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2017.12.01

『塗りたくった赤』 #15 くぼ田あずさ

  全く眠れないまま朝がくる。始発が動き出すころに、何泊かできる分の荷物を持ってそっと家を出た。リビングで寝起きするたけるは私が出て行くことに気づいたようだったけれど、引き留められはしなかった。
  何日かホテルにでも泊まって頭を冷やすつもりだった。あんな風に取り乱したあとで、どんな顔して会えばいいのかわからない。ついてしまった勢いに自分でついていけない。このままどうなるのか、どうしたらいいのか自分でも見当がつかなかった。
  日中は仕事があるからいいとして、終業後のことを考えると憂鬱になる。一人でいたいのに、さびしさを持ちきれる自信がなかった。ふと思い立ち、元彼のなおやに連絡をした。
  なおやとは合コンで知り合って、なおやが浮気するまで一年半ほどつき合った。別れたのは二年ほど前だけど、最近共通の友人の結婚式で再会して、また二人で遊びに行くようになった。同い年で、好きな音楽や映画が似ているから、話していて楽しい。なおやの存在はありがたかった。自分がふつうに人間関係を築けることを思い出せる。それに、ひどく落ち込んでるとき、元彼との距離感はちょうどよかった。やきもちをやくこともなければ変な遠慮もないし、他人だからこそ優しくできる。

「いきなりでごめんだけど、今日、ごはんでも行かない? 家に居づらい」

  こんな手を抜いたLINEをしても、なおやからはすぐに返信が来た。

「なにそれww いいよ。てか、うち来なよ。外出めんどい」

  相変わらずノリが軽いな、と思いつつも、今はそれに救われる。
  仕事を終えて阿佐ヶ谷のなおやのアパートへ着いたのは、十時を過ぎてからだった。なおやは嫌な顔せず、迎え入れてくれた。なおやの人の良さにつけこんでコンビニで買ってきたつまみを食べながら、思わず愚痴る。

「仲悪かった弟がうちに居候しててルームメイトと仲良くなったんだけどさ、ルームメイトが弟のこと好きっぽい。なんかそういう女っぽい部分出されるのも、弟がだらしないのもなんか無理で出てきちゃった」

  人に話してみたら、あまりの幼稚さやくだらなさに自分でため息が出た。
  なおやは「マジでー」と苦笑いしながらも、深く追及はしなかった。たぶん、知りたくないのだ。つき合っていないから、彼女じゃないから、察して受け止めてあげなくてもいい。言われていないことは知らないままでいた方が、楽しく過ごせる。
  それでもなおやは「一人でホテル泊まるぐらいなら、しばらくここにいれば?」と言ってくれた。さっきまでたけるをだらしないと罵っていたくせに、私はすぐにその提案に甘えさせてもらうことにする。
  寝る前にシャワーを浴びた後、久しぶりになおやとヤッた。家に行った時点でそうなるだろうな、と思っていたから、たいした感想はなかった。慣れ親しんだセックスを楽しんだだけだ。
  なおやに対する自分の温度の低さに驚く。有美子さんやたけるにむけるような、あの内から湧いてくるようなどろどろしたエネルギーはどうしたんだろう。そんなものない方が楽なはずなのに、なんだか心もとなかった。
  終わった後、なおやはぼーっと天井を見ていたと思うと、やけにまじめな顔をして私の方へ向き直った。

「さやかって、今好きな人いる?」

「あー……、うん」

「いい感じなの?」

「いや、ダメだと思う。多分、絶対」

「じゃあ諦めついたら、俺と結婚しない?」

「は、なにそれ。いきなりどうしたの?」

「俺、もうすぐ三十だし。さやかとは気が合うじゃん。一緒にいて楽しいし。でも一生一人だけ、なんて無理じゃん。絶対浮気すると思うんだよね。そっちだってしたいならしてもいいし。さやかは俺のそういうとこ知ってるっしょ」

「まーね、なおやは浮気するよね」

「あ、そっか。なんかすみません」

「でも、いいかもね。私は子供ほしいだけだし、なおや収入いいからちょうどいいかも。外で浮気してても、私と子供に優しくてお金あるなら、まあいいや」

「あー、そういうとこだよ、さやかっていつもサバサバしてるよな」

  驚いて変な声が出た。私は嫉妬深くて、神経質で、しかも臆病だ。自分の気持ちをはっきり表現しないくせに、気づいてもらえないとすぐに疎外感を覚える。少しもサバサバなんてしていない。
  なおやとつき合っていたときのことを思い出して、はっとした。少し前の私は、確かにサバサバしていたのかもしれない。でも有美子さんにはそんな風に思えない。自分の気持ちを知って、共感してもらいたい。どこにもいかないで私のことだけ見ていてほしい。
  なにも言えずにいると、なおやは寝返りを打って私に背を向けた。なおやはこちらを見ずに、ぼそぼそと言う。

「まあ、考えといて。明日にでもってわけじゃないし」

  なおやの背中を見ながら、私は「うん」と答えた。しばらくすると、なおやは寝息を立て始める。私は上下するなおやの背中を見ていた。
  それからずるずるとなおやの家に居ついた。なおやの家から出勤し、当たり前のようになおやの家に帰る。たけるのことなんて、非難できない。私たちは許されるなら甘えられるだけ甘えてしまう。
  家を出て、すでに十日が経っていた。はじめのうちは頻繁にあった、たけるからの電話はもうない。有美子さんからは「仲直りしようよ」とメールが一通来た。それにもまだ返信できていない。仲直りなんてできるんだろうか。
  なおやの帰りが遅かった日、私は自分の爪をアディクションの011Pで塗った。やってあげるだけで、このところほとんど自分にネイルはしていなかった。手の甲を上にして、できあがった爪を見つめた。有美子さんの手を思い出す。きれいな手だった。傷ついてもそれを隠して守っている手だった。私は有美子さんの何を見ていたんだろうと今更になって思う。
  なおやとなんてことないことで笑っているときや、コンビニでストッキングを買っているとき、有美子さんとたけるのことを思い出した。ベッドに入って寝ようとしていたら、突然たまらなくなった。二人のことを知りもしないなおやに、私はなぜだか訊いてしまった。

「あの二人、どうしているかな?」

  なおやは寝入る直前だったようで、眠そうな声で答えた。

「さあ。ルームメイトが、弟のこと好きっぽいんだっけ? 男と女だし、くっつくなり別れるなりしてんじゃん?」

  なぜだかひどくその言葉に打ちのめされてしまう。もうあの部屋に私に入り込む隙はないのかもしれない。日が経つごとに、たけるや有美子さんと顔を合わせる自信が目減りしていく。

くぼ田あずさ Azusa Kubota
1987年埼玉県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。医療事務、不動産会社勤務などを経て、2015年『ふざけろ』(『ふざけろよ』改題)で第9回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。
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