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2017.10.06

『塗りたくった赤』 #8 くぼ田あずさ

  目覚ましを止めても、しばらくベッドの上でぼーっとしていた。ベッドを抜け出して、顔も洗わずリビングへ向かう。有美子さんの姿はもうなかった。たけるの寝ていた布団は折り畳まれ、その上にちょこんと座って携帯電話を弄っている。

「おはよう」

  私が声をかけると、たけるは顔を上げた。「おはよう」と答えながらも、迷っているような表情をしている。

「コーヒーでも飲む?」

「あー、お願いします」

  私が訊いてから、答えるまでに少し間があった。キッチンの水切り台に目をやると、マグカップが二つ並んでいる。有美子さんにもコーヒーを淹れてもらったんだろう、と思うとなぜだか笑ってしまった。
  トーストを焼き、ダイニングテーブルに向かい合って座った。今日の予定を聞くと、午前中と夕方に一コマずつ大学院の授業があるという。

「私、たぶん会社出るの七時過ぎると思うから、それまでどっかで時間つぶせる?」

  今日も泊まっていいよ、と口に出すのが恥ずかしくてそう伝えると、たけるはうれしそうに「うん」と言って笑った。私もつられて笑いそうになる。はっきり言葉にしなくても伝わることは久し振りで、うれしくてなんだか気はずかしい。
  身支度を整えて八時を少し過ぎたあと、たけると一緒に家を出た。駅前の喫茶店で作業していくと言ったたけると、店の前で別れた。背中に視線を感じたような気がしたけれど、振り返って確かめはしなかった。
  電車に揺られながら、考えていた。もし、たけるが寝たのが志帆じゃなかったら。


  志帆とは大学二年生のとき、アルバイト先の新聞社で出会った。私は、毎週火曜日と金曜日に、文化部で本棚の整理や郵便物の仕分けなどの雑用を担当していた。
  隣の生活情報部で同じく雑用をしていた志帆のことは、早い段階から顔は知っていた。部署が違うので話す機会はなく、すれ違うときに会釈するだけの関係が続いていた。アルバイトを始めて半年ほど経ったころ、食堂で偶然隣り合わせたのがきっかけで話すようになる。そこから仲良くなるのにはそう時間はかからなかった。
  志帆は同い年で、世田谷区にある大学の学生だった。すらっとしていて黒髪のロングヘアのよく似合う、きれいな子だ。世田谷生まれの世田谷育ちでずっと東京で生活していたからか、あまり浮ついたところがない。せっかく東京で一人暮らしをしているんだから、と意気込んでいる友人たちが多い中で、その余裕はまぶしかった。
  大学時代の私は恥ずかしいくらい志帆の影響を受けていた。志帆は食べるところにしろ、遊ぶところにしろおもしろい場所をいくつも知っている。連れられて出かけたところはどこも楽しかった。私は志帆のセンスを信じ切り、薦められた本や映画は、なんの疑いもなく観たり読んだりする。化粧やネイルの仕方も、志帆からだ。同じような格好で、いつも一緒に笑っていた。
  とにかく志帆と一緒にいるのが楽しくてたまらなかった。志帆の話題はいつだって豊富で、話していて飽きることがない。一緒にいると憧れて、楽しくて、私はよく笑った。
  志帆もよく笑った。志帆の笑いは強くて、笑うことで他人の懐に入り込み自分を通したり守ったりもしていた。
  その一方で、笑うことでいろんなものを隠していた。きっとそれは弱さやずるさだったりしたんだろう。志帆は私にさえその中身を見せようとはしなかった。隠されるほど私はそれが見たくて、見せてほしくて焦れた。
  志帆が全部を見せてくれないぶん、それを周囲の視線で埋めようとした。志帆と一緒にいることを誰かにみとめてほしくて、当時つきあっていた彼氏や大学の友達にもことあるごとに引き合わせた。
  志帆は誰にでも好印象を与えるようで、私の友達ともすぐに打ち解ける。志帆が私の友達に誉められるたび、私まで誇らしい気持ちになった。
  唯一はっきり嫌ったのが私の彼氏だった。初めは好感を持っていたはずなのに、次第に会えば露骨に不機嫌になり、嫌味を言うようになった。私が志帆に影響されすぎたことが癪だったようだ。

「なにかあったら思い浮かぶのって、俺の顔じゃないでしょ」

  そう言って、振られてしまった。上京してから初めてつきあった相手だったから悲しかったけれど、志帆と遊び歩くうちにすぐに忘れてしまう。
  志帆も志帆で、彼氏が出来てもすぐに別れてしまう。別れるたび、私は内心うれしかった。
  志帆とはしょっちゅう「彼氏ほしい」と言い合っていたけれど、少なくとも私は心から言ってはいなかった。志帆と遊んでいる方が、ずっと楽しいだろうと思っていたからだ。
  たけるが大学進学のために上京してくると、私は真っ先に志帆を紹介した。不思議と三人でいると心地よかった。志帆と二人でいるときのひりひりするような焦燥感がなくなる。しょっちゅう三人で集まって、ご飯を食べに行き映画を観て遊んだ。三人で会うのに、なにも口実はいらなかった。
  大学四年の秋の終わりに、三人で台湾に旅行した。はじめは早めの卒業旅行として、志帆と二人で行く予定だったのに、なんだかんだでたけるも一緒についてきたのだ。たけるが故宮博物館で、白菜のストラップを買いまくっていたことをやけに志帆はウケていたのを今でも思い出す。夜市をめぐったり、足つぼマッサージに行ったりして、ずっとはしゃいでいた。楽しすぎたから、こんな関係がずっと続くんだと思いこんでいた。
  台湾から帰ってきて一週間くらい経つと、突然志帆は私に冷たくなった。遊びに誘っても全然乗ってこないし、電話にもなかなか出てくれない。バイト先で話しかけても、上の空だ。
  志帆の態度が変わってしまったことが、不安でしかたなかった。旅行中私がなにかしたんだろうか、怒っているんだろうか、もしかして嫌われてしまったんだろうか。道を歩いていても、大学で絵を描いていても不意に涙が出てくる。

「ねえ、なにか怒ってる? 最近ちょっと変じゃない?」

  バイト先で志帆を捕まえて、無理矢理聞き出そうとした。

「なんでもないよ」

  志帆は私から目を逸らし、かすれた声で言う。
  それで納得できる訳なかった。バイトが終わったあと志帆を待ち伏せて、強引に居酒屋へ連れて行った。いつもと同じメニューを頼んで、しばらくお互い無言で飲む。
  梅酒を三杯飲んだあとで、志帆はたけると寝たことを白状した。台湾旅行から帰ってきた翌日、たけると志帆は二人で会ったという。志帆がたけるのデジカメの充電器を間違えて持って帰ってしまい、それを手渡すためだった。
  その日は、たけるのアパートの部屋で会った。いつものように飲みながら旅行の思い出話なんかしているうちに、いつの間にか、そういう雰囲気になってしまったという。
  明け方、志帆の方から「つきあって」と言ったけれど、たけるははぐらかしてはっきりとは答えない。かわりにたけるは「好きだ」と言った。その日はそれで満足してそれ以上はなにも言えず、そのまま家に帰った。
  それ以来、メールも電話も無視されている状態だという。
  志帆は不安げに私に尋ねる。

「たける、私のことなにか言ってなかった?」

  昨日私はたけると会っていたけれど、そんなことがあったとは一言も聞いていなかった。笑いながら焼き鳥を食べていたたけるが、昔から知っている弟とは思えない。知りたくもないのに、勝手に唇が動く。

「……好きだったの?」

「はじめて会ったときから、好きだった」

  たけると志帆が二人で会うことなんて今まで何度もあった。それは偶然そうだったわけじゃなく、志帆が望んだからだったのかもしれない。私はいつも三人でいることが楽しかった。三人で一つの生き物みたいに思っていた。でも志帆は笑う私の横で、私のことをうっとうしく思っていたんじゃないだろうか。気がつくと顔が赤くなるのがわかった。
  うつむいた志帆はいつものように笑っていない。きっと目の前にいるのが、私が引き出したくてたまらなかった素の志帆だ。手を伸ばして触れたくなる一方で、こんなことで引き出してしまうたけるにも、こんなつまらないことで引き出されてしまう志帆にも怒りがわく。

「なんでつきあってくれないんだろう」

  志帆がつぶやいた。私のことなんて少しも見ていない。見てほしい。私は思わず口にしている。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。

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