掛けたたけるを見やる。私もこんなにだらっとした印象なんだろうか。

「弟くん若いよね、いくつだっけ」

  私とたけるを交互に見て、有美子さんが訊いた。

「もうすぐ二十六です」

  たけるが遠慮がちに答えると、有美子さんは「若ーい」と大げさに驚いてみせる。たけるは困ったように笑った。
  なんとなくたけるの気持ちがわかるような気がする。誉めてくれているつもりなのかもしれないが、「若い」と言われても対応に困る。好きで若い訳じゃないし、自分なりに二十年以上生きてきたのだから、若いという自覚もない。有美子さんは私にもなにかあるたびに「若い」と言う。言われるたびに、有美子さんから遠く隔てられたような気持ちになる。
  それから、なんでもないような世間話をした。たけるが国語教師を目指して大学院に通っていることや、有美子さんの仕事のことや、私たちが仲良くなってどこへ出かけたかなど。かっこわるいことは伏せて話すと、私たちは全員先行きが明るいような気がした。
  有美子さんはいつもよりも少し高い外向きの声で話し、たけるも珍しく恐縮しきった顔をしている。なんだかそれがくすぐったかった。
  一通りの世間話を終えると、交代でお風呂に入った。
  お風呂から上がると笑い声が聞こえてきたので、髪の毛も半乾きのままリビングに戻った。ふたりが楽しそうに話しているのが見える。

「なんの話してるんですか?」

  割って入らずにはいられなかった。

「たけるくんのね、大学院の専攻の話」

  有美子さんは答えながら、まだ笑いをかみ殺している。いったいその話題のどこに笑うところがあったんだろう。私は交互にふたりの顔を見比べる。たけるはまた、困ったみたいな笑みを浮かべた。
  明日の朝早く出るから、と有美子さんが自室に戻ってしまうとリビングに沈黙が流れた。

「なんか、仲いいんだね」

  気まずさを打ち消そうとしたのか、たけるがこちらに向き直ってそう言った。有美子さんからなにか聞いたんだろうか。たった一言だったのに含みがあるような気がして、思わず身構えてしまう。

「布団取ってくるね」

  よけいなことを言われるのが怖くなって、私は自室に戻った。物入れの奥から来客用の布団を出して、ためいきをつく。
  たけるが私に遠慮しているのがわかって息苦しい。叱られた犬みたいに、こちらの様子をうかがっている。私の態度がそうさせているのはわかっていた。もう燃えるような怒りはなかった。昔のことだよ、と笑い飛ばしてしまいたいのに、たけるを前にするとうまくできない。
  布団とシーツを持ってリビングに戻った。ローテーブルを壁側に寄せて、ソファの前に布団を敷く。たけると一緒にシーツを掛けていると、たけるはまじめな顔をして「あのさ」と私に声をかけた。

「ありがとう。無理言って泊めてもらって」

「別に、私が泊めようって言った訳じゃないし……。それより、これからのことちゃんと考えなよ」

  こんなことが言いたいんじゃないのに、もどかしい。私の言葉に反発することもなく、たけるは「うん、わかってる」と頷いた。

「じゃ、おやすみ」

  そう言い捨てリビングを出ようとすると、たけるが後ろから「ねえ」と話しかけてくる。私が振り返ると、たけると目が合った。

「有美子さんて、いい人だね」

  また言葉に詰まりそうになるのを、なんとか絞り出す。

「そうでしょ」

  思った以上に実感がこもってしまった。たけると再び目が合う。目線を逸らすのはもういやだ。じっとたけるの目を見て、笑った。


  その晩、小さい頃の夢を見た。たけるがアスレチックの上で泣いているのを、私が迎えに行く。私を見て、たけるがほっとした表情になったのが嬉しかった。いつのことかは覚えていないけれど、こんなことは何度かあったような気がする。そのころはまだ、たけるは私のことを「姉ちゃん」と呼んでいた。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。

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