PEOPLE
〝政界の聖子ちゃん〟から〝女性初の総理大臣候補〟へ。政治ひと筋で突っ走ってきた野田聖子さんは、40歳で不妊治療を始め、卵子提供で50歳で出産。「政治家として命を守ること、自分以外の誰かのために命を懸けることの大切さをさらに実感した」と語ります。

運動らしい運動はしておらず、選挙活動がいちばんの運動。好きなものを食べ、移動中のおやつも欠かさず、夜中に缶クッキーを食べても、若々しさとスタイルの良さは60代になっても変わりません。小学校1年生のときに盲腸になって以来、病気をしたことがないという野田聖子さんに、元気の秘訣と不妊治療でボロボロだった40代のお話を伺いました。
《Profile》
’60年福岡県生まれ。大学卒業後帝国ホテル勤務、岐阜県議会議員を経て、’93年衆議院議員初当選。’98年37歳で郵政大臣、その他消費者行政推進担当大臣、自民党総務会長、総務大臣、衆議院予算委員長、自民党幹事長代行などを歴任。’21年より内閣府特命担当大臣(地方創生・少子化対策・男女共同参画)、女性活躍担当大臣、こども政策担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣に。
忙しくてお風呂になかなかゆっくり入れないのですが、湯船には毎日15分くらい浸かるようにしています。持ち込んだスマホで、TikTokの美容系動画をぼーっと見ながら二重顎を押したり、フェイスラインをマッサージ。体を洗うときはミュージックに変えて大音量に。ビリー・ジョエルの後にBTS、米米CLUBの後は優里の「ドライフラワー」だったりと、トレンドも懐かしい曲も混ぜこぜ。体を洗いながら、次々と変わる音楽を楽しんでいます。
お風呂上がりにはシートマスクをべたっと貼って15分。はがした後はオールインワンをつけて終了。美容はずぼらなんです。
メイクも適当ですが、一応します。私にとってメイクは、オンとオフを切り替えるスイッチのようなもの。オフの日はすっぴんなので誰だかわからない(笑)。ファンデは2種類を使い分けていて、記者会見など表に出るときはエスティ ローダーのダブル ウェア。長持ちするしカバー力もあって使い勝手がいいんです。普段はケイトのリアルカバーリキッド。リーズナブルだけど肌にキレイにのるので、コスパがいいですね。地方に行くときも小さなケースに入れ替えて持って行きます。ちふれが好きで、お粉も化粧直し用パウダーも口紅もちふれ。安心の国産で使いやすさも抜群。アイシャドウはひと塗りで決まるオーブ、眉毛はエクセルの眉ペンシル。買いに行く時間が取れないので、ネットで割引を狙って買っています。高級なものは全然使っていなくて、夫に「歴代恋人の中で、こんなに小さな鏡で適当に化粧をする人は初めてだ」と言われました。
ヘアは美容師さん任せ。25歳から50歳まで岐阜の「びゅうてぃっく はな」のますみちゃんにお願いしていましたが、出産後は頻繁に岐阜に通えなくなり、今は「TAYA銀座」の白鳥陽介さんに。私がずぼらなことをご存じなので、手間がかからないようにしてくれます。洗ってドライヤーで乾かして寝たら、朝、くるくるドライヤーで整えるだけ。ホント助かっています。いつも「金髪にしたい」って言ってるんですが、「それだけは……」と言ってやってくれませんね。
周囲から美容整形したら?って勧められるけど、一度で終わらないし、面倒くさいなと思ってしまって…。年齢と共に上手に老化とつき合っていければいいかな。
私の40代は混沌としていました。32歳で衆議院議員に初当選、37歳で郵政大臣として初入閣。史上最年少、女性初などと騒がれても、素の自分と大臣である自分の折り合いがつけられないまま行き詰まっていました。そこへ追い打ちをかけるように支援者から「独身だと女性有権者から嫌われるから結婚しなさい」と言われたんです。そもそも政治の世界に入るときは、「政治は男の世界だから、女の幸せを捨てなさい」と釘を刺されていたのに。急に放り出されたような感じでした。
当時参議院議員だった元夫と40歳のときに事実婚。7歳年下の優秀な人で、彼の子供が欲しいという個人的な思いと友人の紹介で不妊治療をスタート。ホルモン注射からタイミング療法、そして体外受精のフルコースでした。体外受精が不成功に終わるたびに、毎月絶望感を味わって、何よりも辛かった。その間、神経を尖らせて仕事をし、家に帰れば切ない。どれだけ頑張っても結果は出ませんでした。それまで私は、努力で道を切り拓いてきたと思っていたけど、そうじゃない世界を突きつけられ、本当に辛くて、ずたぼろでした。
そもそも元夫は体外受精に乗り気ではなく、それに私は腹を立て、喧嘩も絶えなかった。そんな中の’05年、郵政民営化に反対して造反組とみなされ、選挙には勝ったものの自民党を離党。私は無所属になり、夫は自民党議員のまま。夫婦間に妙なねじれが起こりました。私たちはただ幸せになりたかっただけなのに、公私ともに負のスパイラルに入っていったのかな。お互い尊敬し合っているのに、そのピースが埋まらないことで、次第に歯車が狂っていった。そんな感じでした。
しかも、不妊ルーティンに入ると抜けられない。13回目の体外受精が不成功に終わり、半分喧嘩、半分冷静にけりをつけ、47歳で離婚。でも、不妊治療から解放されて、内心ほっとした部分もありました。

2021年9月17日、自民党総裁選に立候補したときの立会演説会で着用していたチェックのスーツは、SNSで〝伊勢丹スーツ〟とバズったとか。ネックレスは、出会った記念日に夫がプレゼントしてくれたブルガリ。
その直後、舞鶴市長選挙に応援に行った帰りに大阪で1泊することになり、スタッフと美味しいものを食べに行こうと、元夫の友人の友人の紹介で立ち寄った焼肉割烹が今の夫のお店でした。その日はお客と店主の関係でしたが、その後夫が仕事で上京して食事に行くことに。夫は「あなたの友人も誘いましょう」と言うのでびっくり。政治の世界とは違う、彼のフランクなところが心地よくて。次第に惹かれて、最終の新幹線で大阪に会いに行ったことも。でも夫の学歴などが世間に取り上げられ、誹謗中傷が酷くて、周囲も大反対。私は天邪鬼だから、反対されると進みたくなり、一緒に住み始めました。
そもそも正式な結婚はしないと決めていました。離婚後、母から「結婚は懲り懲り。好きな人ができたら結婚せずに一緒に暮らせばいい」と言われていて、彼も「それでいい」と。そのとき私は40代後半。夫に「もし子供のいる家庭を望むなら私は付き合えない」と話したら、「そんなことは考えていない。でも、乳児院で育った子供を養子に迎えてもいいね」と。私も賛成していざ動き始めたら、母親が高齢で共働きだと養子縁組はできないという現実に直面。すると、卵子提供という方法があることを夫が調べてきて、国内では不可能だけど、アメリカなどでは実現可能で、日本人のコーディネーターがいるという情報も得ていました。
でも、大臣の私が妊娠して十月十日を過ごすなんて想像できない。無理だと思っていたら、’09年頃に少し時間に余裕ができ、「子供作れるよ」って言ったの。コーディネーターを紹介してもらい、「ママになれますか?」と聞くと、「クライアントには70歳の人もいるくらい」と言われて世界が違うと思いました。夫を見ると嬉しそうにしているの。だったらやってみようかなと。
そこからは早くて、アメリカの方から提供していただいた卵子と夫の精子の受精卵を子宮に移植すると、2回目で妊娠。検査薬で赤い線がくっきり出たときは本当に嬉しかった。願っても叶わず、報われない10年間だったから。
ところが、14週目に重度の障がいがあることがわかったのです。残りの受精卵は20個以上あったので、その段階で堕胎する選択肢もありました。でも卵子提供を決めたとき、来てくれる子供に条件をつけないことをルールとして自分に課したのね。だから、ドナーも自分で選びませんでした。私は政治家として障がいのある人との交流もあったけれど、夫は普通の人で経験も覚悟もおそらくなかった。話し合って、受け入れることにしたのです。
息子は食道と胃が繋がっていなくて、胎児のときは羊水が飲めず、お腹に5リットルも溜まって、それが胃を押し上げるから食べたら吐いちゃう。何日も飲まず食わずで飢餓状態。切迫早産で入院。出産までの間、病室で仕事をしました。帝王切開で出産。仮死状態だったので即ICUに入り、次から次へとドラマのようなことが起こりましたが、なんとか乗り越えられました。
2年後に息子が退院。24時間点滴をしなければ息子は生きていけなかったから、自宅に人工呼吸器・酸素吸入器・加湿器などを持ち込み、家の中をICU状態に。退院準備を始めたとき、看護師さんに国からのサポートを尋ねたら、「基本的に24時間お母さんがお世話します」とおっしゃった後、「野田さんは無理ですよね」と。一方の夫は自営業だから融通が利く。申し訳ない思いでいっぱいだったけど、受け止めてくれたんです。でも、当初は喧嘩が絶えませんでした。夫は終日息子の世話をしてくれ、せめて夜は私が面倒を見なきゃと徹夜で仕事に行くことが増え、寝ていないから昼間眠くて、官邸の会議のときに階段から落ちてケガをしたことも。
わが家は完全に逆転夫婦で、家での食事は夫が用意してくれます。今朝も自家製のちりめん山椒で作ったおにぎりと、昨夜の残りのお味噌汁をいただいてきました。夫が頑張ってくれたおかげで息子は元気に成長し、夫には感謝しかないですね。
私って1本ねじが抜けてるのかな?何か起こると、その都度真剣に考えるんだけど、翌日には忘れてしまう。ポジティブ?全然ポジティブでいようなんて思わない。そもそもポジティブでいようとすると、いっぱいいっぱいになって辛いでしょ?気負わず、もっと自分をだらしなく甘えさせたほうがいいと思うんです。
素敵だな、美しいなと思うのは、人を笑わせられる人。私自身もどこでも笑いを取るように取り組んでいます。夫は「おもろいから結婚した」って言うのよね。決して美しいからって言ってくれないの(笑)。
実は結婚するとき、50歳で政治家を辞めると夫と約束したんです。でも息子が障がいを持って生まれてきたことで、国の制度が整っていないことに親として気づき、こんな国のままでいいはずがないと思ったの。夫との約束を破ってしまう形にはなるけれど、損をしている人が損をしない仕組みを何かしら作って、政治家としての集大成としたいな。これまでも総理を目指すと言ってはきたけれど、本気でこの国を守るトップにならなければとあらためて決意して、よりどっしり感が出てきたかな。

何を言ってるんだと思う人もいるけれど、私は真面目に総理になりたい。それこそ可能性は無限大だと言い聞かせています。「できない」を「できる」に変えることができるのが総理。これからも総理への道にチャレンジし続けたいと思います。
2022年『美ST』8月号掲載
撮影/須藤敬一 ヘア・メーク/Sai 取材・文/安田真里 構成/和田紀子
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