PEOPLE
今年は記念すべき10回目となる美魔女コンテスト。過去9年間の美魔女ファイナリストから選ばれた、精鋭の美魔女「レジェンド美魔女」と、2019年10期生の美魔女から選ばれたファイナリストが競演し、ベストオブ美魔女を決定します。12月5日に開催される「Spark Beauty Fes」こそが決戦のとき。輝かしいティアラは誰の手に!?
【何事にも貪欲に挑戦し続けてこそ〝美しく老いる〞ことができるはず】
栃木県で飲食店経営をしていた10年前、40歳を過ぎた頃から、美に対して友人と温度差を感じるようになりました。美容好きで話が合わなくなったと感じた私は、コンテストに応募してファイナリストに。すると、美ST誌面では憧れの仕事ができ、地元栃木ではエステのイメージモデル、皮膚科クリニックでトークショー、ラジオ出演、情報誌の連載など嬉しいオファーがいっぱい。テニスや乗馬の趣味を通してスタイルを磨き、黒髪と白肌のチャームポイントを維持し続けました。企業広告モデル、テレビの情報番組出演など、順調に仕事は増えるも、45歳を過ぎてからは更年期障害で精神的に沈み、親の介護も重なって。何もかもが苦痛な時期もありました。それでも消えなかったのは美への憧れ。この思いを美STの撮影や美意識の高い仲間と会うことで何とか奮い立たせ、ここまで繋いできました。おかげでマーティン・スコセッシ監督のハリウッド映画『沈黙』で女優デビュー。ミス・ユニバース・ジャパン栃木大会でディレクターや審査員を務め、新境地も発見。昨年父を見送り、更年期障害も治療で落ち着き、また一つ美に気づかされたことがあったんです。ミスコンの現場で「裏方で、若い女性の美を育て、サポートしたい」と発言したら、「私たちは、美魔女の活躍を見て、歳をとることが怖くなくなったんです。ずっと私たちの前を歩いてください!」と。人生、美に支えられていますね。その励ましの言葉にふさわしい女性でいるために、日本舞踊を始め、今、初舞台を経験しようとしています。「美しく老いる」。それが私のテーマです。
第1期ファイナリスト。栃木県在住。モデル、ミス・ユニバース栃木大会の審査員などを通し、トータルビューティーアドバイザーとして活動。源氏物語の役に惚れ込み、着付けを習い、今年は、美しい所作が身につく日本舞踊で初舞台に挑戦。
【子育てで忙しくとも手を抜かず、〝ながら美容〞で強く優しく美しく!】
30代後半に差しかかった頃、若いモデル達の活躍に、自分の居場所がなくなる危機感に襲われ、母になったらモデルはやめようと決めていたんです。そんな折にコンテストに応募。同世代が美を謳歌している姿を見て、美しさは年齢ではなく経験と磨かれた内面で、前向きな努力が大切だと学んで。年齢に負けることなくモデルの仕事を続けることにしました。とはいえ、41歳での出産は想像以上に体へのダメージが大きかった。髪が抜け白髪が増え、肝斑が目立ち肌状態も最悪。でも一方で息子と過ごす時間や柔らかな風にさえ幸せを感じるようになり、母としての喜びを実感しました。9㎏増えた体重は授乳やつれで落ちたものの、姿勢が崩れ体幹も弱くなった自分に気づき、全身が映る鏡を家の3カ所に置き、前傾姿勢や反り腰をチェック。子供と一緒にDVDを観る時もソファに沈み込むように座らずクッションを背中に当て猫背を防止したり、添い寝しながらの腹式呼吸を日課に。背筋矯正ベルトをしながら夕食を作ったり、ジムに行かなくても〝ながら美容〞を習慣にすれば、美しさは保てるとわかりました。そんな頃モデルの仕事が再び舞い込み始めたのです。母になり柔らかな印象になったねとよく言われます。年齢に追い立てられることなく、体の変化に怯えるのをやめました。小学生で160㎝を超えてしまった身長が嫌で、ずっと172㎝と言い続けていましたが、昨年やっと176㎝あることをカミングアウト。ありのままの自分を受け入れると新しい自分が見つかることがわかったからです。いつも前向きでフレッシュな自分でいようと思います。
第2期ファイナリスト。広島県在住。25歳でモデルデビュー。ショーモデルやカタログ撮影など地元中心に活動し、9年前に結婚。一人息子は現在4歳。出産後は所属事務所の後輩たちの育成にも携わり、ウォーキングや姿勢矯正などのレッスンも手がける。
【美は内側から。自然の中で本当に大切なものが見えてくる!】
幼少期から自然に親しんできた私はダイビング雑誌のモデルを経験した後、主婦業に専念。社会復帰を考えていた頃、美STとABCテレビがコラボした関西美魔女コレクションに出場しました。その1週間前に17年連れ添った夫と離婚し、失うものはない、思い切って挑戦しようという思いでした。そして初代グランプリになり、出場権を獲得した美魔女コンテストで準グランプリに。翌年、7日間で250㎞を地図片手に走破する白山ジオトレイルに参加したことも大きな変化でした。食料、寝具、衣類などすべてをリュックに入れて走るのでスキンケアは小さい容器に詰め替えた馬油のみという過酷な状況。でも1週間も現実から離れて大好きな山の中で過ごせて楽しかったんですよね。途中、嵐に見舞われ生死に関わるようなサバイバルを経験。人生の削ぎ落としができ、何が大切で何が必要かをはっきり確かめることができました。ただその頃から原因不明の蕁麻疹に悩まされるように。とてつもない経験をすると体が拒否反応を起こし体質が変わってしまうようなんです。皮膚科の薬が手放せない状態が3年ほど続いた時、ハワイ島の海と山で食事もハワイアンフードという旅へ。すると何年も治らなかったすべての症状が噓のように完治。私には大自然の暮らしが合っていると実感しました。以来、ハワイ島の森を守るNPOに協力し、自然を次世代へ残していく活動を開始。今後は奈良の良さを伝える食と自然のアートサロンを作り、環境保全活動もしたいと思っています。何事も諦めないで幸せになる方法を追求していきたいですね。
第3回準グランプリ。奈良県在住。娘2人孫娘2人。ネイチャーモデル、Earth Tripプロデュース。ハワイ島、奈良、高知で〜未来の地球を旅する〜ツアーを開催。白山ジオトレイルには選手として参加後、今はスタッフとして毎年サポート。
【夫の支えとランにピラティス。新たな挑戦がポジティブな心に】
35歳の頃は東京在住で下着メーカーの教育担当として充実した日々を送っていました。主人の転勤に伴い、名古屋に戻ることになり、20年間勤めてやりきった感もあって退職。でも一方ではすべてを手放して私に何ができるのかと喪失感も抱えていました。40歳を前にそんな状態に不安になった時に輝いている先輩美魔女たちを誌面で見て、コンテストに応募。グランプリを受賞。まったく知らない世界での撮影は楽しいものでしたが、本当にこれでいいのか、スタッフの1カットにかける熱意に応えられているのかと葛藤。ウジウジ苦悩している姿を見て、主人が「そのままでいいんだよ」と言ってくれ、自分にできることを楽しめばいいと思えるようになったんです。彼はいつも私の気づかないことを気づかせてくれ、正しい方向に導いてくれる存在。自分自身より世界中の誰よりも私のことが大切だと言ってくれる主人との新たな絆が芽生え、血は繋がってないけど家族になるってこういうことなんだと愛が深まりました。41歳で美STの企画でいしのまき復興マラソンに参加。辛かったけど走っていると考えるのも嫌になり雑念が飛んで心が整うんです。ゴールした後の達成感も格別。マラソンは私の持っている力を思い出させ、いつの間にか小さくなっていた私に広い世界を見るきっかけを作ってくれました。その後、走るための体幹トレーニングでピラティスに出合い、その哲学に魅せられ、インストラクターの資格を取得。本人でさえ気づかない魅力を引き出すことが好きな私には天職かも。自分のペースで一歩一歩進み、ワクワクすることが美の力になると思っています。
第4回グランプリ。愛知県在住。主婦兼ピラティスインストラクター。主婦は人生の土台であり、帰ってきたと思える場所。ピラティスインストラクターは心身を整え、自分自身を見つめ直す場所。どちらも同じぐらい大切なもの。
【生きる世界を自らの力で変えたという自信を輝きに】
専業主婦を経て、5年前にコンテストでファイナリストになるまでは、苦しいことが多く、自分自身のことを考える余裕もありませんでした。それは、一人息子が幼少期から他の子とは違い、トラブルが絶えず、生活が息子一色だったから。救いは33歳で始めたフラダンスで夢を持ち、ハワイで世界大会の舞台に立てたこと。子育てとは違う今までにない達成感を得て心の均衡を保っていました。息子が小学校に入学すると状況はさらに深刻化し、トラブルで毎日のように親が学校から呼び出される日々。しかしその原因が息子ではなく、発達障害にあったと判明。学校側の障害に対する理解が低く、摩擦が解消できない状況へと発展。心身ともに親子で苦しみましたが、真摯に向き合い、泣いて笑って、私も少しずつ成長しました。37歳でコンテストにも応募しファイナリストに。人に見られる立場になって意識が変わり、自己ブランディングにも励み、モデル、インフルエンサー、アパレルブランドプロデューサーとして、目標を次々実現。美ST誌面でも1ページを1人で飾れて、毎月のように起用していただけるように。いつの間にか内面からポジティブな楽天家になりました。今年はアパレルブランドDOZEをリリース。11月にはQVCで通販デビュー。私は人生の壁で感じた怒りをエネルギーに変えるタイプ。特別な才能があったわけでもなく、息子が中学生になってもまだまだ子育て奮闘中ですが、心のバランスを取り、美しく前向きに生きる思考が身につきました。成長させてくれた環境に感謝でいっぱいです。
第5期ファイナリスト。東京都在住。モデル、アパレルブランドプロデューサーとしても活躍。14歳の子供の母。主婦からインスタグラマー、モデル、ブランドプロデューサーと、この数年で美魔女イチ成長した変化の人。11月にQVCデビュー。
【日本と台湾の架け橋を目標に素直さとチャレンジ精神をアップデート】
台湾から20歳で九州の大学に入学。日本で就職、結婚、子育てをし、もう日本の生活の方が長くなりました。10年前は娘が4歳。幸せでしたが、家事と子育てだけの、どちらかというと窮屈で平凡な日々。37歳の頃、ハーフマラソンに出場したことがきっかけで、チャレンジへの扉を開くことに。フルマラソンに毎年出場することがライフワークになりました。社会と繋がりたい気持ちが旺盛。言葉の壁はありましたが、それを理由にしていたら何も実現しません!訪れたチャンスはどんなことでも、できないと決めつけず受け入れてトライ。外国人の私は日本ではほんの些細なことも日本人がお手本となる。だから人が教えてくれることは素直に受け入れ学ぶ精神で暮らし、結果、気がつけば、やりたかったデザインの仕事、免税店や百貨店の接客業、美魔女、台南観光大使と、次々と実現。言葉の壁で就職試験など苦労することもありましたが、それだけに今は、壁を越えるコツと人間力が身につき、怖いものがなくなりました。私の人生はチャレンジそのもの。得られた自信と達成感は、家事、仕事、美魔女と役割が増え忙しくなるほど、私をイキイキとさせてくれました。最初は苦手だったモデルの仕事も幅が広がり、髪を切ってみないかという提案も受けて大正解。より魅力的な自分を引き出すことができたみたい。昨年から、明治安田生命で営業の仕事に就きました。ファイナンシャルプランナーの資格取得のため、勉強中です。このチャレンジ精神と素直さが、若々しさの源じゃないかと思っています。
第6期ファイナリスト。東京都在住。会社員、台南観光大使。13歳の子供の母。日本の大学に留学後、就職、結婚、出産、育児を経て美魔女に。昨年から大手企業の営業として就職。40代でも外国人でも、しなやかに壁を越えて力量を発揮。
【妊婦で面接を受け産後3カ月で本番どんな状況でも美は開花する】
私はバツイチの再婚。30代前半は仮面夫婦の悩みを抱え、34歳で離婚するまで暗黒時代でした。結婚から7年の間に、友人への相談やカウンセリングを通し、甘やかされて育った私の男性依存気味なウイークポイントに気づきました。離婚後は自立した大人の女性を目指し、生命保険会社で正社員に、iPhoneフォトグラファーとして、趣味の道でもやりたいことを実現。地に足の着いた日々を送っていました。ただ、男性とのお付き合いには自信を失い、ワインの趣味を通して出会った今の夫ともなかなか進展ならず、1段ずつ階段を上がるように、慎重な付き合いを経て、ようやく3年後に結婚。2人目の子供を妊娠中にコンテストに応募し、出産直後に最終選考会のステージに立ちました。以前の私なら、ありのままの姿を披露するコンテストに出場するなど、考えもしませんでした。そんな私が挑戦できたのは、気づきを通して悔い改め、尊敬できる今の夫と着実に毎日を楽しく暮らせている自分に自信が持てたから。「昔憧れていた女性に自分がなっている!」と思えたからです。失敗しても、妊娠、出産、子育て、ライフステージの変化の渦中でも、好きなことにトライしていいんだよと伝えたい。そのために、ビューティエキスパートとしてインスタで生活に密着した情報を届けています。女性のライフステージの変化は期間限定ですが、気づかずに翻弄され、生活に埋もれてしまう女性が多いのも事実。ほんの少し意識を変えると世界が変わることも発信。普通の毎日をいきいきと過ごす情報を共有することが、私の喜びでありエネルギーです。
第7期ファイナリスト。東京都在住。兼業主婦で4歳と3歳の子供の母。3年前は後ろ向きだった人生が180度好転した喜びと感謝を、今年は普通の働くママが周りを巻き込み美を開花する姿を表現。「私もまだいけるかも?」と同世代が共感。
息子が小学校に入学した10年前、33歳だった私は、雑誌「Como」の読者モデルをしたり、フラを習ったりと、楽しい時間をつくりながらも、夫とは行き違いや不満が重なり距離を広げるばかり。離婚の危機も感じていました。しかし、ある恩人と心理カウンセラー、起業塾の存在を介し、自分のセルフイメージの低さと家族に影響を与えていた負のオーラにも気づいて。改めた39歳の頃に夫婦仲が一変しました。私は悲劇のヒロインから卒業。お互い歩み寄り、尊敬、応援し合えるような仲になれて、すごく嬉しかった!すると次は、毎年のハワイ家族旅行で撮っていた写真がきっかけでフォトグラファーになり、コンテストに応募してファイナリストに、とすべてが好転。でも、美魔女になったからといって、誰にでも仕事がくるわけではありません。私はアンケートなどの初歩的な要求にも回答できない美意識の低さに気がつき、あらゆる美の学び場に飛び込みました。自分が変わることで美STの仕事も増え、憧れのヘア・メークさんのモデルを務め、海外取材の記事に起用していただくなど、幅が広がり、肌がキレイになったと褒められるようにもなりました。うまくいかないことがあったら、周囲のせいにして、ただ待っているだけではダメですね。また、女性を撮る側としても成長できている気がします。人生の岐路に立ったときに魅力を引き出し、綺麗に撮ってあげることが、その人の自信になり、人生を変える力になる。そんなフォトグラファーとして活動することに幸せとやりがいを感じています。応援してくれる家族にも感謝しています。
第8期ファイナリスト。千葉県在住。女性の魅力を引き出すフォトグラファー。17歳の子供の母。不満を抱えていた普通の主婦から、夫婦関係、美意識、仕事など、自分の内面の変革にチャレンジして人生を好転、充実させ、幸せを引き寄せ、職業にまで活かせる人へと成長。
【家族が面白がってくれるのが原動力。はんなりとした女性と言われたい】
長年京都に住み、息子を育ててきた私は、ちょうど10年前、心身ともに体調を崩し、原因が分からず病院を転々としているような状態でした。あるとき夫が計画してくれたハワイ旅行で、ダイナミックな自然を感じ、イルカに触れ……。小さなことにとらわれている自分に気がついたことを機に、健康な心身を取り戻しました。40代は、派遣社員で企業の受付をしていたので、美しい言葉遣い、所作や身だしなみを指先まで心がけていました。2年前に夫の転勤があり、息子は大学のある京都に留まり、夫と私は神奈川に。私は専業主婦になったので、忙しかった毎日から、急に自分のために使える時間が増え、かねてから同僚より勧められていたコンテストに一念発起して応募したところグランプリを受賞したんです。このチャレンジは自分のためであると同時に、家族のためでもありました。妻、母として、人生を楽しんでいる姿を見せることで、家族が面白がってくれることが、私が輝く原動力なんです。夫は、グランプリになったときに「こんな素晴らしい経験を一緒にさせてくれてありがとう」、レジェンド美魔女に選抜されたときは「明日から俺も理恵のために頑張る!」と言ってくれる優しい愛妻家。息子は「僕もみんなでひとつのものを切磋琢磨して作り上げる経験がしたい」と言ってくれました。私のチャレンジが、家族の力になってくれるなら、いくつになっても挑戦し続けていたい。60歳になったときに、大好きな京ことばの「はんなりした女性やな」と、周囲に褒めていただくことが、私の変わらぬ夢です。
第9期グランプリ。神奈川県在住。主婦。20歳の子供の母。京都生まれの京都育ち。結婚、子供の成長に合わせ会社員や派遣社員を経て専業主婦に。家族に、母として妻としてたゆまぬチャレンジ精神を見せたくて、2年連続コンテストに出場!
美ST ONLINE内の美魔女コンテストページにて開催中のWEB投票、レジェンドたちも参戦して、盛り上がっています。随時、順位がわかるうえ、この投票結果が出場者のコンテスト受賞要素になります! 日々のブログで美磨きの様子をチェックして応援したい美魔女にぜひ一票を投じてください。
【人生で2回転の子育て。類稀な生命力で勝負します】
10年前に離婚後、看護師になり2人の子供を育て、再婚。再び2人の子供を高齢出産した4人のママです。37、38歳、39歳と3年連続で妊娠し、38歳は流産。胞状奇胎という病気が原因でした。もう一度子育てができる喜びは大きかったものの、出産の度にうつっぽくなり心療内科に行き、眠れない、食べれないの苦痛な毎日に追い詰められていました。しかしよい主治医と出会い、原因は産後うつと発覚。脳の栄養を補えば治ると知って、落ち着きを取り戻しました。妊娠、出産、子育て、離婚、シングルマザー、結婚、高齢出産、そしてコンテストに応募と、他の女性にはなかなかない、タフな経験を乗り越えてきたことが自信です。2期目となる育児の真っ最中で、毎日鏡をじっくり見ている時間はありませんが、美に執着せずとも、生命力溢れ、美しく生き抜く母の背中を、子供たちに見せられることこそが私の使命です。
第10期ファイナリスト。東京都在住。主婦。17歳、15歳、3歳、1歳の4人の子供の母。思春期の悩みを持ち始めた17歳のケアから1歳の乳幼児の子育てまで、同時進行。タフな経験から導き出される生命力と包容力溢れる美しさが魅力。
【21歳の出産で止まっていた自分磨きを今から始動!】
シングルマザーとして働き始めた10年前から毎朝5時半起床、子供に朝食を食べさせメークもそこそこに7時に出社の生活。営業で炎天下も構わず歩き回り、19時頃に帰宅。お腹を空かせている娘に一刻も早く夕食を食べさせ、翌日の夕食の準備。仕事の合間にPTAや学童の役員をしたり、娘の習い事のサポートもしてきました。毎日が目の回るような忙しさでメークを落とすのもやっとの毎日。たまに美容室に行けたらマシで、美容の自己投資はしっかり食べることぐらい。疲れと睡魔に襲われて食べることさえ忘れてしまうほどでした。今、愛する娘も思春期を過ぎ、大人への階段を上り始めました。チームプレイも苦手、自分一人の時間がないと息が詰まってしまう私だけど、みんなと一緒に美しさに再チャレンジしてみたい。40歳を目前に、20歳から止まっていた自分磨きの時計の針を動かしてみたいと思います。
第10期ファイナリスト。大阪府在住。会社員。大学在籍中に妊娠し休学、結婚、出産。義親と同居後3人暮らしを始め、子供を保育所に預けながら26歳で復学し卒業。就職を決めるとほぼ同時に離婚し、娘と二人暮らしをスタート。現在に至る。
【大好きな家族のために、幸せスパイラルは自分でつくる】
華やかだったCA時代を経て、プロサッカー選手だった夫と結婚し、10年間で3人のママに。幸せでしたが、夫は選手からコーチへと立場の変化が激しく、単身赴任の母子家庭生活や転職など、安定感に欠け、3人の子供を育てながら、家事代行のアルバイトをしていたこともありました。華やかな暮らしを楽しんでいたCA仲間に現実をひた隠しに。他人の家のトイレを掃除しながら涙したり、夫に「あなたと結婚しなければよかった」と当たってしまったことも。そんな矢先、ある本と出合い、負の連鎖から脱し、今あるものに感謝し、自分の心の声を大事にするよう改めました。昨年からよもぎ蒸しサロンを営み、コンテストに応募。すべてのことに感謝しながら、心の声を尊重し幸せな気持ちで暮らせる自分になれました。辛くて惨めだったこともすべて自分。そう認められたから、今、こんな素晴らしい舞台に立てます。
第10期ファイナリスト。東京都在住。よもぎ蒸しサロン経営。8歳、5歳、3歳の3人の子供の母。在日韓国人3世で、日本航空に勤務後結婚。子育てに翻弄された過去から脱皮して、一人の女性として、自分の未来と人生のために挑戦をスタート。
【〝美しくいたい〟という執念が死の淵から甦る力になる】
大切な家族を2人もがんで亡くしたので、胃がんが見つかったときは死を覚悟しました。医師に開腹手術の必要性を診断されたとき出した答えはNO。またビキニが着られるようお腹にメスを入れるのが嫌だったんです。生きるか死ぬかの瀬戸際に、です。腹腔鏡手術をしてくれる医師を探し、東京で手術を受けました。予後は良かったけれど食事リハビリが辛くパニック障害を引き起こしました。生気もなく干からびる自分を見て、これで終わりたくないと奮起、始めたヨガに救われました。次々ふりかかる病気を乗り越えられたのは、キレイを諦めなかったから。実は抗がん剤治療も拒否したんです。何が何でも美しくいたいという強い思いが病魔さえ追い出すことができました。美しさは決して外見だけじゃないけれど、外見は内面があってこそ。奇跡的に与えられた2度目の人生、自分の体験を伝えていきたいと思います。
第10期ファイナリスト。富山県在住。SMILE STAR代表取締役。23歳で結婚し24歳で出産。損害保険の仕事に復帰して38歳で起業。富山特産大使としてイベントにも参加。夢は保険とヨガとカフェが楽しめる女性のための空間づくり。
美ST ONLINE内の美魔女コンテストページにて開催中のWEB投票、レジェンドたちも参戦して、盛り上がっています。随時、順位がわかるうえ、この投票結果が出場者のコンテスト受賞要素になります! 日々のブログで美磨きの様子をチェックして応援したい美魔女にぜひ一票を投じてください。
12月4日(水)~10日(火)の7日間、日本橋髙島屋S.C. 本館1階 化粧品売場(8階ヒカリミライ 綾花含む)とコラボ! フェス当日、美ST公式サイトのトップ画面を提示の上、税込1万円以上購入の先着150名様に「タカシマヤギフトカード500円」を差し上げる他、期間中、サンプル等がもらえる特典も。詳しくは美ST公式サイトをご覧ください。
ドレス協力
select dress shop GARDE-ROBE https://garderobe.jp/
TAKAMI BRIDAL AOYAMA ☎03-3498-2222
TIG DRESS SHOP ☎0120-874-091
2020年『美ST』1月号掲載
撮影/水野美隆〈zecca〉 ヘア・メーク/森 ユキオ(監修)、RYO、甲斐美穂、後藤若菜、小松胡桃〈ROI〉 スタイリスト/亀 恭子 取材/金子美智子、八尾美奈子、渡辺美香 編集/漢那美由紀
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2025年11月16日(日)23:59まで
2024年11月16日(土)23:59まで
2025年11月16日(日)23:59まで
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2025年10月16日(木)23:59まで