PEOPLE
13年半のOL生活を経て、40歳で脚本家デビューした内館牧子さん。常にその時々の社会問題や流行を敏感にとらえ、人生100年時代の今は、〝高齢者4部作〟がベストセラーに。「40代はゼロから再スタートが切れる年代です」という言葉は説得力があり、励まされます。
グリーンのグラデーションが上品なカーディガンで、颯爽と現れた脚本家の内館牧子さん。ファッションが大好きで、港区三田にある友人のセレクトショップ「アヴァンティー」でほぼ100%購入するそう。「自宅で執筆しているときは各量販店のものですが、人と会うときや撮影のときは、相手に失礼にならぬ服を相談します」
《Profile》
1948年秋田市生まれ。13年半のOL生活を経て’88年脚本家デビュー。’06年東北大学大学院文学研究科修了。「土俵という聖域」で修士。主な作品にドラマ「都合のいい女」(フジテレビ系)、「ひらり」「私の青空」「毛利元就」(すべてNHK)、「週末婚」(TBS)等。橋田賞、文化庁芸術作品賞、日本作詞大賞など多数受賞。近著『老害の人』(講談社)が話題に。
60代以降の生き方を小説にした3部作『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』が累計90万部を超え、昨秋出版した『老害の人』(すべて講談社刊)も12万部になりました。
脚本家になる前は、13年半三菱重工のOLでした。社内報の編集をしていて、毎年定年者たちにインタビューして、内心、どんなに淋しかったかと後で気づき、最初の『終わった人』を書きました。「今度生まれたら今の夫とは結婚しない」と現世より来世を期待する女友達とのお喋りが『今度生まれたら』になりました。決して、社会問題にアンテナを張っているわけでなく、普通の暮らしの中で感じた些細なことが小説のテーマになっています。
今年、私も後期高齢者になります。でも、前期高齢者になったときのほうがショックだったな(笑)。とはいえ私ひとりがなるわけでなく、同年代の井上陽水さんや矢沢永吉さん、沢田研二さんもそう。そういうカッコいい人たちと一緒だと思うと怖くないわね。
数年前、高齢者40人ほどの会合にオブザーバーとして出席したとき、集まった人たちが自分に手をかけている方とそうでない方の2つにはっきり分かれていた。もうびっくりするほど、見た目に差が出ていて驚きました。手をかけていない方は適当な服を着て、みんなリュックと帽子。マスクの時代でなかったので、特に目立ちました。キレイにしている方たちは、高価なものを身につけているわけではなくても、配色を考えたコーディネートでメークもきちんとし、年齢なりの美しさが漂っていました。男性もカッコよく見える人は似合うジャケットとパンツを選んでいるんです。そのとき、人は加齢と共に、外見に気をつけなくてはいけないと実感。『終わった人』の次は考えていなかったのですが、誰でも老人になるわけで、中身だけではないという物語を書こうと思ったんです。
そこで、身なりに頓着しない高齢者がキレイになるにはどうしたらいいのかを、資生堂美容学校の大竹政義校長(当時)にうかがいました。すると、「ある年齢になって自分をかまわないのはナチュラルではなく、単なる不精です」とおっしゃって、目からウロコでした。
たとえば、グレイヘアは究極のナチュラルです。素敵に見えるために、ものすごく手をかけていますから。なるほどと思いました。大竹校長は、「化粧水と乳液、シートパック、ゆとりがあったらクリームを用意しなさい。3カ月で肌が変わります」とアドバイスをくださったんです。
取材中、多くの高齢者が「すぐ死ぬんだから汚くていい、歯がなくていい、シミがあってもいい」と言うのにも驚きました。それで『すぐ死ぬんだから』を書いたわけです。小説にした以上、私もコンビニに行くときでも、少しは気を使ったりして(笑)。キレイなおばあさんにならないと家族も恥をかきますものね。
私は40歳で人生が変わりました。30歳を過ぎ、会社帰りにシナリオライター養成講座に通って35歳で退社。その後はフリーライターをしていました。
40歳直前に、よく存じ上げていた日本テレビ系列のプロデューサーから、第1回「水曜グランドロマン」の脚本を依頼されました。それが岸惠子さんと菅原文太さんが主演の2時間ドラマで、監督は恩地日出夫さん。たぶん大物3名を相手に誰も引き受けなかったのだと思います。私は「岸牧子」のペンネームで仕事をしていたくらい岸惠子さんの大ファン。菅原文太さんの映画もほとんど観ていたので受けました。今なら受けませんよ。恐いもの知らずでした(笑)。
案の定、えらい目にあいました。書き直しの連続で、「こんな原稿で撮れないよ」と監督が放り投げちゃうんです。原稿用紙1,700枚は書き直しました。
でも、すごく鍛えられたので感謝しています。それ以降、人生も私も変わりましたから。その番組を観たプロデューサーから連続ドラマの依頼があり、脚本家2人で書いたのが’90年のドラマ「想い出にかわるまで」。次はひとりで書いたドラマ「クリスマス・イブ」が当たり、44歳で相撲をテーマにしたNHK連続テレビ小説「ひらり」の依頼が来ました。何しろ4歳のときからの相撲オタク。三つ指ついてお受けしました。
朝ドラは作家殺しと言われますが、オタクですからうちには資料がいっぱいあるし、知識もあって、楽しくてたまらなかった。当時の若貴ブームも手伝って、視聴率は40%を超えました。その放送中に大河ドラマ「毛利元就」の打診があって……と、どんどん広がっていきました。おそらく、最初のプロデューサーも、私は1本書いて消えると考えていたと思います。40歳のデビューなんて遅すぎて。でも、私ね、40代を過ぎてもスタートが切れると確信しましたね。
52歳の時、突然時津風理事長(当時)が自宅にいらっしゃって、女性初の横綱審議委員会委員を依頼されたんです。びっくりしたのなんのって。これが一番人生で大きかったことですね。
人生には運がすごく大きい。よく運は引き寄せられると言うけれど、努力で引き寄せられるとも言い切れない気がします。もちろん、努力は大切ですが、わが身を捨てて媚びたり、取り入ったりしても運はやって来ない。本人の心が壊れます。
私自身の経験で考えると、自分の好きなことは損得抜きに、将来が見えなくても、とにかく一生懸命やりました。それが運を招いたように思います。ですから、物作りが好きな人は一生懸命作る、書くのが好きな人は一生懸命書く。動くのが好きな人は一生懸命動く。そして、誰にも負けない力をつける。それが運につながることはありますよ。
40代は誰でも人生が大きく変わるとき。私は40代があまりにおもしろくて、一生40代のつもりでいた。70歳になったらどうしようなんて先を憂う必要はないと思います。いくらでもやり直しのきく40代なのに、先々を考えるのは不健康。明日はどんなおもしろいことがあるのかと、ワクワクして生きられる年代です。
自分でも馬鹿馬鹿しいと思うし、人からも言われますが、人生で一番辛かったことは早稲田大学の文学部を落ちたことです。早稲田病と言われるくらい行きたくて、どうしても早稲田で美学美術史をやりたかった。模試でいつも合格圏内でしたから、自信もありました。それが、滑り止めに受けた教育学部も見事に落ちて、私には破格の打撃でした。武蔵野美術大学造形学部を出ましたが、早稲田ならば出会えないような、偏差値では測れない才能の人たちと出会い、結果的には良かったし、早稲田に行っていたら私は作家にはなれなかったですね。
だけど、60歳で心臓弁膜症で緊急入院と手術をし、生きるや死ぬやのとき、早稲田を落ちたときのことを考えれば大したことないと思ったんですから、家族も友人ものけぞりましたよ(笑)。18歳の衝撃は60歳のそれよりも強かったんですね。
誰にでも失敗や絶望の経験はあるけど40歳過ぎてから受けるショックはガードできます。若い頃に色々とショックがあったら、「これは後の年代のショックを和らげてくれるわ」と思えばいいんです。何せ生きるや死ぬやの大病でも和らいだんですから。
病気の後、多くの雑誌から「大病をして生き方が変わったか?」という取材が来ましたが、私は全然変わってないの。変わったことは医師や看護師に言われたことは守るってこと。術後にご飯を食べるのに時間がかかって辛いから、点滴を希望したら、「1本の点滴よりひと口のスプーンですよ」と言われて目が覚めた。その後、一生懸命に口から食べる努力をしたら回復しました。それ以来、食事には気を使うようになりました。とはいえ、一番は好きなものを好きなときに好きな人と食べることですね。
手術後は、全身がピクリとも動かず、声も出なかった。でも、やりたいことは全部やったなと思ったの。横審もやったし、おいしいものも食べたし、行きたい外国にも行った。映画もドラマも小説も書いた。後悔はないと思えました。ただ、結婚しておけばよかった、子どもを産めばよかったとはまったく思わなかったの(笑)。今から結婚する気も全然ないし、今の生活が幸せっていうことは、私は結婚に向いていないんですよ。今後、ツケが回ってくるかもしれませんが、家族や友人たちの知恵をも借りて対処する覚悟はつけておかないとね。
昨年、同じマンションの別階に一人暮らしをしていた母が96歳で亡くなりました。私は大晦日もお正月もひとりでしたが、おせちとお雑煮も作って、夢中で箱根駅伝を見ていました。母のことは毎日思い出しますが、母は娘が好き勝手に生きていることをとても喜んでいました。ですから、これからもそう生きるつもりです。
今は寝る前に手作りの柚子茶を飲んで、週刊誌のゴシップを読むのが最高の時間。70代は人生を大きくは変えられませんが微調整は効く。なのに今から終活してどうするんですか(笑)。
40代はいくらでもやり直しがききます。人生が大転換することも可能なので、自分が好きなこと、やりたいことを臆せず一生懸命やることが道を開いてくれると思います。
2023年『美ST』4月号掲載
撮影/大森忠明 ヘア・メーク/立木亜美 取材・文/安田真里 編集/和田紀子
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