PEOPLE
1966年の資生堂サマーキャンペーン広告で一世を風靡した前田美波里さん。健康的な小麦色の肌は衝撃的で、日本女性の美しさに対する意識を一変。今年創立150周年を迎えた資生堂のCMでも当時をオマージュした姿が話題になりました。
時間があると、神宮外苑周辺を歩くのが日課。「先日、美容院のある表参道まで40分ほど歩いたら、着いた頃には汗びっしょり。毎日運動しているから代謝がいいんです」
ニット¥59,400、パンツ¥52,800(ともにyoshie inaba)ピアス¥11,340(アビステ)バングル¥13,200(1AR by UNOAERRE/ウノアエレ)
《Profile》
’48年神奈川県鎌倉市生まれ。幼少時からクラシックバレエを習い、’64年舞台デビュー。’66年に資生堂のキャンペーンガールとなり、以後数々のミュージカル作品に出演し、舞台を中心に活動。’09年松尾芸能賞優秀賞受賞。実力と人気を兼ね備えたエンターテイナーとして多数の舞台やドラマ、CMなどで活躍。ブロードウェイミュージカル『ピピン』にパーサ役で出演。8/30~9/19(東急シアターオーブ)
高校生だった18歳のとき、資生堂ビューティケイクの広告に起用され、運命が一変。ポスターは持ち去られるほどの反響で、私の人生の新たな1ページが開いたきっかけになりました。その資生堂さんが創立150周年を迎えた2022年、それを記念したCM「美しさとは、人のしあわせを願うこと」篇は当時のCMをオマージュ。56年越しに、白いターバンに黒のアイラインにアイラッシュのアイメーク。さすがに白い水着だけでは映像的に難しいので、腰から下にたっぷりドレープを施した白いロングドレスで同じように横たわり、見上げたようなポーズで撮影。
今回はスタジオ撮影でしたが、まるでハワイの砂浜のような濡れた砂場が再現されていて、その上で、長時間同じ体勢だったので痛くて大変でしたが、生涯にわたって美を追求し続ける姿勢を表現しました。各年代の女優さんとの競演でしたが、周囲からは「インパクトが強かった」「とても素敵だった」と、多くの反響をいただき、嬉しかったですね。私を世に出してくださった資生堂さんには感謝の気持ちでいっぱいで、どんなお仕事であろうと、ご依頼は何よりも最優先。それが私の恩返しです。
舞台人が舞台に立つのが当たり前なのと同じで、毎日ジムのプールでトレーニングするのが日課です。舞台人はステージ上でミスをすると取り返しのつかないことになるうえに、360度全身が見えるので、日頃のトレーニングが重要です。
その日のスケジュールに合わせて、プール内ウォーキング、アクアビクス、コアコンディショニング、アクアグローブ、水泳などのクラスに参加。若い頃は水泳に夢中になれなかったのですが、この年齢になってその楽しさがわかりました。平泳ぎ、背泳ぎ、クロールと何でもやりますが、特に最近習得したバタフライが好きですね。どのクラスも、稽古後すぐに体に大きな変化を感じます。ウォーキングでは足裏から綺麗に歩けているのを実感しますし、アクアグローブはみるみるウエストが1cm締まり、水泳後は肩凝りが解消。それぞれ効果が違います。
私はパーソナルトレーニングは基本的にしません。グループレッスンで「あの人ができるようになったな」と思うと悔しい思いをするでしょう?意識って大事だと思うから。人って競い合っているほうが成長するんですよ。
月1回、9日をジムの休みの日にしていますが、「今日は行かなくていい」と精神的に解放されても、肉体は心配になって、近所を歩きに行ったりね。プールに行く前は準備運動のエゴスキュー体操を家でやり、地方ロケでもセルフストレッチをします。どんな状況でもトレーニングは欠かしません。脳の活性化にも繫がっていますね。
次の舞台『ピピン』の稽古がそろそろ始まります。役どころのパーサは空中ブランコのスター。初演時のオーディション時に監督から「ブランコの上で立てますか?怖くはないですか?」と質問され、「気持ちいいです。全然怖くないです」と即答。アクロバットな演技もありますが、自分の年齢に挑戦です。その挑戦は、日々鍛錬してきた自分への答えを出すこと。だから、臆することなく挑戦できるのです。
’13年からは堂本光一さんの主演舞台『Endless SHOCK』で劇場のオーナー役を演じています。大変な振り付けがあるわけではないけれど、共演者に若手のジャニーズメンバーが多く、一緒になって呼吸し、同じように動いてパワフルにやることを意識しています。みんなが「そろそろ疲れてきているな」と思ったら鰻を食べに連れて行くし、「この子、風邪っぽいな」と感じたら漢方薬を渡したり。母親の心境ですね。おせっかいですけど。
私は不器用で弱いところもたくさん持っています。だから人の何倍も努力をしてきました。いつも自分には厳しく、叱咤激励しながら鞭を叩いて。でもね、他人には優しくありたい。
アメリカ人の父と、日本人の母との間に生まれ、鎌倉で育ちました。仕事をしていた母の代わりに学校行事は祖父が参加。海軍出身で、礼儀作法を厳しく躾られました。私自身はハーフを意識したことはなかったけれど、祖父が「お前の人生のスタートはハーフであること。そういう運命に生まれたのだから泣くな」と、守りながら育ててくれました。
当時、知り合いの方が歌手の菅原洋一さんの事務所の社長夫人と仲が良く、私の立ち居振る舞いを見てマネージメントしたいと仰り、ジャズダンスを始めたのが芸能界入りのきっかけ。宝塚入団を勧められましたが興味がなく、東宝現代劇に入団。16歳でミュージカル『ノー・ストリングス』の初舞台を踏み、翌年の東宝カレンダーの表紙に。資生堂の方がそれを見て、あのポスターに起用されたんです。その後は多くの映画やドラマに出演しましたが、ハーフであることを必要以上に取り沙汰され、芸能界の辛さを実感しました。
資生堂のポスターを撮影した頃に元夫と出会い、20歳で結婚。それを機に芸能界を一時引退し、夫婦で海外で暮らした時期もありました。24歳で息子を出産するも、同時に私が胸膜にリンパ液がたまる肋膜炎に罹患。呼吸が苦しくて苦しくて、出産直後から3カ月入院。息子と離れ離れに。実は私は子供の頃、小児結核を患っていたので、もし結核菌を保持していたら息子にうつす可能性もあるとのことで、抱くことすら許されませんでした。もう辛くて辛くて、これまでの人生で一番悲しくて、泣いて暮らしました。
結局、結核菌はなかったのですが、退院後も半年以上結核予防の薬を飲むように言われ、それが原因で白髪になり、体調もすぐれない日々が続きました。ですが、当時は家事は女性の仕事という世の中でしたので、100%家事がのしかかってきました。舞台美術家の義父がいい方で、入院中から「坊さんになった心持ちで何も考えずに生きろ」と言われ、夫についても「母親が早く死んで女性の辛さがわかっていない。俺が助ける」とサポートしてくださったのがせめてもの救いでした。
出産後、夫婦での出演オファーが増えたため、体調が回復した後、再び夫婦で仕事をしました。ですが、この人とずっと一緒でいいのだろうかと夫から気持ちが離れていく一方で、舞台で喝采を浴びる喜びを思い出し、家庭に入ることが本当の生き方なのかと悩み抜いた結果、私の生きる場所は舞台、人生を舞台に懸けようと決意しました。
そんなこんなで結局離婚することになりましたが、一人で生きていくことは本当に大変で健康でないことがどれだけ辛いことか、このときから健康こそが私のモットーになりました。
ブラウス¥38,500(PINKO/サン・フレール) ピアス¥11,000(1AR by UNOAERRE/ウノアエレ)
10~20代は名前だけが先行し、演技基礎が身についていないのに芸能人として運良く生きられたけれど、舞台女優を目指すようになった27歳からの10年は、「これではいけない」と覚醒。辛い稽古に明け暮れ、舞台以外の仕事を断り、自らオーディションに挑戦しました。スタートが遅いんです。ようやく舞台に立てるようになったのが20代後半。『風と共に去りぬ』や『ウエスト・サイド・ストーリー』など、30〜40代は多くの大作に出演しました。
一方で40代はホルモンバランスが崩れ、背中にびっしりニキビができたり、とにかく肌荒れがひどかった。その頃、ラジオ番組でお会いした先輩の浜美枝さんから、「40代は細胞が変わるとき。苦労なさると思うけど、50代になったらなくなるから、焦らず生きたほうがいいわよ」とアドバイスをいただき、随分気持ちがラクになりました。当時は高級なクリームを使ったりしていましたが、洗顔をきちんとして、スキンケアをシンプルにすることで随分解消されましたね。
ひとりになって眠れない夜も多くなり、睡眠にも苦労しました。かかりつけ医に導眠剤を処方してもらったこともあるし、お酒に頼ったこともあったけど、癖になるんですよ。でも、ある時期を超えると眠れるようになるんです。今や健康器具に癒されながら、即寝落ちしてますから。
今のように正しい知識がなかったから、食生活も良くなかったですね。良いと聞けば炭水化物を抜いたり、ストイックに野菜スープを作ったり。野菜スープは最近まで続き、地方でも付き人が作ってくれていましたが、大変なときもあり、あるとき、市販のスープを試したらすごくおいしいの。70歳を過ぎたらラクがいい。こうでなくてはと決めずに、体が欲するものを食べています。ご飯も1日1回は食べたくなるので、その分大好きなお酒の量が減りました。
今、16時間断食に凝っています。何もなければ夕方の5時に夕飯を食べ、液体はOKなので翌朝はココアだけいただいてプールに行き、ランチは普通に食べるという具合。胃腸の調子がとてもよくなり、続けています。
人生、落ち込んで眠れない夜もたくさんあったけど、悩む前にまず体を動かします。そうしてひと晩やり過ごし、翌朝起きたら「口に出さなくてよかった」と思うことが多々ありました。『まずは肉体を動かして健康な平常心に戻ってからもう一度考えてみる』これが私のモットーです。
その反面、ラッキーなことも多かったですね。誰にでも運は来るし、摑めるか摑めないかで人生を左右します。私は動物的なんですよ。これだと思ったときに既に仕事が入っていたら、頭を下げてでも先の仕事を断ることもありました。振り返るとすべて舞台を選んでいました。舞台に立っているときがいちばん幸せです。観ていただいた方から「勇気が湧きました」「前向きに進んでいけます」といった感想をいただくことが、何よりも嬉しいです。
新たにステージに立つときは、怖いです。トイレでひとりになって集中したり、祖父母や父母に「お願いします」と手を合わせたり、無事に帰れるようにと楽屋の鏡前には蛙の置物を置いています。仲良しの友人が海外から買ってきてくれた珍しいものもたくさん。
そんな彼女らとは定期的に旅もします。温泉に入り、美味しいものを食べてゆっくり語り合う。定宿があちらこちらにあるんですが、季節ごとにそこを訪ねるのがオフの何よりの楽しみであり、次の仕事への活力になります。
ご存じのように、その後元夫は2度再婚し、今の奥さんと私は大の仲良し。3度目の今は、彼も自分のことは自分でやるようになったらしいです(笑)。お互いに良かったのかもしれません。
長い時間が経ちました。孫が生まれたときも本当に嬉しかったですね。海外に留学中で、今は夏休みで帰国しています。私の舞台を楽しみにしてくれて、元夫の今の奥様との娘さんと一緒に観に来てくれます。女優でいる前に、ひとりの人間としてきちんと生きていきたいですね。
人は人、自分は自分。57歳くらいまでは人と競い合う気持ちが捨てきれず、辛い思いもしましたが、60歳を過ぎて、ようやく前田美波里はひとりしかいないと思えるように。もう人と比べる必要はないんだとラクになりました。
2022年『美ST』9月号掲載
撮影/中村和孝 ヘア・メーク/矢野トシコ スタイリスト/松田綾子(オフィス・ドゥーエ) 取材・文/安田真里 編集/和田紀子
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