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グラビアアイドルから女優への道を切り拓き、『木更津キャッツアイ』のモー子役など、数々の役柄で人々の心に残る名演技を披露してきた酒井若菜さん。そんななか、出口の見えないトンネルに迷い込んだことも。芸能活動を一時期休止、そして32歳で突如発症したリウマチ…落ち込んだ状態から、また新たな道を切り拓くことができた酒井さんの姿勢に、きっと勇気をもらえるはずです。
《プロフィール》
1980年、栃木県生まれ。女優、作家。代表作としては『木更津キャッツアイ』(’02)、『マンハッタンラブストーリー』(’03)など。他にも『Mother』(’10)、『マッサン』(’14)、『透明なゆりかご』(’18)、『ホメられたい僕の妄想ごはん』(’21)、『シジュウカラ』、『絶メシロードseason2』、『覆面D』(’22)など数々の話題作に出演。またWEBマガジン『&Q』を毎週日曜日に配信中。
15歳で事務所に所属し、グラビアアイドルからやがて女優へ。順風満帆でこれまで来たわけではなく、体調面などの理由で何度か芸能活動を休業したことがあるんです。なかでも2005年の休業は、小説を書くきっかけになった重要な期間でした。
2005年から1年間休業したということになっていますが、実際は10カ月くらい。それまでがむしゃらに自分の理想をずっと追っていたので、出口の見えないトンネルに入り込んだような気持ちになりました。
休業する数カ月前だったかと思うのですが、出版社の方から「ブログの記事が溜まったら本を出さないか」とオファーをもらっていました。でも、私のブログにはその時点でまだ3つしか記事がなかったので、随分気が早いなあと思っていたんです。打ち合わせを重ねるうちに、「ブログの記事を書き溜めるのと、一から小説を書くのとでは同じ時間がかかるだろうから、いっそのこと小説を書きませんか?」と言われて。そのうちに休業することになったのですが、少し体調が安定してきたある日、ふとそのオファーを思い出して。書けるのは今しかない!と奮起しましたね。
早速パソコンで書き始めたんですが、私はとんでもない機械音痴で。電源の入れ方すらわかりませんでした。電源を入れたら入れたで、どこをクリックすれば文章が書けるところにいけるのかわからない。ようやくソフトを入れるところまで辿り着いて、人差し指1本でたどたどしく書き始めたのが処女小説の『こぼれる』でした。
今振り返ってみると、改めてあの時期に書き物をしていて良かったと思います。演じることと書くことは全く別の作業。だからこそ、心の拠り所になっていたんです。
小説は復帰後も書き続けて、書き始めて1年半後に脱稿。もの作りの難しさを実感しました。
執筆活動に救われて、当初より体調も良くなり、無事に女優業にも本格復帰できました。でもその休業時間に、実はリハビリを兼ねて2日だけ撮影に参加したんですよ。1つは、ドラマ『女王の教室』の最終回のワンシーン。友人がマネージャー代わりに現場に来てくれて、始終付き添ってくれました。もう1つは東京ガスのCM。私は小野妹子役だったんです。沈みがちな精神状態だったのですが、反して妹子がめちゃくちゃハイテンションな役で(笑)。何とか頑張って乗り切ったのを覚えています。
24歳頃の休業を経て、その後はずっと上向きだったかというとそうではなく。19歳の時点で自己免疫疾患を2つ発症していましたが、32歳で今度はリウマチを発症。しばらくは絶望感で真っ暗な日々でした。痛みと思い通りにならない体。なんで私ばっかりこんな目に遭うんだろう、とありとあらゆる負の感情を経験しました。
リウマチの発症には環境的な要因のほか、遺伝的な要因もあると言われています。ずっとうちの家系にはリウマチの人はいないと思っていたのですが、発症から数年が経った頃に父から「ひいじいちゃん、リウマチだったよ」と、突然言われて。ものすごく驚きましたが、それ以上に実は嬉しかったんです。私が喜ぶ姿を見た家族からは「何が嬉しいんだ?」と不思議がられていましたが、曽祖父のことが私は大好き。私が生まれる前に亡くなってしまいましたが、祖母からいつも話を聞いていて、いつしか尊敬する存在になっていました。その曾祖父が持っていた痛みや辛さを、時空を超えて私は理解することができているのだと感じた時、何よりも心強く思えたんです。生前に会うことができなかった曾祖父との血のつながりを、痛みを通して初めて体感できたから。
祖母が2歳の時に曽祖母が亡くなり、以後、男手ひとつで祖母を育てた曾祖父。当時の父子家庭って珍しいですよね。戦時中、早稲田の鶴巻町や新宿三丁目あたりを転々と住んでいたそうなのですが、栃木に疎開。父子家庭だったことと、リウマチだったために徴兵はされなかったそうです。曽祖父はもともとは宮大工だったのですが、体を壊した後は団子屋だったりいろんな事業に挑戦しながら、何とか祖母を育てたんだとか。そんな話を聞いているうちに、いつの間にか曽祖父が私の中で英雄のような存在になっていったんです。
今でも寂しくなると、鶴巻町や花園神社のあたりをふらっと歩くんです。栃木生まれの私にとっては、東京は働く場所、いわゆる「戦場」と思いがちなんですが、自分のルーツを感じることができる場所が東京にあることを実感すると、とても安心します。途端に、この場所は私の味方なんだと思えるんです。
体調面でいろいろ不調が続いてきたのもあって、リラックスするために美容の力を借りることも多いんです。良い香りのスキンケアを使うとメンタルも整うと感じるので、最近はアロマオイルの魅力に立ち返ることも増えました。これは、普段から愛用しているナリンのオイル。偏頭痛用やPMS用など、いろいろな目的に沿ったものがあるんですが、なかでも睡眠用のオイルが面白いんです。睡眠用と聞くと寝る前につけるイメージですが、これは寝る前はもちろん日中にもつけるのがポイント。日中の過ごし方がその日の睡眠に繋がるというコンセプトなんですよ。香りも素晴らしく、深掘りしたい大好きなブランドですね。
《衣装クレジット》
シースルートップス¥11,000(Fumiku)ワンピース¥58,300(RYU KAGA)ジレ¥37,400(RURI W.)アクセサリー、靴/スタイリスト私物
《お問い合わせ先》
Fumiku info@fumiku.tokyo)
RYU KAGA ☎090-2988-0272
RURI W. contact@ruriw.com
撮影/来家祐介〈aosora〉 ヘア・メーク/森下奈央子 スタイリスト/伊藤彩香 取材/キッカワ皆樹 編集/永見 理
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