美容家・IKKOさんからのメッセージ「いつ何時も自分を愛することだけは忘れたくない。人に優しくできなくなるから」<後編>

お笑いコンビ、チョコレートプラネットのものまねで再ブレイク。昨年は「@cosme ベストコスメアワード2020年 ビューティパーソンオブザイヤー」も受賞したIKKOさん。最初のブレイクから10年以上。常に第一線を走り続けるIKKOさんに美しさの秘密と運を味方につける方法をうかがいました。
美容家・IKKOさん(59歳)
着物もドレスも何を着ても釣り合いのとれる女(ひと)になっていきたい。

美肌作りのお金は惜しみなく。免疫力アップの食生活も重要

私ね、美容に使うお金は私の職業柄惜しまないようにしています。特に美肌作りには。だって化粧品は肌の食事だから。整形はしないけど、ウイークポイントを知って、化粧品では追いつかないものをどう補うか。そこは美容皮膚科の先生と相談しています。
だから肌とは日々向き合って、きちんと手をかけます。まずは洗顔。泡で洗うことの素晴らしさは永遠だと思うけど、洗顔料も進化してると思うの。美容大国韓国では、成分が素晴らしければ摩擦は起きないと言われていて、クリーム洗顔のまま洗うのが主流になっています。その後、肌の常在菌のバランスをとるために、化粧水の前にランコム ジェニフィック アドバンスト Nで整えます。その次にドゥ・ラ・メールのザ・インフューズドローションを。化粧水なのに油分を補って肌のこわばりをほぐしてくれるんです。だからこそこれは、私にとっては必須!そして、ヤクルトのラクトデュウ S.E.ローションと幹細胞系のサイムダン プレミアム リファイン HASUOステム美容液化粧水を入れて表面を整えた後、ドゥ・ラ・メー ル ザ・コンセントレートと内部を整えるRGセラムで肌をサンドイッチ。最後にランコム ラプソリュ リッチクリームとサイムダン プレミアム トリプルパワーリフト クリームリッチで仕上げます。これは赤カシュウの幹細胞と発酵ブクリョウの乳酸菌、そしてDMAEの成分で肌菌から強くしていくのです。
つまり、洗顔後の私のスキンケアの3本柱は、常在菌のバランスをとる乳酸菌、肌の根本力を上げていく幹細胞コスメ、肌のバリア機能へのアプローチ。この上質な3本柱を素早く肌内部まで浸透させていくコスメを使うこと。それが、この乾燥の時期とウィズマスク時代の今、年齢問わず大切なケアのような気がします。
もちろん、美肌作りには食生活も大切。コロナ以降は免疫力を上げる10品目、ヨーグルト・納豆・生姜・ねぎ・ にんにく・きのこ・味噌・海藻・豚肉・ブロッコリースプラウトを毎日必ず摂ります。雑穀入り麦ご飯、味噌汁にほ うれんそうのおひたし、ひじきなど、1つ1つは地味だけど、豆皿に美しく盛りつけていただきます。
料理も大好きです。祖母や母たちが台所に入っている姿が好きで、小さな頃から「キユーピー3分クッキング」を見て料理を覚えました。私にとって台所は母が営む美容室と同じぐらい心が癒される場所でした。

考える、気づく、感謝の3段階で生きています

19歳で上京して、美容師として住み込みで働きました。この頃は私のすべてが否定されて、嫌で嫌でしょうがなかった時期。それでも8年間頑張って、辞めてからメークアップアーティストの事務所に入りました。ここからは運が向いてきて、和装のヘア・メークが得意だった私は、「家庭画報」「美しいキモノ」「きものサロン」など一流誌の表紙をはじめ、数多くの仕事をやらせていただけるようになりました。
一方で、39歳のときに倒れてパニッ ク障害を発症したの。30代で独立し、経営者として力量以上のことを頑張り過ぎた結果心労がたたってしまって。入院して快方に向かったけれど、退院してからのほうが私にとっては大変な日々の始まりだった。退院後は夜中になると不安でパニックを引き起こすんです。ちょうど家を建てた頃で、白を基調にしたインテリアなのに、白い壁を見ると眩暈がして倒れたり、ビルの最上階も高速道路も地下もダメ。人の目も見られず、電話が鳴る度にまた私が解決しないといけないのかなという気持ちがパニックを誘発してしまう。毎晩パニックとの戦いだったような気がします。本当に辛かった。どうやったら回復していくのかいろんな方法を試し、結果決めたことは、長さに例えると1mmずつでもいいから少しずつ前に進んでいこうということでした。外に出たときの寒さがパニックを引き起こす要因でもあったので、私は長年いたスタッフとまずは5分から外へ出て歩くことを始めました。これを機に少しずつ元気になっていき、歩くことが好きになりました。短い時間から始まったウォーキングが、やがて素晴らしい日常生活の1つの習慣になっていった気がします。 私は感受性が強い分だけ感情の起伏も大きくて、「先生らしくない」と勇気を出して言ってくれるスタッフもいたけれど、あの頃は人間的にはよくなかったですね。辞めていくスタッフもいました。私、こう思ったの。一生懸命走れば走るほど、後ろからついてくるスタッフに肘が当たって痛い思いをさせていたんだなって。ついてこられなくて当然。「気がつかないでごめんなさい」と、詫びる気持ちと感謝の気持ちが生まれました。もう1回やり直せるかしら?と、それからは常にどこがいけないのかを考え、それに気づいたら「ごめんなさい」、そして「ありがとう」の気持ちを持つ。この3段階で生きることを原点にしました。
40代半ばに3年間だけマネジメントしてくれる事務所に入った時期があり、状況が一変。ちょうどこの頃は韓国での仕事が多くなり、現地で夜中の12時から撮影したり、極寒の時期にボートで撮影したりと、ハードでした。加えて、初の自主公演で全国30カ所ツアーが重なり、韓国から帰国と同時に空港から緊急搬送。1週間入院しました。 残りの15カ所が延期となり、保険に入っていなかったために多額の借金を抱えましたが、社長と2人で2年半で返しました。
辛いと思えば辛いことって数えきれな いくらいあった気がします。でも自分のことってそこまで辛いとは思わないの。 一番辛かったのは13年前に父が亡くなったこと。40年前、上京するとき父には「調子に乗るな。人が嫌だってことはするな」と言われました。そんな父に私は「ごめんね」と直接言いたかったことが1つあります。男は男らしくという父のような生き方ができなかったこと。これは父が亡くなるまでの父と私の間のわだかまりでした。だけど最後は、口には出さなかったけど、父は私の生き方を認めてくれていたんだと思います。

人生の運は自分では決められない

私はいつも運に助けられて生きてこられたような気がします。46歳で「どんだけ〜」でブレイクして、韓国ブーム、第2次オネエブーム、熟女ブームに乗り、たくさん仕事をさせていただき、最近ではチョコレートプラネットさんがものまねしてくださって本当に感謝しています。人生の運って自分が決めるものではなく、周りの方々が盛り上げてくださったことによって成立していくものだと思うの。だから日々、丁寧に情熱を持って生きていくことが大切だと思うんです。 人間だから落ち込むことやモチベーションが上がらないこともあるけど、そんなときは自分の今の頭の中の色を確認するようにしています。私の場合、最高潮はいつもショッキングピンク。 下がっているときはすぐにくすみが出てきます。人それぞれ成功カラーを持っているような気がします。それが鈍ったときが運が下降してるときだと思うから、いつも頭の中の色をしっかり見つめながら生きていくことが大切ですね。私ひとりの力だけではどうしようもなくて、仲間がみんな同じ気持ちで1つの目標に向かっているときに人生は輝いていくような気がする。だから人をいつまでも好きでいたい。
次の世代の目標は、不老長寿の美に向かって一所懸命生きていきたいと思います。皆様のすべての人生に愛を込めて IKKO。

IKKOさんの美の秘密③

毎年誕生日に多くの愛をいただいています。感謝
友人やスタッフ、仕事をご一緒した方が私好みの贈り物をよくくださいます。その〝思いの手間〟がありがたく、涙が出るほどうれしい。リビングに飾って大切にしています。

IKKOさんの美の秘密④

俳優の中川大志さん作・IKKOさんの似顔絵
ハートみたいで可愛いでしょ?昨夏の「ぴったんこカン・カン」のロケでご一緒した中川大志さんに描いていただいた絵を大切に額装した1枚のアート。感謝

IKKOさんが40代に伝えたいこと

昨日の自分はまだまだ未熟。だから今日さらに経験を積んで、いろいろなことを感じて、本物に近づいていけばいいと思います。大事なのは目標を高く設定しすぎないことかな。
●Profile
1962年福岡県田川郡に生を受ける。19歳で上京して住み込みで美容室で働き、27歳でヘアメークアップアーティストに。30代でアトリエIKKOを設立。女性誌の表紙をはじめ、テレビ、CMなどで大女優たちのメークを担当。現在は美容家・タレントとして活躍する傍ら、商品開発、執筆、講演、音楽活動など多岐にこなす。韓国観光名誉広報大使も務め、ソウル大賞をはじめ美容書などで多数の賞を受賞。近著では初の料理本『IKKOのやみつきレシピ』(新星出版社)が絶賛発売中!

前編はこちらから



2021年『美ST』4月号掲載
撮影/宮崎貢司 ヘア・メーク/高場佑子 スタイリスト/菊地好美 着付け/森合里恵 取材/安田真里 構成/和田紀子
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