PEOPLE
「50代になり、やっと自分の生き方にOKを出せるようになったんです」と語る俳優、鈴木砂羽さん。それまでは人から言われたこと、特にお母さんから言われたことに縛られ、他者が求める像と、自分自身の理想像との乖離に思い悩み、そのはざまで自信喪失状態に陥ってしまったと語ります。俳優を目指してデビューに至った経緯や、20代〜40代での紆余曲折について、お話をお伺いしました!
《Profile》
1972年生まれ。静岡県出身。美術短期大学を中退後、文学座の研究生となる。研究所卒業後の94年、映画『愛の新世界』で主演としてデビュー。圧倒的な存在感でブルーリボン賞など各新人賞を多数受賞。その後、舞台やテレビドラマでも幅広く活躍。直近では、テレビ朝日のドラマ「相棒 season23」に出演中。ドラマ、映画、舞台、バラエティのほか舞台演出、マンガの執筆など幅広い表現ジャンルで活躍している。
最初から俳優を目指していたワケではないんです。両親が多摩美術大学で美術を学んでいた影響で、家庭には常に絵画や絵の具やトルソーといった美術の要素が散りばめられていて、自然と自分もそっちの方向に行くんだろうな、とは思っていました。画家や漫画家に憧れたのはとても自然な流れだったんです。
でも極論を言うと、表現ができれば何でもよかった。文学に傾倒していたなら小説家を目指していたかもしれませんし。
そんななか俳優という方向を目指し始めたのは、父からカメラを向けられたのがきっかけ。
当時父は自主制作映画の団体と関わりがあって、彼もカメラを持ち、しょっちゅう私を撮影してくれていました。カメラの前で『あっちに行って』『そこで振り向いて』
高校を卒業後は美大に進んだのですが、やはり女優になることを諦め切れずに途中で退学。それからはいろいろな事務所の養成所や劇団を調べる日々でしたが、最終的に文学座に決めました。理由は本当にミーハーなんですが、好きな俳優さんを大勢輩出していたからです。松田優作さんや桃井かおりさん、樋口可南子さんたちですね。
試験対策? いや、全く(笑)。もう裸一貫です。当時の私は何も持っていなかったし、披露できるものは“私という存在”しかありませんでした。何を対策したところで、何もない私しか出すことはできなかったんです。今思うと怖いもの知らずだなぁと思いますけどね。それから本当に運良く試験をパスして文学座の研究生になりましたが、そこには私と似たような志の人たちがたくさんいて。若さと活気に溢れた、ひたすらに楽しい時代でした。
「文学座を志望したのはミーハー心から」と言いましたが、実はもう一つ理由があります。それは母を安心させたかったから。いや、認められたかったからというほうが近いかな。よくわからない劇団より「文学座」ならブランド力があるかな、と本気で思っていました。
そういうのって、もし失敗した時のための言い訳の予防線なんですよね。でも当時は、ほとんど無意識にそうしていました。そしてそのことに気づいたのはごく最近のことです。もしかしたら私に限らず、誰か、特に母と言う存在に囚われている人は多いのかもしれませんね。
初主演となった『愛の新世界』に出演したのは文学座の研究所を卒業した、20歳そこそこの頃です。島本慶さんのエッセイと荒木経惟さんの写真を融合させた写真集が原作で、監督は高橋伴明さん。ビッグネーム揃いで、ここでも「これなら認めてもらえるかな?」とどこかで思っていました。今で言う「承認欲求」でしょうか。でも、素直にチャレンジしたいという気概もありました。
当然反対されると思ったので、オーディションを受けることは両親には黙っていたんです。受かるかわからなかったし、何より出演の条件でヌードがマスト。私自身はヌードになることにあまり抵抗はなかったんですけどね。もともと美術家系でしたし、ヌード=裸体は日常にありました。
むしろ「私の体型ってトルソーみたいにガッチリしているけどいいのかな?」と思っていました。
そしてこれまた運よくオーディションを順調に勝ち進み、最終審査の手前で会場にあった公衆電話で家に電話をして、母に申告。「これから最終審査。ヌード審査らしい」と。電話口での母の叫び声は忘れられないですね。「あ! 今呼ばれたから!」と言って急いで電話を切りました(笑)。
『愛の新世界』のオーディションに落ちたら、故郷の浜松に帰って大学に入り直し、美術教師になるための教職免許を取って、趣味の漫画を描きながら生きていくのもアリだなぁ、なんてふんわりと思っていました。ですが受かってしまい……。父は「アラーキー? 高橋伴明? すごいじゃないか!」と興奮した様子だったのですが、母は不安で「どうしよう」とうろたえるばかり。
そんな母を尻目に、「やるっきゃない!」と勢いだけで本格的にこの世界に入りました。撮影はとにかく楽しくて、まさに水を得た魚。「ああ、やっぱりこれがしたかったんだ」と確信しました。センセーショナルな作品で初主演をしたためか、「大胆不敵な新人」とか「生意気」なんて言われたものです。若かったし、実際、怖いものなんてないと思っていました。
そう言うと人の意見や物差しに左右されることなく、ストレスフリーに邁進できたかのようですが、全くそんなことはありません。
特に母の価値観や、母が持つアイデンティティに思えば40代後半になるまでずっと囚われてしまっていました。
母が求める私の理想像と実際の私の乖離に苦しんだし、「こんな私だと、ママはよく思わないかな?」と自分に制限をかけていたことも。それでいて、何かに失敗すると「どうしよう。こんなんだからうまくいかない。ママに言われていたことも上手くできなかった…」。
母に認めてもらうことばかり考えて、自分で自分を認めることができなかった。だからいつも満たされなくて、自分を責めてばかりいたように思います。
でもよくよく思い返してみれば、母は別段私に強制なんかしていないんですよね。なのに私がいつまでも「ママが言うから。ママは絶対!」と信じ切っていました。ほとんどママ信者です。
でもそれほど私と母の絆は強固なものだったようです。
「私は私でいい」と本心から思えるようになったのは、50代に入った最近のこと。やっと自分の生き方に自分でOKを出せるほど、私の大人への道のりは長かったです。とはいえ今でも母とは大ゲンカします。この前も、私が東京の荷物を実家にバンバン送っていたら「ウチはゴミ箱じゃない!」と怒鳴られ、「わかりました!捨てに行きます!」と怒鳴り返して。やっぱり、私はまだまだですね(笑)。
《衣装協力》
ブラウス¥40,700 パンツ¥36,300(すべてミュラー オブ ヨシオクボ) ピアス【左耳】¥99,000 ブレスレット¥594,000 ハンドカフ¥33,000(すべてカラットアー/ヴァガス)ブーツ¥83,600(ネブローニ)
《ショップリスト》
ヴァガス 03-6434-7975
ネブローニ nebulonie.jp
ミュラー オブ ヨシオクボ 03-3794-4037
撮影/鈴木章太 ヘア・メイク/加藤峰子 スタイリスト/平井律子 取材/キッカワ皆樹 編集/根橋明日美
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2025年11月16日(日)23:59まで
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