PEOPLE
海の見える熱海のマンションで愛犬と夫とともに 悠々自適な生活を送る泉ピン子さん。これまではピンチの連続だったといいますが、ようやく穏やかに暮らせると思っていた矢先、思いがけないピンチに見舞われたとか。それをどう乗り越えたのか、そしていまの40代に向けたメッセージなどをお届けします。
◆泉 ピン子さんインタビューはこちらもCheck
50年来の「推し」は永ちゃんこと矢沢永吉さんですが、ここ数年ドはまりしているのがドジャースの大谷翔平選手。朝のテレビ観戦はもちろん、東京ドームの開幕戦も観に行きました。
《Profile》
1947年東京都生まれ。18歳で歌謡漫談家としてデビュー。’75年より日本テレビ系ワイドショー「テレビ三面記事 ウィークエンダー」でレポーターを務め注目を集める。以降数多くのドラマで俳優として活躍。代表作にNHK連続テレビ小説「おしん」、TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」など。現在は夫と愛犬とともに熱海で暮らす。’19年文化庁長官表彰、旭日小綬章受章。近著に『終活やーめた。』(講談社)がある。
私の人生はピンチの連続。昨年喜寿を迎えて、さすがにもうないだろうと思っていたのが間違いだったわね。あったのよピンチが。今年になってから〝姉ちゃん姉ちゃん詐欺〟にあったんです。私、オレオレ詐欺のCMをやっていたっていうのに……。
10年前に知り合ったある女性と昨年末に偶然デパートでばったり会って、久しぶりに話すと気が合うじゃない。最近お父さんが亡くなって孤独だっていうから気の毒に思って、じゃあお正月はうちに遊びに来たら?と誘って以来、頻繁にうちに来るようになったの。とてもいい人でね。知り合いに政治家なんかもいるっていうじゃない。信頼できると思ってしまったんです。私が仕事のときは、うちに来て愛犬を散歩に連れて行ってくれたり、良くしてもらったの。私、愛犬の世話をしてくれる人に弱いのよ。だから彼女が来るときは朝8時からご飯を炊いて、3食ご飯を作って、おしゃべりして楽しかった。でもすごい食べる人で、ご飯を1日4合も炊いていたの。ところがふと気づくと、フォクシーの毛皮やカルティエの時計、ダイヤの指輪やエルメスのバッグ、さらには36枚はあったレオナールのワンピースも30枚はなくなっているの。とにかく化粧品まで大事なものがごっそりない。おかしいなと思ったら、私が出かけると、しばらくして彼女が必ず大きい荷物を持って出て行ったと。そしてまた何食わぬ顔して、うちにご飯を食べに来る。これを繰り返していたのね。一緒にいる時間が楽しくて信頼していただけに、啞然としていたら、夫が「宝石もバッグも形見分けするし、洋服はどう処分するか悩んでいたじゃないか。それを考えなくてよくなったんだから、命取られなかっただけ、ラッキーだったと思いなさい」と言われて、それもそうかと思えたのね。鍵を渡してしまった私も悪いし、彼女に依存していたところがあったの。ある日、夜中に彼女にLINEをしました。電話で声を聞いたら甘えてしまうと思ったから。なくなった云々には触れずに、「もううちには来ないで。電話もしないで。元気でいてくれればいい。喧嘩したわけじゃないんだから、東京で会ったらまたご飯でも食べればいいじゃない」って。それが6月3日。向こうは青天の霹靂だったろうけど、それきりでした。詐欺はオレオレだけじゃない。人のいい姉さん詐欺もあることを、みんなに知らせて、気を付けてほしいです。
ただ、橋田先生(脚本家の橋田壽賀子さん)の形見のネックレスなどがなくなったのは悲しい。犬の散歩に関しても、実際は玄関に座っているだけだったこともわかってきました。犬を理由につけ込まれたのね。この一件をきっかけに、しばらくおさまっていた本態性振戦という病気が再発したんです。この病気、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で共演者をいじめたとしてバッシングを受けたときに発病したもの。首を振るようになったので診断してもらったら、ストレスからくる病気だと。1年ぐらい通院して、しばらくおさまっていたんです。私、精神は強いほうだけど、体は正直だからどこかに出るのね。今は心の整理もできて、首の震えもなくなり、立ち直ってすっかり元気です。
40代は女優として一番売れていて、忙しかったね。結婚も41歳のとき。夫は癌研究会附属病院に検査入院したときの担当医師だったの。退院後お付き合いが始まって1カ月後にはプロポーズされました。私は結婚より仕事ってときだったから、「あなたは私じゃなくて、真夏はエアコンの効いた涼しい部屋で、冷えたビールを出してくれるような人と結婚したほうが幸せなんじゃないの?」って言ったの。でも「君がいいんだ」と強引に押し切られて結婚しました。
同時期にドラマ「渡る世間は鬼ばかり」がスタートして、橋田先生の教え通り夫の前では絶対に台本を開かなかったから、集中力も高まり、台詞覚えが早くなりましたね。夫は早く帰って来いとも、遅く帰っても何も言わないし、結構好きにやっていたの。そういう意味じゃ、女がいて隠し子までいたことも全然気がつかなかった。私が47歳のとき。でも夫を責めなかった。私が仕事ばっかりしていたのが悪かったしね。だから、「行きたいところに行けばいいよ。悪いけど私はあなたがいなくてもお金にも困らないから。私が出て行くからあなたが残ればいい」と言ってやったの。そうしたら「自分が出て行く」って、ふたりで出て行こうとしたら、ふたりで出口でぶつかって、ふたりとも出て行ったら誰もいなくなるよって、それでふたりで戻って犬を飼い始めて、そのまま一緒に暮らすことになったの。夫からの長い詫び状は置いてあった。冗談のようだけど本当の話。そういうと聞こえはいいけど、男友達はみんな女を作っていたし、父親だって2度目の妻(継母)との結婚式当日、女と別れ話をしていて結婚式を忘れて、継母ひとりで挙げたんだから。そんな話ばかり聞いていたから驚かないね。
それよりも離婚しなくてよかったと思ってる。こんな私と一緒にいてくれたんだからさ。お互い仕事が一番、相手は二番。だからよかったんじゃないかな。努力なんかしないし、我慢もしない。お互い好きにしてる。今は週末婚だから、平日は東京にいる夫から生存確認で毎日LINEが送られてくるの。2日既読にならなければ、2日目に熱海に帰ってくるらしい。犬は電話できないからって。心配はしてんじゃないの?先日ふたりでクルーズ客船「飛鳥Ⅲ」に乗って北海道に行ったけど、ふたりで一緒に行ったのは五稜郭だけ。あとは別行動。犬の誕生日は一緒にお祝いするけど、結婚記念日は毎年忘れてる。それでいいんじゃないの?まず一番に自分を大事にしてください。綺麗にして、好きなもの食べて好きなところに行けばいい。自分を大事にしないと家族を大事にできないし、人のことを思いやることもできないから。
「天知る、地知る、吾知る」という言葉が好きです。誰も見ていないと思っているかもしれないけど、天の神様も知っている、地の神様も知っている、何より自分自身が知っています。悪いことをしても自分が一番わかっているんです。正直に生きないとだめです。落ちていく人は自分で落ちる。人に落とされるんじゃないんですよ。何事も真面目に向き合い、お天道さまの下を堂々とまっすぐ歩いていけば大丈夫。後ろめたいことをしたり、噓をつかない。失敗しちゃったら、「ごめんね。やってしまった」と笑って正直に言う。そうすれば夫とも家族とも友達とも同僚や上司ともうまくいきます。そんな人が美しい人だと私は思います。
橋田先生とは’78年のドラマ「夫婦」で出会い、42歳でスタートしたドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に繋がりました。40代は中華料理店「幸楽」2代目女将、小島五月の人生を生きたと言っても過言ではありません。右は、新婚旅行でニューヨークからロンドン、パリ、香港を2週間で回ったとき。41歳で、37キロだったもんね。細かったわ。
悔いなく生きるということは、自分を大切にするということ。人から何と言われようと、人からどう見られようと、我慢することなく、自分がやりたいことを、自分が好きなようにすることです。それは仕事でも趣味でも旅行でも。
本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。
『美ST』2025年11月号掲載
撮影/中川真人(magNese) ヘア・メーク/林 香織(ヘアーベル) 取材/安田真里
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