PEOPLE
昨年、歌手生活50周年を迎えた石川さゆりさん。コロナ禍の2020年にYouTubeの公式チャンネルを開設。自宅からの「天城越え」配信が話題になりました。和服姿で楚々としたイメージがありますが、ファッションが大好きで、常におもしろいことはないかと目を輝かせている姿はまるで少女のようでした。
洋服屋さんに行って、ワクワクしないと体調が悪いと思うほどファッションが大好き。コム デ ギャルソンやヨウジヤマモト、sacaiがお好みだとか。銀座にある老舗レコーディングスタジオ「音響ハウス」でお話を伺いました。
シルクドレス ¥124,300(トリー バーチ)ダブルストーンドロップイヤリング ¥11,000、ダブルストーンパールリング ¥18,700(ともにマナ ローザ ジュエル)ベルト ¥34,100(トリー バーチ)
《Profile》
1958年熊本県出身。’73年シングル「かくれんぼ」でデビュー。「津軽海峡・冬景色」で日本レコード大賞歌唱賞、「波止場しぐれ」で同最優秀歌唱賞。以降「天城越え」「夫婦善哉」と数々のヒット曲を送り出す。文化庁芸術祭大賞、芸術選奨など多数受賞。’19年紫綬褒章受章。名実ともに日本の歌謡界を牽引し、昨年50周年を迎える。132枚目の最新シングル「約束の月」では作詞を手がけた。
昨年デビュー50周年を迎えました。故郷の熊本城ホールから記念リサイタルをスタートし、全国を回りました。コロナ禍で3年近くエンタメがストップし、本当に開催できるかどうか随分迷いました。なにしろ会場を押さえるのは1年半前からで、その頃感染者がいちばん激増しているときでしたから。でもファンの方々に「ありがとう」の想いを伝えたい一心で、無理のない範囲で準備を重ねていました。
結局、昨秋から動員数100%での開催が可能になり、大勢のお客さまが来てくださいました。声援をいただくことはできなかったけれど、その分想いを拍手にのせてくださったのでしょう。今まで聞いたことのない熱い拍手の音を浴びて感動しました。みなさんにパワーを届ける一心で歌ってきたけれど、逆に私がエネルギーをいただいていることを改めて知りました。
50年と一口で言うと、あっという間だと言いますが、決してそうではなかったですね。多くの仲間たちといろんなことをやってきて、集大成で終わるのではなく、ここからまた進まなければいけない。でも、奇をてらった進み方ではなく、おもしろがって、いろんなものを見つけていきたいな。
わが家は89歳の母と美ST世代の娘と女3世代の二世帯住宅です。母はとても料理上手で、結婚するまで食事はすべて母任せ。私が仕事から帰ると、あとはひと手間加えれば料理が完成するよう完璧にスタンバイ。「石川食堂」と名づけるほどでした。そうやって母の手料理で育ちましたから、私も娘を自分の手料理で育て、今は娘がドレッシングまで手作りするほど、毎日おいしい料理を作ってくれます。母は自立のために、できる限り自分で作ります。危なくないよう、ガスコンロから電気に替えて、台所を整えました。さすがに買物は大変なので、必要なものを聞き、私が仕事帰りにスーパーで調達します。なので、車にはエコバッグとクーラーバッグを常備。普段は普通に主婦の生活で、その生活があるからこそ楽しく仕事もさせてもらえるのかな。
23歳で結婚、26歳で出産しました。20代30代は仕事も多忙でしたが、娘の生活リズムを乱したくなかったので、仕事には連れ歩かず、人の手を借りなければ子育てはできなかったですね。
学校の年間スケジュールを早めにいただき、行事優先で仕事を入れていきました。それでも地方でのコンサートと重なると、スタッフがまだ働くなか、私と現場マネージャーだけ早く帰らせてもらって行事に参加したことも。
40代のときは娘が多感な年頃で、見て待つ時期は終わりましたが、今度は娘が人生選択を迷うタイミング。精神的サポートが必要でした。高校1年生で留学し、2年生で帰国したとき、日本の高校3年生には編入できず、友達は3年生なのに娘は1年生。その選択に、私は安全な道を勧めましたが、娘の意志はそうではなかったりもして、40代は娘との闘いでした。娘とのつき合い方がうまくできたか、今でも考えることがあります。子育てには終わりはないですね。でも、大人になった今、人と人とのいい関係で、先日も神奈川県の鶴巻温泉に2人で行ってきました。とてもいいお湯で、その後、母とも一緒に行きました。母親ってずっと自分をカバーしてくれると思っていたけど、段差のある道の前で手を差し出すと、強い力でつかまるんですね。幼少の頃、母にしがみついたことと逆だと思うと、こんなにも年を取ったんだといろんな感情が溢れ出しました。
カーディガン ¥137,500、シャツ ¥82,500(ともにペセリコ)ホワイトゴールドダイヤモンドイヤーカフS ¥330,000、L ¥440,000、プラチナダイヤモンドリング ¥693,000(すべてかがよい)
「天城越え」の歌をいただいたのは28歳のとき。それまでも多くのヒット曲に恵まれ、結婚も出産もして幸せな家庭を得ても好きな歌を歌っていた私に、ある日作詞家の吉岡治さんが「石川さんの幸せがぶち壊れるような歌を作りたい」とおっしゃってプロジェクトがスタート。決して私も幸せを壊す気はなかったし、結果シングルになりましたけど、あの歌のせいとも思っていないですよ(笑)。
一方で19歳からNHK紅白歌合戦に出場させていただいていましたが、まだトリをとっていなかったので、スタッフみんなが「石川にトリをとらせたい。そういう歌を作ろう」という想いも合わさって生まれた歌でした。
発売されてすぐはまったく売れなかったんです。事務所は早く次作を出そうと焦りましたが、制作側は「この歌の使命は紅白のトリだ」と譲らず頑張ってくださいました。結果、年末まで歌ってトリが実現すると、年明けから火がつきました。
悲壮感漂う歌ですが、28歳と今では私自身の解釈も変わりました。今は、言葉のひとつずつに「どうだ」と刃物を突き刺すように私が示すよりも、聞く側が「天城越え」の世界観を膨らませて楽しんでもらうことが理想です。
’07年から、紅白で「天城越え」と「津軽海峡・冬景色」を交互で歌っています。新曲も歌いたいと思ったりもするのですが(笑)、私の1年を押しつけるだけが歌手の締めくくりではないのかなと。みなさんが「年末はやっぱり石川さゆりの『天城越え』だね」と言いながらご自身の1年を振り返っていただく時間になれば嬉しいですね。
制作当時はカラオケが一大ブーム。あえて「カラオケで歌えない歌にしよう」というのもひとつの目的で、あの頃は本当に歌えない歌だと嘆かれました。でも、歌は媚びたり迎合するものではなく、信念を持って、何を届けたいかが大事だということを「天城越え」を通して学びました。結局、平成で最も歌われた演歌となり、カラオケでも首位になりました。
この50年、特別なことをしてきたわけでなく、いつも世の中の動きや流れを感じながら、そのときどきでおもしろい種探しをして歌ってきました。周囲のみなさんが、私に何かやらせたいと思ってくださるのは、「何か楽しいことしたいよ」オーラ満載だからだと思います。今やスタッフは私よりうんと若い方ばかり。最初は配信とか、YouTubeと言われてもわからないことばかりでしたが、「どうやって作るの?」と教えてもらいながら、どうすればおもしろいことができるかを共に考えました。コロナ禍で会場で歌えない時期は、「何かできるはず」と自宅で歌って届けることを思いつき、いち早くYouTubeから配信しました。フル編成は無理だから、ピアノやギターだけで歌い、アコースティックだからこそ作れる世界を実現。思いもよらない楽しさを発見できました。そんな連続でここまできたと思います。
日常も同じです。何かを楽しみたい、見つけたいと思いながら過ごしている人っていい顔してるもの!美しさって目鼻立ちがどうのこうのではないですよね。若い頃は内面とは関係なしに元気がパーンと弾けた美しさがあるけど、そのうちメークでどうにかすることを覚え、40代後半になると「誰も女性として見てくれないんじゃないの?」と不安になるものです。でもそんなのは序の口で、恐ろしいのはおじさん化することだと思うの。キャリアがついて、自分に自信を持ちすぎると傲慢になって、可愛げがなくなり、おじさんになる。自戒を含めて絶対に気をつけなければいけないと思います。そうならないためには、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言うように、知らないものは知らないと、知ったかぶりをせず聞くことです。興味を持ったことは、「それって何?」と聞いて、若者とどんどん友達になればいいと思います。そうやって繫がっていけば、できることはもっとありますね。
今私がやりたいことは子どもたちが幸せになるにはどうしたらいいか。それをみんなで考え、私なりに着々とやっています。
中学時代の仲良し4人組で、この夏50年後の修学旅行を計画しています。先日コンサートに来てくれたとき、「自分たちのために時間を使って楽しいことをやろうよ」と盛り上がったんです。中学3年生で京都に修学旅行に行ったときは、先生に「静かにしろ」と怒られたことしか覚えてなくて、同じコースで二条城や金閣寺を回ってみたいと話しました。その1回目の打合わせを、先日わが家近くのレストランでしたのですが、うちの近くまで来てくれたからと、私が代金を払おうとしたら、「絶対にそれはダメ」と制され、10円単位まで割り勘にしました。こんな仲間がいることが嬉しくて楽しいし、そうやって計画するだけで若々しく元気になるものです。
どんだけおもしろく過ごしているか、元気でいるかが一番!みなさま、楽しく過ごしましょ。ご縁があれば、結婚もあきらめていませんよ(笑)。
「ありがとう」という言葉を、誰もが大切にして過ごすと周囲も世界も自分も幸せに暮らせます。とてもシンプルな言葉だけど、常に私の心の中にある言葉です。
2023年『美ST』6月号掲載
撮影/中村和孝 ヘア・メーク/黒田啓蔵(イリス) スタイリスト/野田 晶 取材・文/安田真里 編集/和田紀子
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