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知念里奈さん(44歳)、「テレビすら見せてもらえない家庭」から芸能界へ…意外なきっかけとは

DA PUMPやMAX、SPEEDなどの大スターを輩出してきた名門、沖縄アクターズスクール。校長であるマキノ正幸氏から直々にその才能を見出された逸材として、1996年にメジャーデビューしたのが知念里奈さんです。デビュー後は「precious・delicious」、「Wing」などのヒット曲を連発し、俳優としてドラマ界にも進出。一気にスターへの階段を駆け上がりました。今回の美ST ONLINEでは、知念さんの沖縄アクターズスクール時代や、デビュー当時の多忙すぎた日々、そして現在に至るまで続く交友関係についてまで、たっぷりと語っていただきました。

お話をうかがったのは…俳優・歌手 知念里奈さん(44歳)

《Profile》

1981年2月9日生まれ。沖縄県出身。1996年10月、シングル「DO-DO FOR ME」で歌手デビュー。翌年、「precious・delicious」で第39回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞。その後「Wing」、「Be yourself」などヒット曲を連発し、ヒットチャートを席巻。2003年にミュージカル『ジキル & ハイド』でミュージカル俳優としても活動開始。『ミス・サイゴン』、『レ・ミゼラブル』等代表作多数。今年8月から平野啓一郎氏の傑作小説『ある男』のミュージカル版が世界初初演となり、劇中で城戸香織役を演じる。
ミュージカル『ある男』公式HP:https://horipro-stage.jp/stage/aman2025/
知念里奈さんInstagram:@rinachan29

沖縄アクターズスクール校長から、直々の粘り強いスカウトでエンタメの道へ

私が沖縄アクターズスクールに通い始めたのは小学5年生の時です。私の実家はすごくしつけに厳しくて、当時はテレビすら見せてもらえませんでした。だからその時流行っている曲やバラエティ番組、ドラマなんか全然知らなくて。エンターテインメントでいえば唯一、父が洋楽好きで、マイケル・ジャクソンのPVを見せてもらってそれを真似て踊っていた記憶があるくらいかなぁ。
そんな生活だったのでアクターズスクールとは何の接点もなく生活していたのですが、ある日沖縄を舞台にした映画で「現地の子供を起用したい」とオーディションの話が通っていた小学校に舞い込んできて。すると担任の先生から、「応募してみたら?」と。それでクラスメートと一緒にオーディションを受けることになったのですが、その会場が沖縄アクターズスクールだったんです。

会場でマキノ校長に「アクターズに入らないか?」とお声をかけていただいたものの、両親は当然大反対(笑)。ですがその後、粘り強くマキノ校長は実家に電話をしてくれて、何度も何度も両親を説得。ようやく通えることになった時は本当に嬉しかった。やはり意識の底では、歌や踊りなどのエンタメに興味があったのかもしれませんね。
アクターズに入ってからは日々のレッスンにのめり込みました。日本の歌なんてちびまる子ちゃんの「おどるポンポコリン」しか知らなかったのに、どんどん教えてもらって吸収していって。私とほぼ同期だったのはSPEEDの仁絵(HITOEさん)じゃないかな。MAXの4人が教室で目の前で踊っているのを見たりするとすごく刺激的で。「私もああなりたい!」と憧れたものです。

デビューとともに東京で一人暮らし。ホームシックで毎日実家と電話を繋いで寝ていました

私がデビューしたのは1996年、中学を卒業した時です。当時はすでにMAXもSPEEDもデビューし、凄まじい勢いでした。デビューが決まった時ですか?うーん、もちろん嬉しかったのですが、「次、私の番なんだ!」というのが率直な感想でしたね(笑)。とにかく当時のアクターズは破竹の勢いでしたし、「この流れに私も乗っていくんだ」と、漠然と思っていたというか。プレッシャーはなかったですね。それを感じるには、私はあまりにも子供すぎました。

デビューとともに上京し、事務所が用意してくれた乃木坂のマンションで一人暮らしを始めました。まだミッドタウンもスマートフォンもないポケベルの時代です。PHSがようやく出始めた頃かな?沖縄県民あるあるだと思いますが、もれなく私も地下鉄や電車にカルチャーショック。あまりにもこれまでの世界からガラリと変わってしまって、ひとりぼっちだし、とにかく心細かったですね。毎晩布団の中で、固定電話で実家に電話をして両親と話しながら、「寝るまで切らないで!」なんて泣き言も言いました。当時の私の電話料金がとんでもないことになっていたのを思い出します(笑)。

デビュー曲のデモテープを初めて聴いた時は「なんだこれ?」と思ったのが最初の印象(笑)。だけど歌詞ができて、自分の歌声が入って、どんどん曲に肉付けされていく初体験の過程は純粋に感動しましたし、面白かったです。

デビュー直後から超多忙に!連ドラの撮影と並行して新曲のレコーディングをこなす日々

デビューが15歳でしたが、本当に恵まれたデビューだったなと思います。歌手活動を開始しながらすぐに連続ドラマにも出演させていただくことになりました。『FiVE』(日本テレビ)という連続ドラマだったのですが、今思い返してもハードな日々でしたね(笑)。5人の女の子が中心になったハードボイルドな作品でしたが、私の他はともさかりえさんや鈴木紗理奈さん、篠原ともえさんに遠藤久美子さんという錚々たる顔ぶれ。私なんかただの田舎者で一番年下だったというのもあってか、本当に皆さん優しくしていただいて。
『FiVE』はA班とB班に別れて、A班は10話を、B班は11話を撮影するという進行でした。なのでA班の撮影が終わったらそのままロケ地だった緑山スタジオで仮眠を取り、シャワーを浴びてからB班の撮影に合流する、という感じ。まとまった睡眠時間が取れないからいつも細切れで、連ドラの撮影をこなしつつ、同じく緑山スタジオで音楽番組の収録に参加し「precious・delicious」を歌う、なんてことも。

あまりに当時は目まぐるしくて記憶が曖昧なんですが、今でもよく覚えていることがあります。それは、ともさかりえさんのカメラの前で見せる涙の演技。カメラが回る前は普通に和やかに話していたのに、回った途端に「ポロッ」って。初めて見た女優の涙は、子供ながらにも衝撃を受けました。「あ、私、今こういう仕事をしているんだ」と思い知らされましたね。りえさんとは今でも仲良くさせていただいていて、たまにごはんをご一緒するんですよ。お互いの舞台を観たりもしますし、長男同士の年齢が近くて、子育ての相談にもよく乗ってもらっています。かけがえのない芸能界の先輩ですね。

撮影/川谷昌平 ヘア・メイク/髙原優子 取材/キッカワ皆樹 編集/浜野彩希

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