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アイドルとしての喝采を捨てミュージカルの道へ【 キム・ジュンスさん】当時の苦労を語る

大人気K-POPアイドルから韓国唯一無二のトップミュージカル俳優となり、あらゆるシーンで活躍中のキム・ジュンスさん。どんな困難も、苦悩をも乗り越えて、一歩一歩着実に努力を積み上げてきた人は愛情深く、誠実。そしてとても強い人でした。

コンサートに来てくれた方が笑顔でいてくださるのは当たり前じゃない。奇跡が続いていると思っています

小学生の頃は野球少年。双子の兄(俳優のキム・ムヨンさん)と毎日TVで野球観戦し、今でも野球は大好きだ。「ロサンゼルス・エンゼルスの大谷選手のファンで、WBCも応援しました」。そのWBCから2週間足らずの4月初旬、ライブ『2023 XIA The Best Ballad Spring Concert vol.3 In JAPAN』を横浜で3日間、開催した。

6月まで続く韓国でのミュージカル『デスノート』の公演の最中を縫うように来日。「公演タイトルのバラードだけでなく、主演ミュージカルの楽曲を日本語で歌いました」。さらにファンとの交流が楽しいトークコーナーや、SNSで流行している様々なチャレンジやイントロクイズなど、素顔が垣間見える映像もあり、魅力大爆発の公演だ。

強行スケジュールだったため、仕事以外はほとんど何もできなかったけれど、日本にいるだけで楽しいそう。特に日本食が大好きだ。「日本で食べるものは全部美味しいです。特にラーメンが好きです! 韓国のラーメンも美味しいけれど、インスタントを家で作って楽しむ文化。でも日本はお店で食べる文化でしょ。食べに行くのが楽しくて、ラーメン屋さんだけは時間がなくても、絶対に行きます。今回も行きましたよ。ちなみに、お寿司も好きですね。イクラもウニも、具材は何でも好きです!」。

アイドルとしての喝采を捨て、一歩一歩経験を積み上げた

2004年にK-POPアイドルとしてデビューし、一世を風靡。 ’10年からはミュージカルにも挑戦。今も精力的にミュージカル俳優として活躍し、引っ張りだこだ。主演の舞台はチケットが即完売、プレミアムチケットと言われるほど入手困難に。

「僕にとって、ミュージカル俳優に転向したことは人生のターニングポイントでした」と振り返る。だが、その転向は相当な苦労を伴ったそうだ。「やり始めた12年前は、アイドルがミュージカル界に足を踏み入れることがなかった時代。しかも最初が『MOZART!』の主演だったので、ミュージカルファンや関係者からよく見られていないことを僕自身、感じていました」。

当時はアイドルが舞台に立つことに多少の偏見があった。「だからこそオファーをいただいたミュージカルに懸けよう、と思ったんです。でも、生粋のミュージカル俳優と僕とではそもそも土台が違う。例えば同じ失敗をしても、僕だけ批判を浴びてしまうんですよね。仕方ないですが、悔しかったし辛かったです。でも、それを絶対に覆えそう! と決意して、がむしゃらに頑張りました」。

あれほどまでのアイドルとしての喝采を捨て、一から積み上げるつもりで寝る間も惜しんで練習に励んだ。「100%できなくても、99%は完璧にやらないとダメなんです。僕を信じて観に来てくれる観客の期待に応えたい、その一心で頑張りました」。自分がやるからには新しいミュージカルをみんなに見せたかった。だから挑戦した。完璧に準備した。時間も相当かけて努力した。

「3作目の舞台『エリザベート』の頃から、周囲の反応が変わってきました。作品を重ねるごとに、周囲がミュージカル俳優として僕を認めてくれていることを少しずつ肌で感じるようになりました。気付けば、いつの間にか、僕の後を追いかけるかのように後輩のアイドルや歌手がこの世界に入って活躍するようになっていたんです。それが何よりも嬉しいことでした」。

今や唯一無二としての存在を認められ、右に出るものはいない。「全力で挑んだから。あのプレッシャーがあったからこそ、今があると思います」。最近は若手アイドルの相談に乗ったり、アドバイスをすることも多くなったそう。

リフレッシュは旅行。またボラボラ島に行きたい!

そんな超多忙な日々でも、常に美容と健康管理には気を配る。中でも睡眠が大切だ。「肌のケアをしても眠れなかったら意味がないし、ケアをしなくても上手に寝れば肌も体の調子もいい」。だから、よく眠るために運動をする。「とはいえ、運動は好きじゃないからジムには行かないです。よく歩き、生活の中で意識的に動くようにします。でも水泳は好きで、上手くないけどクロールで50mのプールを行ったり来たりしています」。

リフレッシュは美味しいものを食べたり、ゲームをしたりすること。でも、好きなのは何といっても旅行。いろんな場所に行って“何かを感じる”ことでリラックスできると言う。「まとまった時間があるときは海外に行きます。刺激をもらえる国はヤシの木と海のあるパラダイスみたいなリゾートがあるところ。今まで旅した80%がそういう国です。中でも仕事で行ったタヒチのボラボラ島は本当に素晴らしかった。絶対に死ぬまでにもう1度行きたいですね」。

国内では済州島や釜山がお気に入り。「特に釜山は海とシティのどちらも楽しめる横浜みたいな街です。最近、韓国で大人気で、サーファーにも人気のある東海岸にある襄陽(ヤンヤン)にも行ってみたいな。外国みたいなリゾートだと言われています」。

いつか日本のミュージカルに立つことが今の夢

’12年から続けてきた、バラードとミュージカルナンバーを融合させた、独自の新しい形式のコンサートをさらに進化させた。今回の横浜でのライブでは大喝采を浴びるほど。「来てくれたみなさんが笑顔でいてくださるのは当たり前のことではなく、奇跡が続いているんだと思っています。そして、これからも頑張っていきたいと思える原動力をもらっています。いつか日本でもミュージカルをやれるように頑張りたいです」と、謙虚な姿勢は変わらない。

将来の目標は? 「特別なことを目指すのではなく、いつも願っているのは…これからもずっとミュージカル俳優として頑張っていきたい、ということ。そのときの年齢に合わせた役を演じ続けることができれば最高です。そうやって自然に年齢を重ねていきたいな」と、ちょっとハスキーな声で笑った。

\キム・ジュンスさんの手/

身長のわりに手も足も小さい方。左利きです。手は学生時代、意味もなく左手の指の関節をぽきぽき鳴らすのが癖で、右手と比較すると今も節が随分太いです。アンバランスだけど、そんな自分の手は嫌いじゃないですね。今はもう鳴らさないです(笑)。ケアは何もしてないな…ハンドクリームも塗らないよ。

《Profile》
1986年韓国・高陽郡(現・高陽市)出身。’04年にK-POPアイドルグループでデビューし芸能活動を開始。日本デビューも果たし、高い人気を博す。’10年ソロアーティストとしてデビュー。ミュージカル界にも進出し、俳優としても活躍。韓国や日本のみならず、中国、台湾、マレーシア、タイなど東・東南アジア圏でも活躍している。

2023年『美ST』8月号掲載
撮影/中村和孝 取材/安田真里 編集/千田真弓

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