美ST ONLINE 無料会員登録 あなたの「美生活」に役立つ情報お届けします

新着
2017.10.20

『塗りたくった赤』 #9 くぼ田あずさ

「なんでそんなつまんないこと言うの……」

  それを聞いて志帆は目を見開き、唇をかたく結んだ。間違って伝わったのが、すぐにわかった。大きな目にはみるみる涙がたまっていく。私があわてて釈明の言葉を探しているうちに、もう涙がこぼれている。

「ごめん」

  とっさに口をついて出た。その一言がとどめだった。志帆の表情が変わる。

「そうだね」志帆は絞り出すように言う。「わかってる、相手にされてないだけだよね。さやかの弟なのに、こんなことしちゃって……」

  早くこの空気を変えたい。私が志帆としたいのはこんな話ではなかった。しかし、今何を言っても志帆に届かない気がしてならなかった。自信がなくなって、目線を落とすと志帆の指先が目に入る。
  赤いネイルが鋭く光っていた。

「弟さんに手ぇ出してごめん」

  そう言って笑っている志帆は、いつもと同じような態度だ。それでも決定的になにかが違い、大きな隔たりを感じる。つらさを遠くに打ち捨てるとき、私も道連れにされてしまったのがわかった。
  ごまかし笑いで志帆と別れて、しばらく呆然とした。最寄り駅についてから、歩きながらたけるに電話をかけた。寝ていたのか、「もしもし」と応える声が寝ぼけている。容赦なく冷や水をぶっかける。

「ねえ、志帆とヤッたでしょ?」

  言いながら、自分の背中まで寒くなった。頰が強ばって、唇がふるえる。電話の向こうでたけるが動揺しているのがわかった。

「つきあわないの?」

「ごめん……、あのさ」

「なんでこんなことするの?」

  怒鳴りそうになるのをこらえようと、たけるの言葉をさえぎった。たけるはしどろもどろになりながら答えた。

「あー、あの、さやかと間違えたっていうか……」

「は? 意味わかんない」

「二人はよく似てるじゃん。いや、それよりさやかが志帆のこと大事にしてるから、それで俺もっていうか……なんつーかごめん、意味わかんないよね。ほんとごめん」

「ふざけないでよ」

「ほんと……ごめん。志帆はなんて?」

「自分で聞けば? 私には言ってくれない」

  ふるえる声で電話を切った。家に着いて、化粧も落とさずベッドに倒れ込む。たけるが志帆の名前を出したとき、今まで自分が志帆に抱いていた感情の名前がわかった。ただの友情としての気持ちだけじゃない。嫉妬も恋も、終わった瞬間に私を侵食し始めて、たけるの気持ちも志帆の気持ちも受け止めるだけの余裕がない。
  まだ地元にいたころ、たけるが私の真似ばかりしていて、うれしい反面少しうっとうしかったことを思い出す。もしかしたら、志帆も私と同じような気持ちを抱いていたのかもしれない。恥ずかしくて仕方ない。ベッドから起きあがって、本棚の志帆に薦められた本や映画のDVDを段ボールに詰める。すぐに本棚はスカスカになった。
  たけると志帆がその後、どういう話をしたのかは知らない。
  二、三度電話を無視したら、たけるから電話がかかってくることはなくなった。盆や正月も理由をつけて帰らなかったり、時期をずらしているうちに気がつけば会わないまま時間が経った。
  志帆とも大学卒業以来、一度も会っていない。あの日以来バイト先で会っても、志帆は私によそよそしいままだった。次第に言葉を交わすことが減ってきて、最後には目が合っても挨拶もしなくなった。
  たけるや志帆と会わなくなって、あっという間に七年も過ぎた。この七年いろんなことがあったし、いろんな人と出会ってそれなりに忙しく暮らしてきた。
  それでも、今でも思い出す。最後に会った日の、つやつやと鮮やかに光る志帆の赤いネイル。内側から燃えるようで、志帆によく似合っていた。あれは、私が誕生日にあげたアディクションのものだった。志帆はあの赤色を、どんな気持ちで塗ってくれたんだろう。
  あのころ、私たちはデパートコスメに夢中だった。バイト代が出たら二人でデパートへ行った。大学生にしては大きな出費だったけれど、背伸びして少しずつそろえていくのがたまらなくわくわくした。ふと思い出しては、切なくなる。その切なさでまだ心の奥の方にとげが残っているのに気づく。
  たけるから連絡をもらった日、心のどこかに期待があったのは否めない。もし、たけるとまたふつうに話せる日が来れば、と考えずにはいられなかった。


  たけるがうちにやってきて、私たち姉弟の関係はだいぶ修復されたと思う。それには、有美子さんの協力があってこそだった。有美子さんは以前私が「昔は仲良かったけど、弟とはしばらく口を利いていない」と話していたのを覚えていてくれたらしい。有美子さんは私たちのどちらかと話していると、いつのまにかもう一人を巻き込む。三人での会話が増えるうちに、だんだんとたけると二人で話すようになっていった。
  一つ問題があるとすれば、たけるが居ついてしまったことだ。二、三日の予定で許したはずだったのに、居候期間はずるずると延びていった。関係が良くなってきているからこそ指摘できない。
  居候し始めてから一週間ほど経ったころ、たけるは少し緊張した顔で大学院から帰ってきた。有美子さんとテレビを観ていたら、たけるが改まった顔で「話がある」と切り出してくる。思わず身構え、有美子さんと目配せをした。有美子さんが手元のリモコンでテレビを消す。
  たけるの口から出てきたのは、板橋区の私立高校から内定をもらったという報告だった。四月から、二年生のクラスの副担任としてつき、現代文の授業を担当するという。
  その知らせを聞いて、一番初めに口をついた感想は「よかったね」。自分でも驚くほど素直に、たけるの内定を喜べた。「おめでとう」と伝える声にも、気持ちが入る。たけるもホッとしたのか、表情に余裕が出ていた。
  有美子さんはたけるをねぎらったあと、私にこっそり耳打ちする。

「よかったね、さやかちゃんも安心したでしょ」

  有美子さんはにこにこ笑っている。なんでも見透かされているような気がして、うれしいと同時に怖くなった。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。
totop
Mail
Instagram
rss
美ST
美魔女
セレSTORY
STORY
光文社

Copyright© 2017 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.