PEOPLE
デビューして61年。〝日活三人娘〟として絶大な人気を誇り、未だに第一線で活躍。喜寿を迎えた2022年にはマドリード国際映画祭で主演女優賞を受賞した松原智恵子さん。その喜びの裏には、50年連れ添った最愛の夫を見送った哀しみがありました。
「普段はベージュ系を着ることが多いのですが、今日は明るい色を着たくて、10棹近くある箪笥の中から迷いに迷って、グリーンのワンピースを選びました」。和服のイメージがありますが、意外やパンツスタイルが多いという松原さん。「断捨離しても、それにも増して買ってしまうの」とはにかむ可憐な姿は、とても喜寿には見えません。
《Profile》
’45年愛知県出身。’61年映画『夜の挑戦者』でデビュー。吉永小百合、和泉雅子と〝日活三人娘〟と呼ばれ、数多くの映画に出演。近年のドラマは『やすらぎの刻~道』『カムカムエヴリバディ』など。’23年公開予定の映画『宮古島物語ふたたヴィラ』でマドリード国際映画祭主演女優賞を受賞。出演映画『ひみつのなっちゃん。』の公開も同年に控える。
女優人生61年目の2022年、主演映画『宮古島物語ふたたヴィラ』(2023年公開)で、マドリード国際映画祭主演女優賞を受賞しました。コロナ禍で授賞式に行けなかったのは残念ですが、知らせをいただいたとき「わー、嬉しい」と思わず叫びました。同時に作品賞にあたる最優秀賞も受賞したこの映画はシリーズ化が決まり、2023年には宮古島でパート2の撮影が始まります。宮古島って本当に美しい島。風光明媚で人々も食べ物もすべてが素晴らしくて、大好きな場所になりました。今から撮影をとても楽しみにしています。
実は賞をいただくのはこれが3度目。71歳のとき、55周年の年に映画『ゆずの葉ゆれて』でソチ国際映画祭の主演女優賞と毎日映画コンクールの田中絹代賞をW受賞して以来。幸せなことに61年間途切れることなく演じてきましたが、賞には全然縁がなかったのです。それが70代になってから賞をいただけるようになって本当にありがたいですね。まだまだ女優を続けていきたい。生きている限り頑張っていこうと、決意を新たにしています。
女優を続けるには何といっても体が資本です。何かしなくちゃとジムに入会しましたが、幽霊会員のまま退会。続きませんでした。実は私はドラマが大好きで、今はネットフリックスのアメリカドラマにはまっています。「サバイバー:宿命の大統領」「ストレンジャー・シングス 未知の世界」など、今はこれが面白いと教えてもらうと書き留め、リストにしています。それらを観ながら健康器具で運動するのが習慣です。特にバランスボールは座っているだけだから、ドラマを観ながらの運動にはうってつけ。ベッドルームには足の開閉マシンを設置して、寝る前に台詞を覚えながらやっています。
以前、段差でつまずいたことがきっかけで購入したステップウェルもちょっとした合間にやって足腰を鍛えています。やらなくっちゃと思うとできないのですが、何かのついでにやる。それが私の性分には合っているようで、長く続いていますね。
歩くことも心がけています。近くに大きな公園があって、以前は8千歩を日課にしていましたが、それが5千歩になり、今では3千歩くらい。無理せず、できる範囲で歩いています。
でも一番の健康法は、子どもの頃から習っている日本舞踊です。インナーマッスルが知らず知らずの間に鍛えられたのだと思います。よく姿勢がいいと言われますが、机に向かうときやソファでTVを観るときも、もたれかかることはまずないですね。昨年名取を取り国立劇場でお披露目もしました。今も月6回お稽古に通っています。
食生活はただ好きなものを食べています。お酒は飲めませんが、甘いものは大好き。長年家のお世話をしてくださる方に料理はすべてお任せで、毎日のメニューを考えるのが私の役目。テレビ番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」のレシピ本や、キャイ〜ンの天野ひろゆきさんからいただいたご自身の料理本などから、食べたいものをメモして冷蔵庫に貼っておきます。
はずせないのは酢の物で、ただ「酢」と書いておくと、もずくやわかめとたこなど重ならないよう作ってくれます。あとは煮物やおひたし、お味噌汁にご飯といった和食が多いですが、チキンチャウダー、トマトのサラダに柔らかいフランスパンなど洋風のときも。
ダイエットとは無縁で、20代の頃から体重は変わりません。むしろ痩せないように注意しています。おかげさまで大きな病気もしたことがありません。ただ、更年期の頃から疲れすぎるとめまいが起こるので、めまいを抑える薬は常備しています。あとは血液がサラサラになる薬を飲んでいるくらいでサプリは飲んでいません。
高校生のときに、東京見学ができるということで「ミス16歳」コンテストに応募したら入賞することができました。その東京見学で日活撮影所に行ったことがきっかけで女優デビューしました。父から「3カ月で芽が出なかったら帰って来なさい」と言われ名古屋から上京。杉並の親戚の家に下宿して、井の頭線、京王線を乗り継ぎ調布の撮影所に通いました。その頃の作品を見返すと、棒読みで下手くそですが、当時の日活には、芦川いづみさん、浅丘ルリ子さん、吉永小百合さんがいらしたなかで、日活が私を育てようとしてくれました。私も懸命に仕事をしましたし、仕事がなくて困ることは一切なかったですね。
数年後にはブロマイド部門で1位になって、週刊誌や雑誌の取材を頻繁にいただくように。そんなとき、10日間の密着取材を担当したジャーナリストの夫(黒木純一郎さん)と出会いました。撮影所やテレビ局にも追っかけて来て、インタビュー後は六本木でお食事をしたり。すると話が尽きないんです。何でも知っていて、わからないことがあれば教えてくれました。ものすごく頼りになる人で、自然に交際が始まり、27歳で結婚しました。プロポーズはあったのかなかったのか思い出せないですが、新婚旅行は夫の仕事も兼ねて、ロンドン在住の友人とその助手の4人でトヨタのコロナ2台をベルギーのアントワープで受け取り、ヨーロッパと北アフリカを100日間巡りました。スペインからジブラルタル海峡を渡り、モロッコ、サハラ砂漠へ。楽しかったですね。
その後、お手伝いさんに助けられながら結婚生活をスタート。やがて35歳の頃、子どもが欲しくなったのですが、なかなか妊娠せず、38歳でやっと妊娠。39歳で長男を出産し、10カ月間子育てに専念後、仕事復帰。以降、まずは子どものスケジュールを最優先し、年間の学校行事の予定が出ると、その日は仕事はNGにしたので運動会も参観日も全部参加。保護者の集まりにもできる限り出席し、未だにママ友とは定期的に集まってランチをしています。
お弁当は、お手伝いさんが夕飯を作ってくれるときに一部冷凍したり、揚げるだけの状態にしてもらい、子どもに朝食を食べさせながらチンしたり、卵焼きを焼いたり。ご飯の上におかかと梅干しと海苔を敷いた海苔弁もよく作りました。だから40代の10年間は家庭も仕事も充実して、とても楽しかったです。
「長年ロングヘアです。いろいろなヘアスタイルにできるから。寝込んだらショートにしたいですね(笑)」
主人とも、ずっと仲が良かったです。彼が執筆をするときは事務所に行き、私も地方ロケがあり、お互い仕事がひと区切りしたら家で過ごす。ほどよい距離があったのが、ちょうどよかったと思います。お互いの仕事に干渉はしませんでした。話したいことは話すけど、それでどうしたの? などと根掘り葉掘り相手を突き詰めるようなことはしなかったです。イヤだと思うことは食事しながらさらっと「やーよ、それは」と我慢せずに言いました。でもお互いを労ることのほうが多かったですね。だからうまくいったのかな。
毎年海外旅行に夫婦で出かけるのが楽しみでしたし、今年のお正月も神社にお参りし、一緒に写真も撮りました。だからその1カ月後に亡くなるなんて想像していなくて、この先もずっとずっと一緒だと思っていました。
今年の2月16日に地方で倒れ、自分で救急車を呼び、病院に着いたら息子に電話をして、駆け付けた息子に尊厳死協会に入っているから延命治療はしないよう告げたそうです。14年前にこの制度を夫から聞かされ、私たち夫婦は一緒に入会していました。それ以降、主人が目を覚ますことはありませんでした。50年も一緒にいたのに、何の看病もしないで亡くなってしまって、なんて表現したらいいのか、とても寂しくて、夫の死を今もまだ乗り越えられていません。
夫は直前まで仕事をしていたので、人に会うから白くなった眉毛のままでは恥ずかしいと、私が染めたり、庭の柚子や柿の木に果物の皮の肥料を与えてくれたり、そんなことばかり思い出します。仏さまにご飯を供えるたびに「早く、逝っちゃって」と文句ばかり。お水をあげたり、お花を活けるときが私の癒しの時間になっています。
女優を辞めようと思ったことは一度もありません。イヤな役はやりたくないとはっきり言いますし、受けた仕事は楽しんでやってきました。その場で思ったことを言うので引きずることがありません。幸せなのは仕事をしているときですし、いい作品に出合えることほど嬉しいことはありません。私は現場が大好きで、共演者の方たちと話すのも楽しみなんです。いちばん仲良しなのはいしのようこちゃん。Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さんと3人で食事に行くこともあります。
夫婦でも他人でも言わないことが一番いけないことだと思います。お互いに労るにしてもイヤなことにしても「話す」ことが大切ではないかしら。物事を突き詰めて考えず悩まない。そうすれば人生は楽しくなるはずです。
仕事も子育てもとにかく楽しむこと。40代は大人なんだから、イヤだと思うことを無理してやらず、やりたいことを楽しんでやりましょう。落ち込んだら旅行に行くなどして切り替える。悩まないことです。
2023年『美ST』2月号掲載
撮影/大森忠明 ヘア・メーク/冨永朋子 取材・文/安田真里 編集/和田紀子
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