HEALTH
芸能生活53年。俳優として活躍する一方で、「ダイエットの達人」として 美しく健康に生きるための運動や食事法を提案してきた秋野暢子さん。 2年前にステージ3の食道がんから見事に復活。壮絶だった闘病生活のお話を伺いました。
◆秋野暢子さんインタビューはこちらもCheck
《Profile》
1957年大阪府生まれ。’74年にデビュー。’75年NHK連続テレビ小説『おはようさん』で主演して以降、俳優として活躍。がんサバイバーとしての想いを込めた絵画展「秋野暢子と希望の輪展」を開催。秋野さんの作品に加え、がんサバイバーのほかのアーティストの作品を展示・販売予定。売上金の一部は、がん研究支援のため寄付される。阪神梅田本店8階 催事場 2026年2/25(水)〜3/2(月)午前10時〜午後8時 ※最終日は午後5時まで。開催中(午前11時〜午後5時まで)本人在廊。
今秋、三重県・伊勢のおかげ横丁にあるギャラリーと東京・西武渋谷店で作品展「~色彩の希望Ⅲ~ 秋野暢子と希望の輪展」を開催しました。展覧会は3度目。今年は2月から半年間、ずっとアトリエにこもって絵を描いていました。
絵を描き始めたのは50歳のとき。何か新しいことを始めたいと思って加山雄三さんに相談すると、「絵を描いてみたら?自分の思うように好きなように描けばいいよ」と勧められたのがきっかけ。絵を描くのは小学生以来で、誰かに学ぶわけでもなく、見よう見まねで動物や花を中心に描き始めました。数年前に友人の息子さんが、「秋野さんの絵は色が綺麗で元気になる。個展を開いて人に元気を与えたら?」とアドバイスしてくださり、そんなつもりはまったくなかったのですが、お話がまとまって、個展のための絵を描き始めました。
私の絵は命あるもの、エネルギーのあるものがテーマ。会場にいらっしゃるのは、絵画がお好きな方だけではなく、私がブログに綴っている闘病記から勇気をもらった、私の話が聞きたいという方が多いんです。なので会期中はずっと会場にいます。私もみなさんから元気をもらえるんです。そんな温かい関係を見ず知らずの人と結ぶことができ、幸せだなと実感しています。
食道の周りを囲むように広がるステージ3の頸部食道がんと診断されたのは2022年6月。64歳のときでした。毎年11月に人間ドックでひと通り検査をするのが習慣。’21年11月の検査も何の問題もなかったのですが、翌12月に喉に引っかかりを感じたのです。検査直後でしたが、血液検査を受け、耳鼻咽喉科にも行きましたが原因は不明。喉に何かある気がすると感じる梅核気かなと。自律神経の乱れが原因とされるヒステリー球ともいわれる病気です。でも、私はよく食べ、よく寝て、運動もしているので自律神経の乱れは感じません。でも、ストレスは自分では気づかないこともあるから、そんなものかと整体や鍼に通っていました。でも、どんどん引っかかりがひどくなり、’22年5月には流動食しか喉を通らなくなりました。再度かかりつけ医を受診して胃カメラで検査をすると、すぐに喉の専門医がいる病院に紹介状を書いてくれました。結局、食道の周りが4㎝の腫瘍で覆われていました。ほかにも喉に3つ、食道の真ん中に1つ、計5つの重複がんと診断。さあどうするかとなったとき、がん治療の第一段階は外科からなんですね。先生からの説明は、手術で食道を全摘出し、胃を伸ばす方法でした。メリットは患部を全部取り切れること。デメリットは、声帯ごと摘出するので声を失うこと。喉に穴が開き、そこから空気が入るからお風呂にも入れないし泳ぐこともできなくなる。においがわからなくなるから食べ物の味もしない。余程ゆっくり嚙んで食べないことには喉に詰まり、十分な食事をとれず体重が半分程度になると。あまりにもQOLが落ちるわけで、何よりも俳優にとって声を失うことは仕事にならず、死ぬのと同じこと。先生に即「手術はしません。化学療法でお願いします」と意思を伝え、外科から内科にチェンジしました。
内科の治療は抗がん剤と放射線。一番懸念していた生存率は手術するより若干低いと言われますが、私の結論としてはそれほど変わらないかなと。抗がん剤の副作用も少なくなってきていると言いますし、放射線治療も技術が進歩してうまくピンポイントに当てられる。短い時間で、自分で調べられることはひと通り調べました。先生との対話はもちろん、何より参考になったのは病院が出している治療用ガイドブックです。娘にも相談したんですよ。そうしたら「ママの人生だから、ママが思うようにしたら」とめちゃくちゃクール。翌日に即入院し、結果的には4カ月の入院で、抗がん剤4回、放射線32回の治療でした。
抗がん剤の副作用としては、嘔吐、口内炎、倦怠感、しゃっくりが止まらない、などいろいろあって、なかでも毛が抜けることが女性にとって一番メンタルが落ちると聞いていました。これはあかんと思い、先手を打って病院内にある美容室で剃ってもらおうとしたら、理容室じゃないからバリカンしかなくて、毛が7㎜程度残っちゃった。細かい毛が抜けるのも嫌なので、あとは自分でT字カミソリで剃りました。すると、先生が回診時にびっくりされて、「秋野さんに使う抗がん剤は毛はそんなに抜けないんですよ」と。「えー、早く言ってくださいよ」と文句を言ったら、「だって入院した日に髪の毛剃る人なんて初めてだから」と。確かに、実際治療が始まると、ほかの毛も抜けませんでした(笑)。
抗がん剤と並行して副作用を軽減する制吐剤だったり、ブドウ糖だったりをバンバン入れて、24時間の点滴を5日間続けましたが、最初から副作用が全然なかったんです。逆にお薬が効いてないのではと心配していると、先生は「ちゃんと数値に変化が出ているから大丈夫」と。結局最後まで副作用もなく、4カ月後にはがんが全部消えてなくなっていました。画像で見ると、喉一帯にできていた腫瘍がまったくありません。寛解で退院することができたんです。ただ、私が放射線を当てたのは胸から上だけ。心臓に負担をかけたくなかったんですよね。でも、胸の下にも浅いステージのがんが1つあって、それが残ってしまうことは最初からわかっていました。なので、退院後に患部を内視鏡ですくい取る治療をしました。それは今後も出てくるけれど、ポリープみたいなもので、再発でも転移でもない。付き合っていかなければならないと医師から言われました。
短期間でステージ3のがんが消えた理由としては、いろいろな要因がプラスに働いたのでしょう。先生曰く、長年の運動習慣で体力がついていることが大きいと。なので運動は今後も続けてくださいと言われています。メンタルの強さもあったと思います。がんだと聞いた瞬間は、ずっと病名がわからず宙ぶらりん状態だったのが、ようやく治療できると気持ちが切り替わり、頭が真っ白になることはなかったです。大抵の方はがんと聞くと、死ぬと思って暗くなる。でも暗くなっても病気が良くなるわけではないから、笑っていようと毎日笑う練習をしていました。主治医からも「いつも笑っているね。そういう人の方が治療しやすいんだよ。元気で笑っていると、この人は大丈夫だと僕も思えるんだよね」と。
治療法も主治医に丸投げはせず、自分で決めました。私は主治医=自分だと思います。自分の責任で治療に向き合うと、先生もアイデアを出してくださいます。私は治ると信じていたので、治ってからの人生のイメージを伝え、目標に向かって治療に当たっていただきました
退院後の運動は、以前から続けている通りですが、毎日ヨガ、筋トレ、トレッドミルの順に約90分間トレーニングをします。起床後のストレッチも欠かしません。食生活は、1日30品目と言いますが、そんなには食べられない。赤、白、茶色、緑……とできるだけ多くの色が並ぶ食卓を心がけています。朝ご飯はそのときどきですが、ヨーグルトにフルーツ、きな粉、ナッツ、ハチミツを混ぜて食べるのは定番。コロナ禍で禁酒をしたのですが、お酒をやめた後に抗がん剤治療をすると、糖質を欲する人が多いそうで、私もしかり。今まで甘いものは一切食べなかったのに、あんこにケーキ、クッキーなどよく食べるようになりました。
《衣装クレジット》
レースブラウス ¥107,800 スカート ¥88,000(ともにLANVIN COLLECTION)ネックレス ¥872,300 ピアス ¥902,000(ともにALESSANDRA DONA/ラ パール ドリエント)リング ¥495,000(QAYTEN/ラ パール ドリエント)ほかすべてスタイリスト私物
本記事は、美ST編集部が取材・編集しました。「美ST」は16年以上にわたり、40代&50代女性の美容とライフスタイルを追求してきた月刊美容誌です。
『美ST』2026年1月号掲載
撮影/大森忠明 ヘア・メーク/鈴木京子 スタイリスト/下平純子 取材/安田真里 編集/和田紀子
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2026年11月16日(月)23:59まで
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