PEOPLE
令和元年に誕生45周年を迎えたハローキティ。日本のみならず、世界中から愛されるキャラクターにした立役者が、1980年に3代目デザイナーに就任した山口裕子さん。毎日ハローキティと会話をし、「私がキティをどうするかではなく、キティがしたいことを私は手伝っているだけ」という山口さん。エイジレスの魅力に迫ります。
大のお気に入りの「ジェーンマープル」のバイオリン柄のワンピース姿で、表参道の行きつけのカフェ「モントーク」で。’70~’90年代に、最先端のクリエイターが集っていた「カフェドロペ」の時代から通い続けて30年。ほぼ毎日来ていた時期もあり、いちばんリラックスできる場所だそう。https://www.montoak.com/
ヘアスタイルは普段は自分で作っています。まずはツインテールにして、そこから少しずつ束ねた髪をくるくる巻いてピンを挿し、斜めにリボンを置いて完成。1時間かかります。
50代のときは単純にツインテールだったんです。でも、年齢とともにカッコがつかなくなってきて。そのうえ、髪を垂らしたままだと、暑い日は首にベターッとくっつくのが嫌で、すっきり上げたほうが気持ちがいいでしょ。周囲の評判もよかったので、5年前くらいから定番スタイルに。昔は帽子が大好きでしたが、今のヘアスタイルではもうかぶれません(笑)。
私がハローキティの担当デザイナーになったのは入社3年目の1980年。以来、ずっとキティと一緒に歩み、今も毎日デザインしています。
私がサンリオに入社したときは、ハローキティは低迷期。当時は、リトルツインスターズのキキ&ララのほうが人気でした。私も特別キティに対して思い入れがあったわけではなかったのですが、入社3年目に3代目デザイナーになり、上司から「君は毎日キティちゃんとお話をしていますか?」と聞かれてびっくり。「何、この人?」って思いますよね。もちろん「してません」と答えると、「毎日話しかけなさい」と言われました。私、こう見えてわりと素直な性格なので、「話しかけないとだめなのか」と納得。会社にあったキティのぬいぐるみに毎日語りかけ始めました。でも、最初の頃はキティは何も反応してくれませんでしたね。
’84年に1年間アメリカのサンフランシスコのデザイン室に赴任。日本から離れ、アメリカのカルチャーに触れたことで、キティに対して、ああしたい、こうしたいと、やりたいことが溢れ出てきて、帰国後、それをすべて形にしていきました。
’85年秋、キティのお友達のタイニーチャムを発売すると、サンリオのキャラクター売り上げナンバーワンに。キティに「売れたよ!」と話しかけると、初めて「お姉さん、よかったね」と答えてくれたんです。信じられないでしょう?でもね、本当なんです。
タイニーチャムが生まれたのは、テディベアブームがきっかけでした。みんながそんなにテディベアが好きならキティも、とテディベアを抱いたキティを出してみたんです。それをさらに進化させたのがタイニーチャム。キティは固定化されたものではなく、時代とともに進化させられるキャラクター。’90年代半ばには、キティはピンクに染まりました。きっかけは、昔から憧れだったファッションブランド「MILK」のオーナーのひと言でした。原宿のお店に毎日のように通っては、オーナーからサクセスストーリーを聞いていました。ある日、「次に流行る色は何色か知ってる?」と聞かれて「黒ですか?」と言うと、「違うねん、ピンクやで」と。「どうしてピンク?ピンクなんて今の世の中にはないですよ」と言うと、最近「MILK」で赤、ピンク、白、黒の4色の腕時計を発売したとき、圧倒的に売れたのがピンクだったのだそう。「これからは絶対ピンク。うちもピンクの服を増やそうと思う。世の中は変わろうとしている」とおっしゃって、試してみるしかないと直感しました。上司に「ピンクを使いたい」と提案すると、「何を考えているんだ。ピンクはベビーの色だ」と猛反対。でも、「とにかくテストさせてください。それが売れなければ諦めます」と説得。売れ筋のプチタオルで試しにピンクを作ったら、なんと完売!すべての商品をピンクに変えて大ヒットしました。
当時、新製品を発売するたびにサイン会を行っていたのですが、女子高生たちと直接話す機会がありました。「どうして、援助交際なんかするの?」と聞くと、「ブランドの財布が欲しいから」と言うじゃないですか。「どこがいいわけ?」と聞くと、「キルティングしているところが可愛い」と言うので、「じゃあピンクで横長のキティちゃんのお財布があったら買う?」といったやり取りから生まれたのがピンクのキルトシリーズでした。財布や定期入れ、バッグ、ポーチなどあらゆるアイテムを作り、一瞬にして棚からなくなりましたね。今も変わらず人気商品です。
あるとき、「キティちゃんがハチになったら可愛い!」と言う女子高生がいて、その言葉が脳裏に焼きついて、生まれたのがキティの変身シリーズの第一弾。その後のご当地キティにつながりました。
そんなふうに若者の話を聞きながらマーケティングをし、商品化することが定着していきました。新しいことを提案しては反対されました。でも私、性格がしつこいんです。感覚ではなくデータを示して納得させ、その繰り返しで進んできました。
今はとにかく20代の若者と話をすることが楽しくて、最近は2.5次元の舞台俳優さんたちと仲良くしています。まだ2.5次元舞台がここまで人気になる前、舞台「K」の主催者に誘われて観に行き、その後、その俳優さんとご飯を食べに行く機会があったんです。彼は当時24歳で、「25歳のバースデーをサンリオピューロランドでやりませんか?」と提案しました。当時の彼はまだ駆け出しでしたが、今ではチケットが取れないほどの人気者。でも、年間40公演は観に行っていますね。若い世代が頑張っている姿を見ると、パワーをもらえるし、彼らとは長時間話していてもまったく飽きません。
20代の若者たちのキャッチする力って、ほんとにすごいんですよ。彼らに会うたびに感心するのですが、20代の男子って肌が本当にキレイ。「どうしてそんなに肌がキレイなの?」と素朴に質問すると、「毎日パックをしているから!」と。それで私もパックを習慣にするようになりました。ひげが生えるのが嫌だから永久脱毛もしていて、ニキビができたら皮膚科に即駆け込むそうです。20代男子は女性よりはるかに女子力が高いですね。
出張で韓国に行ったとき、「カタツムリの成分がとにかく肌にいい」と地元の方に勧められて以来、行くたびに購入していました。1枚約1,000円を毎日。お肌のハリが違います。
アルマードと東京大学の共同研究で生まれた卵殻膜サプリ。ケラチン、ヒアルロン酸、ミレットエキスなども配合した究極のアンチエイジングサプリ。欠かさず飲んでいます。
●Profile
高知県高知市生まれ。女子美術大学卒業。サンリオに入社後、’80年にハローキティの3代目デザイナーに就任。’85年にハローキティをサンリオでトップセールスを誇るキャラクターに育てあげ、さらに’90年代にはマライア・キャリー、パリス・ヒルトンなど海外セレブにも愛される世界的大ヒットキャラクターへと進化させる。現在は常務執行役員キャラクター制作部長。
後編へつづく
2021年『美ST』1月号掲載
撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/甲斐美穂 取材/安田真里 構成/和田紀子
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2025年11月16日(日)23:59まで
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