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2017.11.03

『塗りたくった赤』 #11 くぼ田あずさ

  土曜日の夕方、仕事を終えて帰ってくると家には誰もいなかった。明かりの消えたがらんとしたリビングで、しばらくぼんやりとしていた。このごろはいつも帰宅すると誰かしらいたので、少しさびしい。有美子さんも学生時代の友達と早めの忘年会をするそうだ。たけるからはなにも聞いていない。有美子さんの言っていた通りなら、たけるは別れ話をしに行ったんだろう。
  ひとりでコンビニで買ってきたお弁当で夕飯を済ませ、お風呂にゆっくり入り、テレビを観た。リモコンで何度もチャンネルを変える。どの番組も面白く思えなかった。かといって、映画を観る気にもなれない。なにかが足りない気がしてならないのに、自分がなにを求めているのかわからなかった。手持ちぶさたで携帯電話をいじっていたら、いつの間にかソファでうたたねしていた。
  インターフォンが鳴る。時計を見ると二十三時を過ぎていた。有美子さんかたけるが鍵を忘れたんだろう。ドアを開けてやると、ぐったりしているたけるが目に飛び込んでくる。酒臭い。たけるの腕を肩に回して、担ぐように支えているのは有美子さんだった。たけるをどうにかしなきゃと思いながらも、二人がどうして一緒にいるかが気になって思考が止まる。

「悪いけど、手伝って。すっごい重い」

  有美子さんの声で我に返る。なんで一緒なんですか? 聞きたくてたまらないけれど、たけるは今にも吐きそうだ。とりあえず靴を脱がせ、部屋に上げた。靴を脱がせたときに、有美子さんのパンプスが吐瀉物で汚れているのに気づく。有美子さんの気に入っている、ベージュのパンプスだった。
  有美子さんに代わって、たけるを支えてトイレに向かう。トイレにつくと便器をかかえて吐き始めた。たけるの背中をさする。

「大丈夫そう?」

  タイツを脱いで、有美子さんはトイレまで様子を見に来た。よっぽどたけるが重かったんだろう、前髪が汗で額に張り付いている。

「まだ吐いてます。連れてきてくれたんですか? すみませんでした」

「偶然駅で拾ったの、ホームのベンチでぐったりしてるんだもん。びっくりした」

  偶然と聞いて私は少し安堵する。たけるに水を飲ませて、寝かせてしまうと私たちはようやく一息ついた。
  ダイニングに向かい合って座り、二人でお茶を飲んだ。

「ご迷惑かけちゃって、ほんとすみません」

  私が謝ると、有美子さんは髪の毛をほどきながら、「いいなあ」と言った。

「え?」

「なんか姉弟って感じじゃない。かわりにさやかちゃんが謝ってさ」

  有美子さんの思ってもいなかった言葉に思わず照れてしまう。

「そうですか?」

「うん。そういうのうらやましいよ、私一人っ子だから」

「そんないいもんじゃないです」

  わざと自虐気味に言ってみたけれど、有美子さんは笑ってはくれなかった。有美子さんがやけにまじめな顔をしているから、ちょっと調子がくるう。

「でも、たけるくんて、さやかちゃんのことすごい好きでしょ」

「いやいや……」

  なんて答えたらいいのかわからず、言葉に詰まる。有美子さんはまた、うらやましいよ、とつぶやいた。


  翌朝起きてきたたけるは、昨日どうやって帰ってきたのか全然記憶がなかった。有美子さんの靴に吐いたことを伝えると、顔を青くする。土下座でもしそうな勢いで謝るたけるを見て、有美子さんは笑っていた。

「もう大人なんだから、いい加減にしなよね」

  私がしかりつけると、また犬みたいにしょぼんとした顔をした。午前中は二日酔いでぐったりとしていたけれど、午後になるとたけるはのそのそとどこかへ出かけた。夕方になり、髙島屋の紙袋を提げて帰ってくる。
  ダイニングで私が有美子さんのネイルを塗り直しているのを、たけるはちらちらと見ていた。たけるの視線に気づいて、私はわざとじっくり時間をかけて塗った。今回も結局はいつもと同じアディクションの007Sを塗ったけれど、塗る前に有美子さんが「今度、別の色にしてみてもいいかもね」と言っていたのが引っかかった。
  ネイルを塗り終えたのを見計らって、たけるは昨日のお詫びに、と紙袋の中から、アンリ・シャルパンティエのお菓子の箱を差し出した。

「あ、フィナンシェ。ここの、おいしいんだよね」

  有美子さんが笑う。

「気が利くようになったじゃん」

  私が肩のあたりを小突くと、たけるは得意げな顔をした。たけるはさらに紙袋の中を探る。

「あと、これ有美子さんに」

  たけるが有美子さんに手渡したのは、アディクションの小さな紙袋だった。

「え、なに? なんで?」

  有美子さんは突然手渡された贈り物に戸惑って、なぜか私の方を見た。私は笑ってみたつもりだったけれど、うまくできた自信がない。すぐに有美子さんの目はたけるにうつっている。

「靴、汚しちゃったんで」

  たけるは照れくさいのか、有美子さんの目を見ない。

「そんなの、いいのに」

  そう言いながらも、有美子さんはうれしそうだった。丁寧に、紙袋から中身を取り出す。出てきたのは、いつか見たことのあるあの赤いネイルポリッシュ。風が吹くように一瞬で昔のことを思い出してしまう。心臓を素手でいきなりつかまれたような気分だった。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。
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