PEOPLE
親友のユーミン(松任谷由実さん)が日本語詞をつけた「雨音はショパンの調べ」が大ヒット。日本人離れしたアンニュイな雰囲気で時代のミューズとなりながら、1991年に突如として引退。四半世紀ぶりに復帰した小林麻美さんのインタビューが実現!引退後の生活から美容まで楽しいお話を伺いました。

「このデニム、2カ月くらい前にセリーヌで買ったのよね。高いと思ったけれど、穿くとやっぱりきれいだから」。ジャケットとバッグはシャネル、バングルはエルメス。もちろんすべて私物でコーディネート。その着こなしからポーズまで、すべてがカッコいい!トレードマークのロングヘアを切ったのは60代直前。「60代でロングが決まる人もいるけれど、自分では違和感を感じて。今はこの長さが落ち着きます」
《Profile》
’53年東京都出身。’72年「初恋のメロディー」で歌手デビュー後、資生堂、パルコなどのCMが話題に。’84年松任谷由実さんがプロデュースした「雨音はショパンの調べ」が大ヒット。’91年、出産、結婚を機に引退。25年の時を経て、2016年に雑誌「クウネル」(マガジンハウス)の表紙で復帰し、話題に。日本服飾文化振興財団の評議員も務める。
今回の「美ST」の取材で、40代の頃の写真を探さなくてはいけなくて、久しぶりに昔の写真を引っ張り出しました。芸能界を辞めてからの25年間は、写真といえば家族3人や子どもとふたりかママ友とばかり。ひとりで写っている写真がないんです。探しているうちに没頭して、こんなことがあった、あんなこともあった、とすっかり忘れていた家族の思い出と記憶が蘇ってきて、感動しちゃった。泣きそうでした。息子は「お父さんとどこにも行っていない」なんて言いますが、嘘ばっかり(笑)。あちこち旅先で撮った写真もたくさん出てきました。
31歳になる息子はすでに独立し、私も6年前に仕事復帰。今はそれぞれ自分の世界で頑張っています。子どもの頃は、こんなに可愛かったんだと感慨深くて、ついLINEで昔の写真を送ったら、「若いねー」とひと言。今振り返ると、素晴らしい仕事もたくさんさせていただき、感謝もしていますが、子育てに勝るものはなかったなあとつくづく思います。
16歳でモデルデビュー。その後は、歌手、女優として、20年間芸能界で仕事をさせていただきました。37歳で出産、結婚。息子が生まれた瞬間から人生が一変して、25年間子育てひと筋でした。赤ちゃんって、ゆりかごですやすや寝ている優雅なイメージでしたが、寝る時間はないわ、離乳食で四苦八苦するわ、ベビーシッターなんていないし、「何なのこれは!」と必死でした。再びスポットライトを浴びたいと考える暇もなかったですね。仕事をしているときは、「コーヒー」って言えばすぐに出てきて、外に出れば車が待っているような生活。それが、家事・子育て・料理・運転、何から何まで全部自分。近所のイトーヨーカドーや西友でお買物して、息子とゲームセンターや公園で遊び、空手道場や塾の送迎、お休みにはディズニーランドやナンジャタウンに朝早くから並び、スキーに軽井沢、家族旅行でハワイ……と子どもがいるごく普通の家庭生活で、芸能一家では全然なかったですね。もともと芸能界のお友達は少なかったけれど、一切会いませんでした。
40代は子育て一色。朝起きてから寝るまで、ただただ目の前のことに追われるばかりで、正直あまり覚えてないんですよ。逆に息子が高校生になってからは、手がかかるより心がかかるから、記憶に残ります。思春期のときは、壁に穴が開くこともあったし、「見るんじゃねえよ」って、見てないのに言われたり(笑)。普通のお母さんが経験するいろんなことを乗り越えました。でも振り返ると、子育てはなんて幸せな時間だったんだろうって実感します。私の人生、何のために自分が存在しているのかなと思ったとき、息子を産むためだったと心から思います。
30代は悩みも多くて、「死んでしまおうかしら」とネガティブになりがちだったけれど、子どもを産んでからは、悩んだり落ち込んだりしても、最終的に「ま、いいか」「もう寝ちゃおう」と開き直れるようになりました。よく言えば手放す、悪く言えば諦める。女性は出産すると強くなると実感しています。
主人とは20歳の春に、事務所の社長と所属タレントとして出会い、その半年後にお付き合いが始まりました。15歳年上で、本当に彼のことが好きでした。当時から主人は格言おじさんで、交際初期の頃、「人の一念岩をも通す」という言葉とともに「何かを貫き通してみなさい」と諭され、じゃあ、この人に貫き通してみようかなと思って今に至ります(笑)。実は10代は結構モテたんですよ、自分で言うのもなんですが。次から次にボーイフレンドができて、そのままなら恋多き女になっていた要素はあったはずです。射手座だし。でも、主人と出会ってからパッタリ。周囲に男の子はいなくなりました。
でも、交際中の17年間は辛いことも多かったです。恋愛中って魑魅魍魎いろいろあるでしょ?なにより、事務所の社長と所属タレントの恋愛はご法度。絶対に秘密です。ふたりとも独身で、何の障害もなかったけれど、彼は結婚しない、子どもは持たない主義。それ以上は望めませんでした。でも、30代半ばに子どもは持てないかもしれない、このままの人生でいいのかなと思い悩む一方で、そういう人を好きになったのだから、子どもを持たない人生もあるのかなと諦めかけたときに妊娠したんです。「ひとりでも絶対に産もう」。それしかなかったですね。未婚のまま産みましたが、結局は結婚して今年で31年。一途って言われるけれど、自分が好きだから一緒にいたし、家事をやれって言われたわけでもなんでもなく、自分で決めて今日に至ります。私の幸せはここだったんです。運命なのかな。
20代で若さバリバリのときに、主人から言われた忘れられない言葉があります。映画『死刑台のエレベーター』を観た後で、当時60代だった主演女優のジャンヌ・モローの話になり、「若さなんてあっという間になくなるんだぞ。そんなものにしがみついているより、魅力っていうのは60代になっても80代になってもなくならないんだから、魅力を磨けるように日々頑張るんだ」。その言葉は今も意識しています。

ジャケットとネックレスはエルメス、スカートはお気に入りのトム ブラウン。ウエスタンブーツを合わせて。
34歳のとき、「老けたな」と感じたのを覚えています。撮影した写真を見たときにシワを見つけ、すごくショックでした。慌ててゲランのイシマを使い始めたり、エステに行ったり。いろんなことをやったのですが、結局子育てでそれどころではなくなりました。
今も何もやってないと言うと嘘になりますが、美容院やエステでじっとしているのが苦手。唯一15歳から続けているのが週1のマッサージ。母から「病院に行く前に自分の体は整えなさい」と教わり、整体や「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」で有名な浪越徳治郎先生のところにも通いました。今はカイロで整えてもらっています。
肌は行きつけの皮膚科でシミ消しなどレーザーを月1回程度受けています。スキンケアはゲランやドゥ・ラ・メールが好きですね。しっかり効果を感じるので、ちょっと高いけど買っちゃいます。でも、メークは韓国のものが好き。肌の色が似ているから、シャドウやリップの色が合うんです。ママ友と新大久保でまとめ買いしてます。
ヘアは染めなければグレイヘア。美容整形はイヤとか言っておきながら、染めてる私って何よって思うのですが、そのままでいる勇気はまだないですね(笑)。癖毛なのでニュアンスを出しやすく、パーマをかけたことは一度もありません。くしゅくしゅってナチュラルにしています。ヘアに限らず、整いすぎているのがダメ。洋服も部屋も料理も、あまりにもきれいに統一されていると、崩したくなるんです。
昔から痩せの大食い。学生時代は鞄の中の半分がお弁当で、“ドカベン”と呼ばれていました。今は昔ほど食べられなくなりましたが、朝起きたらすぐにお腹が空きます。健康な証拠です。
朝ご飯は、寒い時期なら温かいうどんにしたり、前日の夕飯の残りのミネストローネを温めて、チーズオムレツと小さなパンなど、冷蔵庫にあるものでパパッと。掃除や洗濯はできればやりたくないけれど、料理は好きなのでマメですよ。ひとりご飯のときも、自分のためだけに玉ねぎと干しエビでかき揚げを作って天ぷらうどんにしたり、いいエビを買ってきてエビフライを作ったり。全然苦にならないです。
野菜は意識して食べますが、必ず温野菜で生野菜はNG。40年以上冷たいものは飲まず、常に温かいお茶やコーヒー。水も常温で飲んでいます。一時期、無添加や玄米にこだわったことがありますが、正直美味しくない(笑)。無理することはやめて、普通に好きなものを食べています。
すごく太ったことはないけれど、“戒めデニム”を持っていて、ちょっときつくなってきたら、すんなり穿けるようになるまで食事を減らします。体重計?乗りません。一喜一憂したくないですから。
やっぱり若く見られたらとても嬉しいけれど、その年代なりの魅力や美しさは絶対にあるので、それを追求していきたい。いつまでも女であることはリタイアしたくないですね。ファッションも然り。若作りって無理だし、したいとも思わない。でも、年相応っていうのもイヤだなと思います。ネットでハイブランドのショーを観たり、ピンタレストをチェックして、今のファッションと昔のものをうまくミックスして着ていきたいですね。素敵な人を観察したり、いい映画やいい舞台などを観ると、勇気に繋がります。まだまだ勉強中です。
還暦を迎える頃に息子が就職。母として、妻としての役割が徐々に少なくなっていきました。何をして過ごそうかと思っていた矢先に母が亡くなり、実家を整理していたとき、クローゼットに仕舞い込んでいたサンローランの洋服180点が出てきて、どうしたものかと途方に暮れました。ちょうど日本服飾文化振興財団が立ち上がると聞いて、最初は匿名のつもりでしたが、周囲に説得されて「小林麻美」の名前で寄贈することにしたんです。それを記念して財団でイヴ・サンローランのショーを開催。何十年かぶりに人前で挨拶をして、表舞台に。そこから雑誌「クウネル」の表紙を務めることになり、「私にもやらせてもらえることがあるんだな。やってみようかな」と前向きになりました。それまでも何度かお話をいただきましたが、ひとつには主人の反対があり、もうひとつは子どもが受験や就職の壁にぶつかるたびに「仕事をしている余裕はない」という自分の気持ちが大きくて踏み切れなかった。今回は主人に許可をもらい、あくまでも家族優先での再開。復帰するぞ、という意気込みはなく、自然な流れでした。
だから、最初は25年間不在だった「小林麻美」になることが難しくて、着地点がわからなかった。そのギャップが埋まったのはつい最近。ようやく田邊稔子であり小林麻美でもあるというバランスを、自分自身で受け入れられるようになりました。
これからは、習い事や仕事以外に、動物も含めて助けを必要としている方に対して、介することができればいいなあと思っています。毎日、寝る前に必ずベランダに出て、今は亡き両親や姉、飼っていた犬や猫のことを思い、全員の名前を呼び、「おやすみなさい」と言うのが習慣です。そうすると今でも繋がっている感じがします。このとき、今日1日が終わって幸せだなと思える。何かすごいことがなくても、ささやかでも幸せだと思う瞬間があることは幸せなのかな。

何事にも陰と陽、つまり光と影がある。人として正直であることは必要だけれど、隠された部分、秘めた中にこそ大切なものがある。そんなミステリアスな部分が魅力に繋がると思います。
2022年『美ST』5月号掲載
撮影/佐藤航嗣(UM) ヘア・メーク/福沢京子 取材・文/安田真里 構成/和田紀子
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