PEOPLE
80年代に「根こんぶ健康法」、90年代に「カチンカチン体操」の本を出版したうつみ宮土理さんこそ、タレントによる健康本、美容本のパイオニアかもしれません。カチンカチン体操は今でも続け、スリムな体と美肌は健在。おしどり夫婦として知られた最愛の夫、愛川欽也さんを亡くして7年。今、また新たな恋をしているそうです。
7年前に亡くなった夫、愛川欽也さんの思いが込められた東京・中目黒の「キンケロ・シアター」は、飛行機のファーストクラスの座席を使用。その椅子に座り、華やかなピンクのジャケットを颯爽と着こなすうつみ宮土理さん。10月に80歳になったとは思えないほど笑顔が愛らしく、思わず「可愛いー!」とお声がけしてしまうほど。
《Profile》
1942年東京生まれ。実践女子大学英文学科卒業後、朝日新聞社「ディス・イズ・ジャパン」編集部を経て、「ロンパールーム」の先生役で’66年芸能界デビュー。〝ケロンパ〟の愛称で親しまれ、「3時のあなた」「すてきな出逢い いい朝8時」など多くの番組でメイン司会を務める。11月には、東京・中目黒「キンケロ・シアター」で上演される『豆子セブンティーン』に主演予定。
オシャレが大好き。若い頃からいろいろなブランドの服を着てきましたが、最近は家の近くのセレクトショップで出合ったステラ マッカートニーが好き。個性的なデザインで、可愛いから惹かれたの。青山の本店にはもっとたくさん置いてあるって言うじゃない。それからはシーズンごとにうかがって、ステラの洋服を楽しむようになりました。今日、2ポーズ目に着たカジュアルなフード付きのパーカとロゴ入りジーンズもステラ。着ているとウキウキして、元気が出ますね。
毎朝5時に起きた瞬間に「今日も楽しいことが待っているわ」と思い込んでから起きるの。それが運を呼び込む秘訣。そして、スキンケアとUVクリームをしっかり塗って、6時半から近くの公園でやっているラジオ体操に参加します。ボーイフレンド(?)のクマちゃんと待ち合わせをして、会場に行くと仲間がいるの。最近、日本語ができないオーストラリア人の新入りがいて、これがね、イケメンなのよ。だからますます行くのが楽しみで。
7時まで体操したら、近くのコンビニで100円コーヒーを飲みながら仲間とお喋り。みんなきれいにメークしていて素敵なの。オシャレしてラジオ体操に来るなんて可愛いわよね。
家に帰ると即洗顔。肌に入り込んだ汗とホコリと紫外線を洗顔クリームできれいに落とします。それから再度スキンケア。厚化粧が好きじゃないから、メークは普段ほとんどしないですね。
夜はパチパチ音がするクレンジング剤でお化粧を落としてから、額と顎のみ石鹸で洗います。それから麹入りパックを塗ってお風呂に入り、肌がパーンとしたらぬるま湯で落としてタオルで優しく拭いてから、上がります。お気に入りのティラヴィのコラーゲンを入れ、しみ込む化粧水、シワを取る美容液、栄養クリーム、最後にオイルをつけます。とにかくゆっくり焦らず、それぞれを手で浸透させます。
その間、43歳で出版した書籍が100万部を売り上げた「カチンカチン体操」をやっています。30代の頃、階段を上がっていたら、後ろにいた小森のおばちゃまに「どうしてそんなにお尻が大きいの?」って言われたんです。びっくりして、小尻にするための本を読んで研究したら、痩せたい箇所は「伸ばしてひねる」が大事だと確信。この体操を編み出しました。でも30年以上前のことでしょ?具体的にどうするかは忘れちゃったのよ。本もどこに行ったかわからないし。でも、その頃太っていたのに、ベスト体重38キロで小尻にもなって、今でも維持しているの。あれは正しかったなと思うわ。私はオードリー・ヘプバーンを目指しているんです。あの細い体が好き。だから今でもウエストはくびれています。
洗顔からスキンケアが全部終わるまで1時間かかるんです。寝る直前には「あいうえおかきくけこ……」と内緒の顔の体操もやっているから、なかなか寝られないわよ(笑)。
レーザーやエステは苦手です。パシッパシッと光を当てると痛いでしょ。自分が痛いと感じることは、やらないようにしています。肌の身になって考えてみないとダメね。
親からもらった肌も体も大切でしょ。美肌自慢だった母の遺影を見るたびに、「なんて肌がきれいなの」って思うの。だから絶対にシミ、シワは作らないと心に決めて頑張っています。
髪の毛もベル・ジュバンス弱酸性美容法の山﨑伊久江美容室に30代後半から通い始めました。いいと思ったら私はそこしか行かないんです。弱酸性の白髪染めは髪に負担をかけない分、小まめに染めなくてはいけないけれど、結果、髪も頭皮も傷まず、今もフサフサです。山㟢さんに、「宮土理さんの存在がうちの宣伝になります」と褒められているくらい。
30代までは美容もファッションも興味がなかったのですが、40歳になったとき、坂道が目の前に現れて、老化を感じるいっぽう。まずはきれいでありたい、お金をかけず整形もせず、美しさを維持しようと思いました。その気持ちが今も続いています。40代で美容と健康に目覚めれば、その後もきれいでいられるんじゃないかしら?
人生も同じ。それまでは平坦な道を歩き、太陽が降り注いでそよ風が吹き、周囲はニコニコ協力してくださって、本当に順調でした。40歳で初めて登るのが大変だと思ったけれど、頑張ろうという気持ちも芽生えました。「3時のあなた」や「いい朝8時」など、たくさんの司会をやらせていただき、仕事も充実。経済的にも恵まれていました。
22歳のときに父が亡くなり、私が家族を支えるようになり、フランス語専攻の妹をパリのソルボンヌ大学に留学させることができたことも嬉しかったですね。重責だったけれど、40代からはいよいよ家族への恩返しの始まりで、私がそれができることが幸せでした。だから一生懸命働きました。40代ってちょっと頑張る上り坂なのかなと。
最愛の夫・キンキン(故・愛川欽也さん)とは36歳で結婚しました。司会で共演した「シャボン玉こんにちは」が出会い。人って泣けるところは一緒でも、面白いところで一緒に笑える人ってなかなかいないじゃない。でもキンキンとは笑うツボが一緒で、絶対に私たちは合うと思いました。後から聞きましたが、キンキンも「ケロンパといると疲れない。蝶々みたいに飛んでる面白い人だ」って言っていたそう。
結婚後はいつも私の仕事を応援してくれ、苦手だった料理を強要されたこともない。「あそこの水餃子を買っておいて」と言われてストックしたり、よく外食もしました。朝ご飯は作ったけれど、ご飯にお味噌汁、おしんこと干物があればいいの。お餅が大好きだったわね。ホントに手のかからない人でありがたかったです。喧嘩をしたことも不満もなく、いつも幸せでした。
夫婦でよく海外にも行きましたが、キンキンが「なるほど!ザ・ワールド」の司会をしていた当時、毎年夏休みに軽井沢プリンスホテルにスタッフとその家族全員分の部屋を予約したことも。男性陣がゴルフをしている間、私は奥さんと子ども達をどこに連れて行こうかと大変だったけれど、キンキンに対する感謝の気持ちがあったので、楽しんでやりました。
キンキンは明るい人が好きだったから、仕事から帰ってくると、「おっかえりー」と明るく迎え、料理は上手じゃないけど、「お腹空いた?」って聞いて、「お餅あるよ」「水ようかん食べる?」と常に声をかけていました。私はそれくらいしかできなかったけれど、縁あって結婚したわけだから、やれることは全部やろうと思いました。夫婦って1年も経てば気持ちがすり減っちゃうでしょ?そんなときはこの人のどこが好きで結婚したのかなって思い出すといいと思うの。感謝する気持ちがあれば、夫も感謝してくれます。なぜなら夫婦は鏡だから。
私の本名は三重子ですが、女性には3つ大事なことがあって、1つ健康、2つ仕事、3つ男運。その3つに恵まれるようにと願いを込めて、祖父がつけてくれました。いちばん当たっていたのは、3の男運。キンキンに出会えたことは本当に幸運だったと思います。
だからキンキンが死ぬなんて考えたこともなかったんです。なのに家で看病して、あっという間に死んじゃった。突然いなくなって、何が起きたのかわからなくて、虚しさと絶望とで、そこから1年間のことはまったく覚えていません。よく言われるのは、中目黒の桜が散っていくのを川べりでぼーっと見ていたらしく、その姿は本当に可哀そうだったと。何を食べたのかも覚えてなくて、見かねた料理上手のマネージャーがご飯を作ってくれるようになり、少しずつ元気を取り戻しました。
そして1年後、キンキンが残してくれた「キンケロ・シアター」でメモリアルコンサートを開催することになり、やることができると突然元気になって、「キンキン塾」の生徒さんに歌を教え始めました。キンキンがいつも「明るく、好きなことをやんなよ」って言ってくれていたのを思い出しました。今でも寝る前に「ありがとう」と言うのは忘れないですね。
「かみさんがいつまでも若々しく生きがいを持っていられるように」と作ってくれた「キンケロ・シアター」のおかげで、キンキンの死から立ち直れました。
64歳のとき、ドラマ「冬のソナタ」がきっかけでヨン様に恋をして、韓国のキョンヒ大学校に3カ月間語学留学をしました。そのときも「偉いね。まだ勉強したいの。行っておいで」と送り出してくれました。でも実際行ってみると、周りは10代20代ばかり。毎日ものすごい量の宿題が出て、ヒアリングはできるのですが、脳みそが動かず覚えられなくて、試験に落ちるんです。毎日落第で残されて、苦しかったあ。眠れないほどでした。でもビリでも卒業証書をもらったときは嬉しかったですね。苦しかったけれど達成感がありました。
その後も韓国ドラマを観ながら勉強を続け、今は字幕を見なくても理解できるし、難しいことは話せないけれど、不自由しなくなりました。語学のマスターは20代までと言われますが、何歳で挑戦しても修得できると思います。
私のデビューのきっかけは、日テレ系の子ども向け番組「ロンパールーム」のみどり先生でした。当時は朝日新聞社に勤めていたので迷いもありましたが、私は子どもが大好き。今でも公園に行くと子どものほうから寄ってきます。「好きよ」という気持ちが子どもに伝わるんだと思います。だから子どもは欲しかったですね。でも子どもは天からの授かりもの。代わりに他の子どもを支えるために、「近所のおばさん」として、恵まれない子ども達に寄付をしたり、妹の孫と遊ぶのが本当に楽しい。それでいいんです。
実は20代の終わり、「ゲバゲバ90分!巨泉×前武」にレギュラー出演していたとき、ある女優さんに「あなたって、不細工ね」って言われたんです。家に帰って母に「今日、本当に傷ついちゃった」って言うと、「いいじゃないの。それはいじめじゃなく、本当のことを言ってくれている」って言うの(笑)。それで母に「不細工だって言われないためにはどうしたらいい?」って聞くと、「笑っていなさい」と。それからは「笑って不細工を吹き飛ばそう」と、何を言われても笑うようになりました。そうやって私の人生は開けていったと思います。母に感謝です。
だから、私が思う美しい人は弾けるような笑顔の人。よく喋る人も大好き。無口は性格だから仕方ないけど、努力してでも喋ったほうがいいと思います。「こんにちは」だけじゃなく、「昨日どうしていたの?」「今日はどうするの?」ともうひとつ加えてみるんです。
最近、吉幾三さんに一方的に恋をしています。ちょっとキンキンに似ているの。ファンレターを書いて、ファンクラブにも入りました。80代の目標は吉さんに会うこと。そのために肌をパンパンにしてきれいにしてなきゃね。
40代は坂道の始まりです。そこからが頑張りどきで、本当の人生の始まりだとウキウキしました。だから一層笑顔で朗らかに、いつもきれいにしていれば、どんなことでも乗り越えていけるのです。
2022年『美ST』11月号掲載
撮影/大森忠明 ヘア・メーク/設楽樹加 取材・文/安田真里 編集/和田紀子
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