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2017.11.24

『塗りたくった赤』 #14 くぼ田あずさ

  有美子さんは楽しそうに笑っていた。その隣には、少し赤い顔をしたたけるが立っている。悪い想像ほど現実になるのだった。たけるを見上げる有美子さんの目に宿ってる色になんか気づきたくなかった。また蚊帳の外に出されるのは私なのか。思い出したくもないのに、勝手に何も知らずに笑っていたときのことがよみがえってくる。また同じことをするつもりなんだろうか。たけるは何の気なしに私を踏みつける。にらみつけることしかできなかった。
  たけるは私の視線に気づくと、すぐに気まずそうに目を逸らした。その目に、同情の色があったような気がしてならない。とっくに消えたはずの怒りにまた火がともる。私はたけるに食ってかかった。

「ねえ、もしかして飲んできたの?」

「うん、また駅で偶然会ったから。さやかちゃんも早いなら誘えばよかったね」

  有美子さんが代わりに答える。私はまた返事もせず、さらにたけるに詰め寄った。

「夕飯食べるって言ってたから、スープ解凍しといたんだけど」

「あ、ごめん」

  たけるは素直に謝った。

「ごめんじゃなくて。食べるって言ったじゃん」

「ごめん、忘れてた。朝食べるよ」

「それじゃまずくなっちゃうじゃん。あんたって、やっぱりいい加減すぎる。今までだって……」

  たけるがため息をつく。自分でもおかしいのはわかっている、これは八つ当たりだ。しかし本当のことを口にすることは、あまりに惨めだった。たけるは困惑しながらも、私の言葉を待ってくれていた。私が「ごめん」と喉元まで出かかったとき、有美子さんが割って入った。

「ごめん、さやかちゃん。たけるくん誘ったの私だから。朝食べるっていうんだから、それでいいんじゃない?」

  なんで、たけるなんかをかばうの?収めようとしてた怒りがまたぶり返した。胸がつぶれそうだ。思わず有美子さんから目を逸らす。逃げるようにリビングへ戻ろうとすると、有美子さんに肩をつかまれた。思ったより強い力だった。

「ねえ、待って。さやかちゃん、大丈夫?疲れてるのかもしれないけど、最近おかしいよ」

「……いや、別に。ただの姉弟喧嘩ですから」

「それにしたって……」

  言い掛けた有美子さんの言葉を打ち切って私は言う。

「もういいです、私はたけるが無理なだけ」

「違うでしょ」

  逸らそうとしても、有美子さんは私をまっすぐに見る。いつもの穏やかな茶色い瞳だった。

「ほんとは私になにか言いたいことあるんじゃない?」

  有美子さんの言葉に射抜かれたみたいに動けない。言葉があふれそうなのに、「私は」と言ったきり続けられなかった。有美子さんは、じっと私を待っていてくれる。
  有美子さんに自分の気持ちを話すのが怖かった。拒まれたら立ち直れないと思った。一つ秘密を持ったら、どんどん話せないことが増えていく。それでも有美子さんにだけはわかってほしくて、気持ちは出たがって暴れだし、ゆがみ、じわじわと私を傷つけていった。今日こそは、有美子さんに本心をぶつけてみようか、と有美子さんの目を見て思えた。もしかしたら、一つでも有美子さんは受け取ってくれるかもしれない。期待がよけいに思考を止める。息をゆっくり吸い込んでから、唇を動かす。

「私は……今日は有美子さんのネイルやろうと思ってて」

  最後の最後で私は怖くなって、逃げた。こんなことくらいなら、有美子さんは受け止めてくれるかもしれない。そして、その言葉の裏にあるなにかに気づいてくれれば……。私の期待をよそに有美子さんは目を丸くする。

「え……私、頼んだっけ?」

  それを聞いて、淡い期待は消し飛ぶ。察してもらえないことはわかっていたつもりで、全然わかってなんかいなかった。すべては私の独り相撲で、何も知らずに一人ではしゃいでいたときと何も変わっていなかった。恥ずかしい。みじめで、その場にうずくまりそうになる。
  みじめさをどうにかごまかしたくて、嫌みったらしい言葉を口にする。虚勢は本心よりもずっと唇を軽くした。

「いや、別にいいんです。そうかな、と思ってただけだから。なんていうか、最近有美子さん一生懸命若者ぶってる感じしてたんで、それを手伝おうかなって思っただけです」

  有美子さんの頰がカッと赤くなった。その表情を見て、私は有美子さんの心に土足で踏み込んだことがわかる。そして、踏み込めてしまったことにがっかりした。有美子さんは大きくため息をついて、私を見る。いつもの笑顔は消えていた。

「余計なお世話なんだけど」

  有美子さんの声は鋭い。視線は冷ややかで、私に軽蔑を伝えていた。
  失望は雨雲みたいにもやもやと私の心を覆う。私の知っている有美子さんだったら、と思ってしまう。私の知っている有美子さんなら、きっとこんな態度は取らない。顔色を隠して、何事もなかったみたいに「ひどいな」とか言って笑っているはず。今まで、そういう有美子さんと接するたび、素の有美子さんが見たくてじれったくて仕方なかった。ようやく念願かなって、素の有美子さんが目の前にいる。でも、本当に私は有美子さんのこんなところが見たかったんだろうか。今更になって、有美子さんに理想を押しつけていたのに気づいて泣きたくなってくる。

「ああ、もう」

  私は頭をかいて、逃げるようにリビングへ向かった。リビングのテーブルの上から、赤いネイルポリッシュが私を見ている。私はネイルポリッシュの瓶を乱暴につかんだ。

「あのさ、さやかちゃん」

  有美子さんはなにかを言おうとして、私の手に触れた。私は思わず有美子さんの手を振り払い、右手に握っていた赤いネイルポリッシュを床に投げつけた。あっ、と有美子さんが短く叫ぶのが聞こえた。振り返らずに自室に戻ってドアを乱暴に閉めた。背中で、有美子さんが「……子供っぽいなあ」と呆れるのを聞いた。
  ベッドに倒れ込み、頭まで毛布をかぶってうずくまる。涙はぼろぼろ出てきた。どうして泣いているのかも、わからないのに止まらなかった。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。
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