PEOPLE
5年連続の紅白出場も記憶に新しい、今や人気と実力を兼ね備えた歌謡コーラスグループとして地位を確立している純烈。2022年末に小田井涼平さんが卒業し、2023年から加入したのは俳優の岩永洋昭さん(43歳)。その端正な顔立ちとギリシャ彫刻のような筋肉美、メンバーの平均身長が180㎝オーバーの中でもひと際目立つ長身で、加入前から話題騒然となりました。「第一希望通りに人生を生きられたことが、今まで一度もないんです」、そう言って軽やかに笑う岩永さんのこれまでの半生と、純烈に加入したきっかけ、そしてこれからの展望について、たっぷりと伺いました。
「今日は久しぶりの単独での撮影で、モデル時代を思い出しました」。
そう言ってはにかむような笑顔を見せる岩永さんには飾りっ気がなく、素朴な人柄が滲んでいました。純烈への加入が電撃的に発表された2022年9月1日。そこへ辿るまでには様々は布石があったようです。
実は純烈のマネージャーとは元々飲み仲間で、何年か前から飲みの席で言われていたんですよ、「どうだ? そろそろ純烈に入る決心ついたか?」って。冗談か本気かわからなかったんですけど、「いやいや、僕なんか」って、その場では流していました。それが、メンバーの小田井(涼平)さんが2022年末で純烈を卒業することが4月に発表されて、そのあたりから「どうだ? そろそろ」が現実味を帯びてきて、本格的に加入という話に。
率直な感想ですか? それはもちろん、嬉しかったですね。純烈は一視聴者としてずっと見ていましたから。純烈が初めて紅白に出場した年の8月頃だったと思いますが、純烈のコンサートに飛び入りで参加したことがあるんですよ。同じ事務所なので、事務所の人に「職業体験のつもりで」って言われて。今はもうありませんが、お台場の大江戸温泉物語が会場でした。一緒に歌ったり踊ったりはしませんでしたが、ラウンドと言って、メンバーが舞台から下りてお客様と握手して回る際に、僕もメンバーの後ろに紛れて、メンバーと同じ赤いスーツの衣装を着て握手して回りました。純烈には特撮ファンの方も多いので気づいてくださる方もいらっしゃいましたが、ほとんどが「この人、誰?」っていう反応でしたね(笑)。あれは楽しかったな。
10年ほど前に「仮面ライダーオーズ/OOO」に出演することになった時にも、「よし、ここからだぞ!」という気持ちがあったのですが、どこか燻っている感じがありました。モデルからこの世界でスタートを切り、その後も俳優、声優など活動を広げてきましたが、バーテンをやりながら二足の草鞋を履いていた時代も。結局、顔と名前を売らないと自分のやりたいことはできないな、とずっと感じてきました。だから純烈への加入は、自分にとってはこれまでで一番のチャンスだと思っています。
とはいえ、不安がないと言えば嘘になります。不安というか負い目かもしれないですね。結成して15年、紅白に5年連続で出演している人気絶頂のグループにいきなり加入するわけですから。メンバーと一緒に苦楽を味わってもいないし、ずっと応援してくださっているファンの方々もいらっしゃる中で、自分で大丈夫だろうか、申し訳ないな、という気持ちが全くないわけではありません。
当初は、僕の純烈加入は2023年になってから発表の予定だったんです。それが2022年の9月1日、映画『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』の初日舞台挨拶の時に急遽発表することに。僕自身も、その1週間前にリーダーである酒井(一圭)さんに急に言われて。酒井さんは「ここだ!」と思えば状況をガラッと変える、動物的な勘が非常に鋭い方ですね。今思えば、あのタイミングがベストだったのかもしれません。
加入発表のニュースがその日の夕方にテレビで流れ、小さなトピックスくらいにはなるかなとは思っていたんですが、予想を上回る反響でした。あれほどの人数の報道陣の方々を目の当りにしたのは初めてですね。あの日はスマホを見られる状況ではなかったのですが、LINEに親戚や友人などから何百件もの連絡が来ていました。純烈加入のことは身内にすら言ってはいけないことになっていたので、さぞ、みんな驚いただろうと思います。兄貴のように慕っている従兄からは「お前、踊れたっけ?」なんて訊かれて、「今、練習してんだよ」って(笑)。
今、歌は20曲くらい、踊りは15曲くらいを一通り練習したところです(※取材時の2022年11月時点)。本格的にレッスンを開始したのはちょうど加入発表があった9月1日頃から。踊りは1カ月に4曲ずつ、仕事の合間にレッスンしています。最初は自分で動画を見ながら、見よう見まねでやっていたんですが、スローにしても全然わからなくて。今は先生を付けてもらっています。ムード歌謡にはスタンドマイクがマストなので、スタンドマイクを家に持ち帰って自主練の日々。運動神経はそこそこあるほうだと思いますが、ダンスのセンスはゼロだなって思っています。6、7曲さらった段階で、大阪の箕面スパガーデンでコンサートをしていたメンバーの元へ行って、その時初めて全員で合わせました。以後、メンバーの中では僕より年下の後上(翔太)くんが教育係で、あれやこれやとアドバイスをしてくれています。
初めてのボイストレーニングは発表よりも前から開始していました。歌はもともと大好きで。ギターをやっていたし、カラオケにも行きますよ。『ベルセルク』というアニメのガッツ役で声優の仕事もしましたが、キャラクターに声を吹き込むのと歌うのでは、声の出し方が全然違うんです。僕は声の出し方に変なクセがあるみたいなんですが、そういう新たな自分の発見が楽しいですね。40歳を過ぎて初めて挑戦することって、10代や20代の頃とは違う感慨があると思います。僕が新たなチャレンジをすることで、周りの人達が期待してくれたり、楽しんでくれたりするのが身に染みてわかりますから。
小田井さんが卒業間際の頃、純烈の公演に小田井さんのご両親がいらしていたんですよ。ステージに立つ小田井さんを見て、ご両親とも涙を流されていて。ああ、羨ましいなぁ、と。僕の母は4年前、66歳で亡くなりました。まだ若かったですが、寿命だったのか、ピンピンコロリでしたね。
僕は母ひとり子ひとりの母子家庭でした。父親はいなくて、母の兄、つまり僕の伯父が父親代わりだったんです。母との仲は良かったですね。マザコンだったと思います。いつかは小さくてもいいから家を買ってあげたいと密かに思っていましたが、叶いませんでした。
母はずっと長崎に住んでいたのですが、10年程前に知り合いを頼って名古屋に引っ越し、介護福祉士として働いていました。東京で生活する僕に、少しでも近づきたかったのだと思います。
母が亡くなった時、僕は神戸で朗読劇の仕事をしていました。母はその公演に来てくれる予定だったのですが、伯母から、母にメールをしても電話をしても反応がない、と連絡が来て。母は夜勤の仕事もしていたので、寝てるのかな? と呑気に考えていたんですが、その次の日に伯母から連絡があり、その時にはもう……。すぐに駆け付けてあげたかったんですが、朗読劇の仕事があと3日残っていて、どうしても穴を開けることができませんでした。伯母や親戚が後のことはやってくれて、僕は公演が終わって急いで母の元に向かい、最期のお別れをしました。
嫁さんにはちょっと申し訳ないですが、この時ほど結婚していて良かったと思ったことはないですね。ひとりだったらとても耐えられませんでした。娘も2歳になった頃で、家族には本当に支えられましたね。
母が生きているうちは、今思えば仕事の選り好みをしていたのかもしれません。正直に言うと「嫌だな」と思う仕事もなかったわけではないですが、母が亡くなって、なにか吹っ切れたように「何でもやってみよう」という気持ちになれたんです。
そのすぐ後に、父親代わりだった伯父が亡くなり、そして大切な友人も末期がんで亡くなり……一時期は本当に辛かったですが、大切な人の死は、物事を乗り越える力になっていると感じます。それを糧に、やったことがないことや苦手意識のあるものや新しいことに挑戦して、進化していく姿で周りに楽しんでいただきたいですね。本当は母に、その姿を見てほしかった思いはありますが、母の分まで家族や親族、そしてファンの方々に楽しんでいただき、精一杯の孝行をしたいと思っています。
野心ですか? ありますね(笑)。とにかく、求めていただけるなら何にでも挑戦して、多くの方々に楽しんでいただきたいと思っています。そのために、まずは自分の顔と名前を売らないといけない。売れないと、やりたいこともできませんから。
小田井さんの代わりにはなれないし、できないですね。小田井さんってずっとしゃべってるんですよ。しゃべる内容も面白いし、口下手な自分にはとてもマネできないな、と。だけど、僕が加入することで、また違った化学反応を純烈に起こしたいですね。僕は役者出身なので、コンサートや特撮で魅せる純烈の他に、「芝居する純烈」としても魅せていけたらなと思っています。『男はつらいよ』とか『釣りバカ日誌』のようなハートフルコメディとか、純烈のメンバーでできたら面白いんじゃないかな。
純烈は今や、ファンの皆様のおかげで人気グループになりました。純烈への加入は自分にとって一番のチャンス。ありがたいことです。最初に抱いていた不安や負い目のような感情は、ダンスの練習やボイトレを重ね、メンバーとの関わりを深めることで徐々に今後の期待やわくわくに変わってきたように感じます。もちろん失敗しないことが一番ではあるのですが、失敗をしてわかることもたくさんあると思うので、恐れずにやっていきたいですね。
メンバーから言われたことで印象的だったのが、「俺たちを踏み台にしていけよ」という言葉。純烈は永遠にあるわけではないから、純烈で経験できることや挑戦できることを目一杯して、円満に卒業した後ひとりになっても、バラエテイでもドラマでも何でもできるようになれ、と。なかなか言えることではないですよね。
しばらくは純烈のこと以外には考えられないとは思いますが、さらにその先に挑戦したいこともあります。海外への挑戦ですね。コロナになる前、ミラノや香港、バンコクのモデルエージェントに所属していました。各国一カ所ずつ所属ができるシステムになっているんですが、コロナになって行けなくなってしまい、志半ばで終わってしまいました。まだ心残りがあるので、ぜひまた挑戦したいと思っています。
振り返ってみれば、希望通りの人生は全然歩めていないんですよね。高校も大学も第一志望ではなかったし、子供の頃はサッカー選手になりたかった。芸能の仕事になんて、なんの興味もありませんでした。それでも、意図せずして流れていって、今、純烈に辿り着いた。人生はわからないですね。思い通りにはいかなくても、僕の人生の目標が「孝行」であることに変わりはありません。家族や友人やファンの方々への孝行のため、とことんやっていくのみだと思っています。
《岩永洋昭さんプロフィール》
1979年11月23日、長崎県生まれ。43歳。187cmの高身長を活かし、大学在学中にモデルとしてデビュー。その後、俳優へ。2010年、テレビ朝日系「仮面ライダーオーズ/OOO」に仮面ライダーバース役で出演し、知名度を上げる。声優としても活動し、大人気アニメ「ベルセルク」では主人公のガッツ役を担当。2023年1月より、歌謡コーラスグループ「純烈」に新規加入。
《衣装クレジット》
【グレースーツ】スーツ¥69,850ニット¥30,800(ともに麻布テーラー/Y&Mプレスルーム)その他、私物【ブラウンジャケット】ジャケット¥90,200ニット¥30,800(ともに麻布テーラー/Y&Mプレスルーム)
《お問い合わせ先》
Y&Mプレスルーム ☎03-3401-5788
撮影/平井敬治 ヘア・メーク/川村友子 スタイリスト/中村智香子 取材/キッカワ皆樹 編集/永見 理
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