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2017.10.27

『塗りたくった赤』 #10 くぼ田あずさ

  週末の夜、内定祝いに三人で近所の焼き肉屋にご飯を食べに行った。三人での外食は初めてだった。
  肉を焼きながら、たけるはこれからのことを話した。今までもぽつぽつ部屋を探していたが、ようやく来春からの勤め先が決まったので、本格的に部屋を探せる。勤める学校に近い東武東上線沿いの部屋を探して、見つかり次第出ていく。今まで泊まっていた分の家賃も少しずつ返していきたい。

「ほんと、長いことすみません。お世話になりました」

  たけるは何度もお礼を言った。たけるの表情は晴れやかで、いつもよりだいぶしっかりして見えた。

「全然いいよー。そういえばどうして教師やろうと思ったの? 会社辞めてまで、けっこう思い切ったよね」

  有美子さんはレモンを搾った手をおしぼりで拭きながら訊く。焼き肉屋のオレンジがかった照明の下で、有美子さんのネイルがきれいに光った。またすぐにでもネイルを塗り替えてあげたくなる。気が散っていると、たけるがちょっと照れながら答えた。

「俺、進路指導やりたいんですよね。自分自身もかなり迷いが多かったから、悩んでる子の力になりたい。自分自身も、卒業してからも相談したりして先生に救われた部分大きいから」

  初めて聞いた話だった。たけるの進路選択時期にはすでに私は東京に出てきていたし、大学院に進学するときも関われなかった。頼れる人がいてくれて良かったと素直に思う。
  気分が良くて、ダイエットという言葉も忘れ好きなだけ肉を焼く。気がつくと、空のチャミスルの瓶がいくつもテーブルに並んでいた。有美子さんは笑いすぎると涙が出る。小指で目尻を拭くのを見た。私は肉と酒と楽しさに酔っていたけど、その日はだいぶ盛り上がっていた、と思う。
  デザートのアイスを待っている間、有美子さんがリップクリームを忘れてきたというので、私のを貸した。いい感じに酔っぱらっていたので、ふざけてそれを私が塗ってあげた。有美子さんも私の手からリップクリームを取り上げて、塗り返してくる。二人でけらけら笑っていると、たけるはなぜか泣きそうな顔でこっちを見ていた。
  お会計のあと、有美子さんがトイレに立った隙にたけるは小声で私に訊いた。

「さやか、最近いつもあんな感じ?」

「え、なにが?」

「あー、なんていうか……酒弱くなったんなら、無理しない方がいいんじゃない」

  酔った頭でもなんのことを言おうとしているのか、すぐわかった。言いにくそうにたけるは続ける。

「有美子さんてさあ……」

「なに?」

「いいや、なんでもない」

  たけるはそのまま口をつぐんだ。有美子さんが戻ってくると、何事もなかったかのように振る舞い話しかけた。私は話している二人をぼんやりと見ている。やけに楽しそうだ。
  有美子さんって、志帆に似てる。たけるはそう言おうとしていたんじゃないか。そう思えてならない。
  私の有美子さんへの気持ちは、本人にはまだ伝わっていない。バレないならずっと、ずるずるとこのまま二人でいたかった。たけるが勝手に察してなにか言ってきたとしても、たけるには関係ない。それなのに訳もわからず怖かった。
  たけるの勤務先がようやく決まった。これでもう引越しを延ばす必要もない。リビングで寝起きするのもしんどいはずだ。そろそろ出ていくだろう、と思っていた。
  たけるの引越しを待っている間に、あっという間に十二月も半ばに差し掛かった。たけるはまだ出ていく気配がない。仕事にかまけて、引越しをせかすのをなあなあにしていたらいつの間にかこんなに時間が経ってしまい言い出しにくくなった。
  部屋探しはしているようだが、切羽詰まっている様子はない。かわりに学校の方が忙しいようで、夜遅くまで難しい顔をしてパソコンに向かっている。就活がようやく終わったばかりだというのに、そろそろ修士論文の提出が迫ってきているのだという。さすがに今追い出すのは酷な気がする。身内だし、出来る限りのことはしてあげたいとつい思ってしまう。でも、できるだけ早く出ていってもらわねば。私と有美子さんがこじれてしまう前に。


  二人で暮らしていた一年の間、モメることなんて一度もなかったのに、一人加わっただけでゆっくりと、しかし確実に雰囲気が変わっていく。些細なことが積み重なって、有美子さんとすれ違っているのを感じる。
  たとえばたけるが大学院の飲み会で遅くなった日のことだ。私はリビングで、有美子さんと一緒にアイスを食べながら、テレビを観ていた。リビングで二人だけでゆっくりするのは、久しぶりだった。
  たけるが来て以来、なんとなくリビングはたけるの居場所のような気がして少し遠慮があった。たけるが来るまではこの気兼ねなさが日常だったのに、となんだかモヤモヤする。

「なんでそんなに家決まらないのかなあ」

  思わず愚痴が出てくる。有美子さんはこともなげに答えた。

「なんかね、たけるくん彼女ともめてるらしいよ」

  たけるは元カノと住んでいた家に荷物を置きっぱなしにしていた。たけるの方にはまだ未練があるようだ。引き取りと片づけのために家に行っては、よりを戻すの戻さないのでこじれている。一度は彼女の方から、「また一緒に住もう」と言われ新居の内見に行ったのに、次の週にはまた別れ話をされる。振り回されてたけるも参っているらしい。

「で、そろそろちゃんと別れることにしたって言ってたよ」

  有美子さんは画面を見たまま言った。
  いつの間にか有美子さんとたけるは、二人だけでこのリビングで話をしている……。疎外感か、嫉妬か、苦い感情が渦巻いて、テレビ番組の内容が頭に入ってこない。食べる気が失せたアイスが指までたれてくる。

「あ、そういうの、かなりどうでもいいです」

  ついとげのある口調で返すと、有美子さんは驚いたような顔で私を見た。それでもすぐに表情を戻して「だね」と言って笑う。有美子さんの余裕のある態度が好きだった。それなのに今はひどい口調で返したくなる。やっとのことで抑え込んで唇をかんだ。
  こんなことが続いたら、私たちの関係なんてあっという間に破綻してしまう。思っていたよりもずっと、私たちの関係は脆弱なのかもしれなかった。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。
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