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29歳で脚本家デビュー以来、「やまとなでしこ」「ハケンの品格」「ドクターX 外科医・大門未知子」「花子とアン」「西郷どん」など、32年間で数々のヒットドラマを手がけてきた中園ミホさん。実は占い師としての一面もあり、 人生のすべてを占いで決めてきたとか。そんな中園さんにこれまでと未来についてうかがいました。
大学卒業後、広告代理店に就職したけれど、失敗の連続。自分でも嫌気がさしていた頃、同僚が申し込んだものの忙しくて通えなくなったシナリオ講座に、代わりに私が通うことになりました。そこで脚本を書く面白さを知って、1年3カ月で会社を退職。すぐにはチャンスは巡ってこなくて、一時期占いの先生のもとでアシスタントをしていました。でも、まったく霊感がないことに気付いて、脚本修行の道へ。
脚本家でもないのに脚本家が集まるバーによく顔を出すようになり、そこで脚本家の桃井章さんと出会いました。ある日、桃井さんに「今はみんながご馳走してくれるけど、30歳を過ぎるとご馳走してくれないよ」と忠告されて、「それは困る」と言うと、「これだけ脚本家とお酒を飲んでるんだから、中園も書けるだろう。同時に2本抱えていて間に合わないから、下書きしてくれないか」と頼まれました。当時29歳で、占いではその後運気が低迷する崖っぷちのタイミングだったこともあり、今こそ踏ん張りどきだと奮起して書き上げたのが、デビュー作「ニュータウン仮分署」でした。
女性の脚本家が少ないこともあり、すぐに仕事が来たのですが、やりたくない仕事もたくさんありました。当時のテレビ業界はセクハラやパワハラの嵐。実力があればものともしなかったけれど、セクハラプロデューサーを蹴飛ばして帰ってきたら、翌日あっさり仕事を断られたりして、本当に辛かったです。書きたいものを思うように書けないし、直しが苦手で、これを書き上げたら辞めようといつも思っていました。本当にダメ人間でしたね。「脚本家で生きて行こうなんて思ってない」「連ドラを受けたら遊べなくなる」などと言いながらフラフラ生きていました。転機になったのは、34歳のとき。未婚のまま、息子を出産したのです。
産もうか産むまいかと迷い、最初の2日間は産まないことを考えました。当時は連ドラ「白鳥麗子でございます」を執筆中で、締め切りだけで手いっぱいなのに、産めるわけがない。家庭的な人間でもない私に子育ては無理だと考えていると、大好きなご飯がどんどん美味しくなくなって、食欲もわかないし、世の中が真っ暗に思えてきました。そこで3日目に、今度は産んだらどうなるかを考えました。家族ができるってどういうこと?ここに子どもがいたらどういう感じかな?そう考えると俄然お腹が空いてきて、お米をといでご飯を食べたとき、子どもの分も作るんだなと顔がほころんで、そのときのご飯があまりに美味しかった。こっちが正解かもと産むことを決意したのです。妊娠中は毎日お腹に向かって、「生まれてきたら楽しいことがいっぱいあるから大丈夫だよ」と言い続けました。
出産は時間がかかってへとへとでしたが、先生が子どもを目の前に連れてきてくれたとき、じっと私のことを見て、美輪明宏さんみたいな声で「楽しいって言うから生まれてきたんだよ」と言うのが聞こえました。これからはもう生き方を誤魔化せない。まず私が幸せじゃないとこの子も幸せになれない。その瞬間にギアが入りました。脚本家としてやっていく覚悟が決まったんです。そこからはもう必死です。19歳で母が亡くなり、しかも未婚の私。誰も助けてくれないと覚悟していましたが、みんなが助けてくれました。なかでも意外だったのはキャリアウーマンの人たち。「私は仕事ばかりで産めなかったけど、よく産んだわね」と仕事をまわしてくれたり、保育園のママ友が「うちも熱を出しているから、2人で寝かしておくよ」と熱のある息子を預かってくれたり。世の中は捨てたもんじゃないと、そのたびに涙が出ました。人に頼れない性格でしたが、恥ずかしいことも弱さも全部さらけ出して、みんなに助けてもらいました。来る仕事もすべて受けました。おかげで一歩一歩キャリアを積み上げ、何とか脚本家で食べていけるようになったのです。
その息子も27歳。音楽の道に進み、今も一緒に暮らしています。無口だけど、旅行も一緒に行くし、仲はいいですね。失敗だらけの人生ですが、子どもを産んだことは最良の選択でした。
そもそも占いは自分で自分の背中を押すためのもの。なかには脅すような占いもあるけれど、怖いものじゃないんです。幸せになるためにあるのだからそれをみんなに伝えたくて、2019年から占いアプリを開設しました。
占いと、趣味の人間ウォッチングを長い間続けてきた結果、今思うのは、人の幸せのために一生懸命何かをやっている人は、みんな強運をつかんでいるということ。自分磨きばかりでは運は広がっていきません。誰かを楽しませよう、幸せにしたいと動いていると、楽しくなった笑顔の人たちのいい運気を全部吸収できるんです。ひとりで張ってひとりでつかむ運なんて大したことはない。林真理子さんがまさにそうで、いつも人のために何かをやっていらっしゃる。すると、その人たちの「林さん、ありがとう」という気持ちが林さんの運気をぐっと上げていくんです。ユーミンだって元々すごい才能だと思いますが、女性が共感できる曲を全身全霊で作っているから、「ユーミン、ありがとう」の気持ちを吸い上げて、さらに強運になるんです。人のために何かをやっていると、必ず自分に返ってきて、どんどん豊かな人になっていく気がします。主婦の方は夫、子ども、家族みんなが幸せに過ごせることを考えればいい。美味しいご飯を作ることだったり、イライラしないで笑顔でいることだったり、そんなささやかなことでいいのです。そういう人はみんな美しいですね。
私はそんな周りの幸せな人を真似してみるんです。スランプのときって誰にでもあります。そういうときは、「あの人みたいになれたらいいな」と思う人のそばに行くんです。必ずその人はいい運気を出しているはずだから。そのおこぼれをいただけるし、幸せのヒントにも気づけます。運気のいい人に触れて吸収することで、低迷している運気に風穴があいて、いい風が吹いてくるのです。
日本占術協会に所属していた20代の頃、四柱推命・気学・占星術などあらゆる占い師の方が「2020年の前後に大変なことが起こる」と言っていました。ずいぶん先の話だし、何が起こ るのかと漫然と恐れを抱いていましたが、新型コロナウイルスだったのかと納得しました。さて、2021年は?先日対談した江原啓之さんは天啓の年になるとおっしゃっていて、何か光が見えてくると私も信じています。価値観が変化していろんなことが起こるけど、必ず良くなる。みんながそう思っていれば本当にそうなるんです。ドラマ「花子とアン」で、「曲がり角の先には何があるかわからない。でもきっと一番良いものに違いない」とアンが言いま した。今はまさに曲がり角。そういうときこそ必死で夢を見て、想像力と創造力が試されるとき。願えば必ず叶うのです。
母の友人だった占いの大家、今村宇太子先生に14歳で師事。以来カレンダーを見る感覚で占いと共に歩み、OLを辞めた後は週3で先生のアシスタントをしていました。
仲の良い親戚の腕時計が素敵で「欲しいー!」と冗談で言うと、すぐに外して「はい」と。息子からスイスの高級時計、パテック フィリップだと言われて驚きました。
お弁当を作り、ご飯も作って、子育てに仕事に大忙しの40代。きっとすべては家族のため、人のためにやっていることで、今は大変かもしれないけれどあなたには美しさが滲み出ているし、いつか必ず報われるときが来ます。
●Profile
1959年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、広告代理店勤務、コピーライターを経て、14歳より師事していた今村宇太子氏のもと占い師として活動開始。’88年脚本家デビュー。’96年ドラマ「Age,35 恋しくて」、’97年「不機嫌な果実」’00年「やまとなでしこ」、’07年「ハケンの品格」、’12年「ドクターX 外科医・大門未知子」シリーズ、’14年連続テレビ小説「花子とアン」、’18年NHK大河ドラマ「西郷どん」を手がける。
2021年『美ST』3月号掲載
撮影/興村憲彦 ヘア・メーク/三上宏幸 スタイリスト/西ゆり子、山下 由 取材/安田真里 構成/和田紀子
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2024年10月16日(水)23:59まで
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