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2017.08.22

【F1回顧録】高速コーナーと変わりやすい天候に翻弄されたベルギーGP

citrus

 

ベルギーGPの舞台、スパ・フランコルシャンは、F1開催カレンダー中でもっとも長いコース(現在のコースは全長7.004km)である。高低差が約80mある急坂を一気に駆け上がるオールージュ。その先にあるケメルストレート。そのストレートを抜けると、下り坂の高速カーブが続く。最後に超高速コーナーのブランシモンを抜け、バスストップ・シケインが待ち構えている。


名物コーナーの連続であり、至る所で名シーンを生んできた。「スパ・ウェザー」と称される、変わりやすい天候もベルギーGPの名物である。スパが生んだ記憶に残るレースをいくつか振り返ってみよう。

 

 

■1989年には、セナ・プロストのコンビとマンセルがデッドヒートを繰り広げた

 

1989年マクラーレン・ホンダのマシン。3.5リッターV10エンジンを搭載する

1989年第11戦のベルギーGP(44周)は、ホンダF1エンジンが記念すべき通算50勝目を挙げたレースだった。ターボエンジンは1988年限りで禁止され、この年から3.5L自然空気エンジンに一本化された。ホンダはV8、V10、V12の3種類を比較検討した結果、小型・軽量化と高回転化を両立できるV10を選択。RA109Eと名付けたユニットをマクラーレンに供給した。ドライバーは前年と同様、アイルトン・セナとアラン・プロストのコンビである。


ポールポジションはセナが獲得。プロストが2番手につけた。激しい雨に見舞われたため、決勝レースのスタートは30分遅らされたが、それでも、コースがフルウェットであることに変わりはなかった。


セナとプロストは激しい水しぶきを上げながらも、ワンツー態勢を保ったまま周回を重ねる。その後方では、6番手からスタートしたナイジェル・マンセル(フェラーリ)が、コースオフする場面を見せながらもハイペースで追い上げ、終盤プロストに対して執拗にプレッシャーをかけた。深紅のマシンを右に左に揺さぶって威嚇するマンセルに対し、プロストのマクラーレン・ホンダは動じることなく巧みにブロックラインを通り、マンセルに隙を与えなかった。


最終周はセナがペースを落としたため、1位から3位までが1.8秒の僅差でフィニッシュすることになった。

 

 

■F1史上最多の多重クラッシュも雨が引き起こした


1991年の第11戦ベルギーGP(44周)は、ミハエル・シューマッハのデビューレースとして記録に残る。このレースの直前、ジョーダンに所属するベルトラン・ガショーがタクシー運転手への暴行容疑で逮捕された。その代役として白羽の矢が立ったのが、シューマッハである。メルセデス・ベンツの秘蔵っ子としてスポーツカー世界選手権(SWC)に参戦しているところだった。

 

ほとんどぶっつけ本番でF1デビュー戦を迎えたシューマッハは、チームメイトのベテラン、アンドレア・デ・チェザリスの11番手を上回る予選7番手を記録。クラッチトラブルのためレースでは1周もできずにリタイヤしたが、才能を見せつけるには十分で、第12戦イタリアGPにはレギュラードライバーとして、ベネトン・フォードのステアリングを握ることになった。


それから7年後の1998年第13戦ベルギーGP(44周)を迎えた頃、シューマッハはベネトンで2回のチャンピオンを獲得してフェラーリに移籍(1996年)し、F300のステアリングを握っていた。


この年も、決勝レース日は雨。その雨がスタート直後に大波乱を呼ぶ。1コーナーをクリアし、オールージュに向かうストレートに差し掛かったところでデイビッド・クルサードのマクラーレン・メルセデスがスピン。これをきっかけに多重クラッシュが発生し、13台が巻き込まれた。F1史上最多の多重クラッシュである。

 

1998年のベルギーGPは「F1史上最多の多重クラッシュ」で多くの人に記憶されている


アクシデントはこれだけでは終わらなかった。シューマッハは8周目にデイモン・ヒル(ジョーダン無限ホンダ)を追い抜いてトップに立った。チャンピオン争いを演じるミカ・ハッキネン(マクラーレン)はすでにリタイヤしており、勝って大量得点を積み上げ、タイトル争いを有利に進めたいところだった。


ところが25周目、水しぶきで視界が悪かったのか、周回遅れのクルサードに追突し、右前輪を失う致命的なダメージを負ってしまう。シューマッハは3輪走行でピットに戻ると(3輪でもあんなスピードで走れるんだ、という驚きを与えた)、血相を変えてマクラーレンのガレージにどなりこんだ。クルサードが故意にスピードを落としたため、避けられずに追突したというのがシューマッハの言い分だった(レーシングアクシデントとして片付けられた)。


荒れに荒れたレースを制したのはヒルで、ジョーダンに初優勝をプレゼントした。

 

 

■ハッキネンの賭けが生んだ華麗なオーバーテイク


史上最高のオーバーテイクと評されるのが、2000年第13戦ベルギーGP(44周)だ。1998年、99年とタイトルを獲得したハッキネンは、ポールポジションからスタートし、レースをリードしていた。ところが13周目にスピンを喫し、シューマッハに首位の座を譲ることになる。


27周目のピットストップでセッティングを変更したハッキネンはその後、見違えるように速くなり、1周1秒のペースでシューマッハとの差を詰めていった。そして40周目。ケメルストレートのエンドで、ハッキネンはシューマッハのインを突いた。たが、シューマッハのブロックにあって引き下がる。


次の周、ハッキネンは同じ場所でシューマッハに仕掛けるが、前方には周回遅れのリカルド・ゾンタ(B・A・Rホンダ)がいた。シューマッハがゾンタを左に避けたのを確認したハッキネンは、ゾンタの右を通り抜けて追い抜くと一気にシューマッハの前に出て、首位の座を奪い返したのだった。


シューマッハに道を譲るためにゾンタが右に寄っていればハッキネンの進路をふさぐ格好になっていたはずで、ハッキネンが咄嗟にとった一か八かの判断が、ダイナミックなオーバーテイクシーンを生むことになった。
 

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モータリングライター&エディター 世良耕太

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